三七話 始まった船旅
軍国の港街には群衆が詰め掛けていた。
近隣に住む人々のみならず、近いとは言えない王都からも見物人が来ている。
軍国初の交易船――その進水式ともなれば、人々の耳目を集めるのも当然だ。
しかもその交易船は、当代の王が多額の資金を投入した最新鋭の大型船だ。
一目見ようと、遠方からも観光客がやって来るのも無理からぬ事である。
小さな港街のお祭り騒ぎには僕も混ざりたいところだが、そうもいかない。
なにしろ、既に僕たちは人目を忍んで交易船に乗り込んでいる。
もちろんこれは密航ではなく、以前に帝国へ発った時と同じ理由によるものだ。
そう――出来る限り、神々に情報を与えない為だ。
僕たちが魔大陸へ向かったことが広く知れ渡ると、神に警戒されてしまうかも知れないのだ。
場合によっては、船が陸に近付いただけで迎撃行動を取られる懸念すらある。
呪神がこちらの大陸の権力者に関わっていたように、魔大陸の権力者にも神が干渉している可能性が否定できないからだ。
もっとも、僕たちが密かに軍国を発ったところで、すぐに僕が軍国を離れている事実は神々に知られることになるだろう。
呪神の話からすれば僕が旅立った途端に王都が観測可能になるはずなので、神々に気付かれないはずがない。
それでも、僕がどこに向かったかを判断するには時間が掛かるはずだ。
僅かな時間稼ぎにしかならなくとも、欺瞞工作はやっておいた方が得策だろう。
そんな事情から、僕たちはいつものように騒ぐことなく船内で息を潜めている。
そろそろ堪え性のない仲間たちが暴走しそうなので、早く出港してほしいというのが正直なところだ。
今回の魔大陸行きは前回と同じメンバーで構成されている。
一応は皆に同行確認を取っているものの、当然のように魔大陸行きに同意してくれているのだ。
前回は途中合流だったアイファからも『行くに決まっているだろう!』と、意思を確認したことで叱責を受けてしまったくらいだ。
アイファは王都グルメにご満悦な毎日を送っていたので断られる可能性も危惧していたが、旅が好きな子でもあるので行かないという選択肢は無かったようだ。
最近は別行動が増えつつあるマカも居残りを選ぶのではないかと心配していたが、『仕方ないニャ〜』と言いたげな態度で魔大陸行きの意思を示してくれた。
王都に置いていくと天敵のジーレに仕留められる可能性があったので、僕としては色んな意味で一安心だ。
そして前回と同じという事で、ジーレとシーレイさんは今回も留守番組だ。
ジーレたちばかりかロールダム兄妹にも同行を希望されたりもしたのだが――『二人が居なくなれば誰がクーデルン邸を造ってくれるんですか!』と熱い説得をしたところ、『我ら兄妹にお任せ下さい!』と感激して留守番を受け入れてくれたのだ。
実際、ロールダム兄妹はクーデルン邸建築の中心人物なので、僕の説得はあながち的外れでもない。
戦闘能力に優れた兄妹に〔大工〕とはどうなのかと思わなくもないが、本人たちの希望で始めたことなら最後までやり遂げてもらうべく応援するのみだ。
留守番組の中でもシーレイさんの同行希望には迷うものがあったのだが……見えない襲撃者を退けたとはいえ、また王都に不埒者が現れるかも知れないのだ。
忌憚なく言ってしまうと、あの襲撃者に対応可能だった人間は少ない。
気配の無い場所からの毒矢となると、ロールダム兄妹でも不覚を取りかねない。
あの敵を撃退出来るのは、留守番組では父さんかシーレイさんくらいだろう。
しかし父さんは実力こそ圧倒的だが、優し過ぎるというか甘いところがある。
個人的には好ましい性質ではあるのだが、先の襲撃者のように卑劣な手段を使う敵が相手では不安が残る。
仮に人質でも取るような敵が出てくれば、父さんは対応に迷ってしまうはずだ。
もちろん並の相手なら何もさせずに瞬殺出来るはずだが、その相手が神持ちとなれば一筋縄ではいかない。
そこでシーレイさんの出番だ。
容赦のないシーレイさんなら、敵を人質もろとも殺害することは間違いない。
一見乱暴にも思えるが、そんな彼女の存在が卑劣な手段への抑止力となるのだ。
シーレイさんには申し訳無いのだが、僕としては父さんとシーレイさんが軍国を守ってくれる形が最も安心出来る。
もちろん言うまでもなく――シーレイさんが魔大陸で大量殺人を犯しかねないという懸念も、同行を断った理由の一つだ。
当然の事ながら、シーレイさんやジーレへの残留依頼は難航を極めた。
興奮したシーレイさんに折られた骨は一本や二本ではないし、ジーレを煽っていたマカが殺害されかけたのも一回や二回ではない。
辛うじて説得に応じてくれた彼女たちは今も港街にいるはずだが……気が変わらない内に早く出港してほしいものである。
――――。
「退屈ぅ〜、アイス君退屈だよ〜〜」
交易船は無事に陸を離れている。
そして数時間しか経過していないのに、早くもルピィが不満の声を上げ始めた。
出港から数時間とはいえ、既にこの船はかなりの距離を進んでいる。
この船は潤沢な資金を投入して建造されただけあって、船の建造には加護持ちが多く関わっているからだ。
多くの加護が凝らされたこの船は、魔道具の結晶のようなものだ。
もはや魔道具ならぬ〔魔船〕と呼んでも過言ではない。
実際のところ、風が動力とは思えないほどの速度を実現している。
しかし、同じ場所にじっとしていることが苦手な仲間たちには、多少船が速くとも船旅は退屈だという事なのだろう。
「う〜ん、そうだね。じゃあ、海で泳ぎがてら食材でも獲ろうか」
もちろんこんな事態は想定内なので問題無い。
周囲を海に囲まれているのだから、海水浴に興じれば良いだけだ。
ついでに食材も確保してしまえば一石二鳥だろう。
だがそこで、船長さんが狼狽した様子で口を挟む。
「ええっ!? ア、アイスさん、ここは海のど真ん中ですよ」
軍国初の交易船ということで、乗組員にも優秀な人材が揃っている。
中でも船長さんと副船長さんは有用な加護持ちなのだが……船長さんは乗り物全般に高い適正を持っている〔乗の加護持ち〕という逸材であるにも関わらず、常に自信無さげなのが玉に瑕だ。
なにしろ乗員全ての命を預かる船長である。
いつ如何なる時であっても自信満々であってほしいと思うのは当然だ。
「噂に名高いアイス=クーデルンならば物ともしまい。放っておきたまえ船長」
逆に自信に溢れ過ぎているのが副船長のアオさんだ。
アオさんはうちのフェニィより年上とはいえ、まだ二十代の女性だ。
船員の中でも若い部類でありながら、中年の船長に尊大な態度を取っている。
どちらが船長か分からないほどの尊大さは見上げたものだ。
「噂はともかくとして、僕たちなら大丈夫ですよ。あ、もちろん船を減速させる必要もありませんよ」
船の速度が速いとは言っても僕たちの泳ぐ速度ほどではない。
加えて、本来なら大型船の甲板に帰還することは苦労を免れないのだが、僕には空術があるのでその問題もクリアしている。
「ふむ、ではイカを獲ってきたまえ。私の好物なのだ」
惚れ惚れするくらいに図々しいアオさん。
泳ぐついでに食材を獲るくらいのつもりだったが、食材のリクエストまでされてしまったからには応えなくてはなるまい。
船長さんが泡を食ったように「ち、ちょっとアオさん」と注意をしているが、アオさんは「構うまい」と意に介さずだ。
船長さんは困った顔をしているが、むしろこれくらい遠慮なく接してくれる方が僕には歓迎出来る。
なにしろこの船の乗組員は軍国全土から集められているだけあって、僕に関する悪い噂を真に受けている人間が多いのだ。
軍国の王都では人気者の僕だが、少し王都から離れると『ミンチ王子』という不穏なあだ名で呼ばれることも珍しくない。……他ならぬ船長さんが、僕を恐れているかのように腰が低い。
しかし心配は無用だ。
長い船旅となるはずなので僕への誤解は自然に解けてくるはずだ。
魔大陸に到着するまでの時間が、僕らの関係を解きほぐしてくれることだろう。
明日も夜に投稿予定。
次回、三八話〔船上の海水浴〕