二五話 自己憎悪
裁定神の予知が実現する前に、これでなんとか全てのピースが揃ったようだ。
――あとはこれからどう対応するかだけだが、僕の答えは決まっていた。
「明日の呼び出しには僕とレットも付いていきます。そして、領主を亡き者にしてしまいましょう。……それから速やかに、お二人にはこの街を離れてもらおうと思います」
「えぇぇっ……! アイス君って可愛い顔して結構過激だねぇ……そんなことしたらアイス君たちがお尋ね者になっちゃうよ」
今回の元凶は完全に領主だ。
大元の原因である諸悪の根源を断てば、それだけで未来が変わる可能性はある。
姉妹に街を離れてもらうのは念の為だ。……そして可愛い顔は余計である。
「僕は父さんの件でどのみち軍国とは敵対する可能性が高いので、遅いか早いかだけの違いでしかないです。それに目撃者も全員始末して屋敷に火でも放てば、犯人の特定はかなり難しいものになると思います。……勝手にレットも戦力に組み込んでるけど良いよね?」
「お前というやつは……しかし乱暴極まりない計画ではあるが、予知の回避方法としてはそれぐらい思い切ったことをやる必要性もありそうだな」
レットは正義感が強いところがあるので反対するのではないかと危惧していたが、思いのほか乗り気だ。
今回の件では、領主が悪だとはっきりしているので、割り切って考えているのかもしれない。
本音を言えば、軍国と完全に敵対するのはもう少し準備が整ってからにしたいところなので、僕らの仕業であることが露見しないことを願うばかりだ。
――ルピィさんは僕らの提案を受けて、少しだけ思案した様子だったが、すぐに強い意志を感じさせる眼差しと言葉で僕らに言った。
「……ありがとう。二人に、甘えさせてもらうよ」
――――。
「――腕によりをかけて作ったからさ、食べてよ食べてよー」
フゥさんに促されて食事をしながら、明日の計画について話を詰めた。
今回ネックになるのは、彼我の戦力差ではなく、屋敷にいる無関係な使用人などだ。
話し合いの結果、屋敷には顔を隠して押し入り、罪の無い人たちは丁重に意識を奪って安全な場所に転がしておく、ということで話は纏まった。
まさに〔押し込み強盗〕に見せかけるというわけだ。
領主には、常時護衛として戦闘系の加護持ちが複数名付いているそうだが、ルピィさんが「一人でも問題ないぐらい」と言っていたくらいなので、やはり〔神持ち〕が二人いるこちらの陣営は過剰戦力と言える。
「今夜は秘蔵のお酒も出しちゃうよー。飲みねぇ飲みねぇ」
「いえ、僕は……」
「おのれ私の酒が呑めぬというのかぁ。……それとも、口移しで飲ましてほしいのかな? 全く仕方がないねぇ」
「飲みます、飲みますので離れて下さい……」
なぜフゥさんはまだ一滴も酒を飲んでいないはずなのに、酔っ払いみたいな絡み方をしてくるのだ……。
明日のことを考えると痛飲するのはまずいが、断るのも難しかったので、やむを得ず少量だけ頂いた。
それは秘蔵のお酒という割にはあまり味がよくなかった――飲みなれていないせいだろうか、妙な味がする気がしたのだ。
レットもルピィさんも、半ば無理やり酒を飲まされてひとしきり騒いだ後、僕らは就寝した。
――それは、生きているフゥさんを見た最後の夜だった。
――――僕が次に目覚めた時には、外の光が赤かった。
「えっ?」
夢を観ているのだと思った。
夜から朝まで寝たはずなのに――外の景色は夕方のように見えるのだ。
傍らではレットとルピィさんが不自然なほど熟睡しており、フゥさんの姿は見えなかった。
――この時点で、なにかは分からないがとんでもない失態を犯したのではないか、という強烈な焦りに見舞われた。
僕はなんとか気持ちを沈着させて、寝ている二人を起こす。
「えっ、夕方……?」
「寝過ごした、のか……?」
二人は起きたばかりで頭がぼんやりとしているようだが、すぐに状況の不可解さに気付いたようだった。
――ふと、テーブルの上に置かれた手紙が僕の視界に入った。
そしてその文面が頭に染み込んだ瞬間、僕は頭がまっしろになった。
「――ルピィさん!」
僕はルピィさんに手紙を指し示し、それと同時に家を飛び出そうとした。
だが、家の扉は何かに固められたようにビクともしない。
僕が手間取っている間に手紙を見たのだろう――血相を変えた二人が玄関に走ってくる。
家の扉が固められているのを、僕の様子で見て取ったのだろう、レットが――
「――壊します!」
と言い切る前には、レットの足が扉を蹴り破っていた。
数メートルは扉が吹き飛んでいったが、僕らは目もくれず広場に向かって走り出した。
『いやー、せっかく色々骨を折ってもらって申し訳ないんだけど、ルピィちゃんを確実に助けるにはやっぱこれかなってことで、僕がルピィちゃんの振りして領主のところに行くことにしたよ。ほんとごめんねみんなー。私が愛飲してる睡眠薬を一服盛らせてもらったので、ちょいと寝ててちょーね。家の扉はしっかりがっちり固めておいたので、もし領主の配下がやってきても簡単には入れないようにしときましたー』
――走る、走る、もう周りを見る余裕が僕には無かった。
なんてことだ、必ず助けるなどと息巻いておいてこの体たらくとは!
フゥさんがこんな行動を取るのは予想してしかるべきだったのではないのか。
しかしまだ諦めるのは早い。
朝に領主の屋敷に行って捕縛されたとしても、まだ処刑されずに勾留されているだけかもしれない。
とにかく公開処刑が行われるであろう街の広場さえ押さえておけば、刑の執行は止められる。
『ルピィちゃんへ。怒らないでね? 三人で立ててた計画が上手くいく可能性はあるけど、裁定神の予知のことを考えると不安だったんだよ。もしルピィちゃんが死んじゃったらと思うとね。私の命はもう長くないし、万が一を考えるとこれが一番いいかなってね。まぁ、あれだよ、ほら、私のことは気にせずこれから楽しく生きてちょーだいね。間違っても領主に復讐とか考えたりしないでねー。よく復讐なんかしても死んだ人は喜ばないって言うけど、あれ本当だから本当本当。それじゃ元気でね、ばいばーい』
――フゥさんの手紙の最後は、僕とレットへの言葉で結ばれていた。
『レット君とアイス君へ。二人には本当に感謝してるよ』
『ルピィちゃんを救ってくれて、ありがとう』
――ふざけるな、僕はこんな結末は認めない!
こんなやり方ではルピィさんは救われない!
僕は怒っていた。
身勝手なフゥさんに怒っていたし、人に濡れ衣を着せてのうのうとしている領主にも怒っていたし、裁定神が告げる〔死の運命〕にも怒っていた。
そしてなによりも――自分の不甲斐なさに、煮えたぎるような激情を伴った怒りを向けていた。
――――僕らが広場に着いたときには全てが終わっていた。
――そこには物言わぬフゥさんの首が晒されていた。
その顔は理不尽な死を迎えたとは思えないくらい、穏やかで満足げな顔をしていた。
ルピィさんに成り代わる為だろう――長かった髪を切り、いつもの快活さを失ったフゥさんの死顔は、ルピィさんによく似ていた。
「フゥさん……」
「お姉ちゃん……」
二人の絶望の声が、悲嘆に暮れた声が、僕の耳に届いた。
――その安らかな死顔を見て、全てを悟った。
思えば、僕ら三人は〔姉妹二人とも助かる道〕を模索していたが、フゥさんは最初から――〔ルピィさんが助かる道〕しか考えていなかったのだ。
その〔差〕が今、僕の目の前にある。
この結果を招いたのは僕の油断だ。フゥさんが自らの命を軽んじているのは感じていた。
――また僕は、自分の無能さが原因で、大事な人を死なせてしまったのだ。
母さんとバズルおじさんが死んだ時もそうだ。
幼い僕は周囲から『天才』やら『神童』などと言われ、自惚れ思い上がっていた。
だが、父さんがおかしくなってしまったあのとき、あの肝心なときに――僕は恐怖で震えて動けなかった。
僕がやるべきことをやれていたら、少なくとも、僕ら兄妹を庇ってバズルおじさんが死ぬようなことは無かったのだ。
なぜ、母さんやバズルおじさん、そしてフゥさんのような善良な人間が死ななければならないのだ。
なぜ、僕のような無能で卑怯で卑しい人間が生き永らえているのか。
僕は無力感と絶望感に打ちのめされて、泣いていた。
だめだ、泣いてはいけない――泣くなどと卑怯な行為は、僕には許されない。
…………遠くからルピィさんの声が聞こえる気がする。
「私たち姉妹の為に泣いてくれて――ありがとう」
――違う。
僕は、自分で自分に赦しを与える為に泣いているんだ。
僕は小さな子供のようにぼろぼろと泣いていた。
とめどなく流れる涙を、止めることが出来なかった。
「いいんだよ――アイス君がそんなに自分を責めなくて、いいんだよ」
フゥさんが亡くなって、誰より悲しんでいるはずのルピィさんが、僕をそう慰める。
――違う。
僕にはあなたに優しくしてもらう資格など無い――卑劣で恥知らずで矮小な人間なんだ。
「そんなに自分を責めないで――そんなに自分を嫌わないで」
僕の心の中を覗いたような事をルピィさんは言う。
あるいは本当に心を読んでいるのかもしれない。
ルピィさんならそれぐらい出来ても不思議ではない。
――ならば分かるはずだ。
僕はフゥさんが亡くなったことを悲しみ、姉を失ったルピィさんを想い悲しんではいるが――フゥさんが亡くなれば、行き場を失ったルピィさんが旅に着いてきてくれるかもしれない、と卑しくも期待してしまっていた、厚顔無恥な人間だ。
「アイス君。これからボクは、君たちについて行こうと思ってるよ」
「ルピィさん、僕は! 僕は……」
我慢出来ずに言葉を発しようとした僕を、ルピィさんが優しく抱き締めた。
――心を包み込むように抱き締めた。
「いいんだよ……アイス君って、しっかりしているように見えて、放っておけない子だしね」
僕は、もう何を言っていいのか分からなくなって、言葉を出すことができなくなった――




