二四話 疾走
――不意に、僕の脳裏に浅ましい考えが浮かんだ。
フゥさんが亡くなってルピィさんが生き残れば、僕の目的には都合が良いのではないか?
盗神持ちのルピィさんが味方についてくれれば、父さんの情報も掴めるのではないか……?
……バカな!
僕は、一瞬でもそんな事を考えてしまった自分を嫌悪した。
家族を失う辛さは、他ならぬ僕が一番知っているはずではないか!
脳裏に浮かんだ恥知らずな思考について、ルピィさんに話して詫びる気はない。
罪を告白することで僕の心は軽くなるかもしれないが、ルピィさんは嫌な気持ちになるだけだ――そんなことはただの自己満足に他ならない。
僕に出来る償いはただ結果で示すだけだ。
なんとしても、フゥさんもルピィさんも救ってみせる、それしかない。
――僕が、一人で始めて一人で終わる罪悪感との闘いを繰り広げていると、レットに声を掛けられた。
「ルピィさん、何もしないで横を通り過ぎて行っちゃったぞ?」
神持ちのレットでさえ、何が起きたか分かっていないようだった。
レットの言葉に、僕も自分の直感に猜疑心を覚え始めていた頃……大回りして戻ってきたルピィさんが、僕らに向けて魅力的なウインクをした。
ウインクをする人を見たのは初めてだが、ルピィさんがやると誂えたように絵になる。そして、やはり盗みには成功していたらしい。
……それにしても、人の懐から物を掠め取っておいてウインクとは、なかなかどうして面の皮が厚い――僕が内心でそんなことを考えていた時、ルピィさんに叱責された。
「ちょっとキミたち、あんまり標的を注視するのはやめてよね。意識を逸らすのが大変だったんだから」
傍目には横をすれ違っただけにしか見えなかったが、そんな高度な駆け引きが行われていたのか……。僕らは知らず足を引っ張っていたようだ。
そして「ボクは泥棒じゃない」と言っていたルピィさん……あなたは、僕が見てきた中でもダントツで超一流の泥棒です……!
「それは……すみません。たしかについ凝視しちゃってました。それにしても、よく書状を所持している人間が分かりましたね」
「え? そんなの見れば分かるじゃん」
ルピィさんは本当に不思議そうに答えた。
なぜそんなことを感心しているのか、本気で分かっていない様子だった。
……レットに尋ねても僕と同じ答えを返すだろう――「分かるはずがない」と。
全員服装も同じで、一人を護衛しているわけでもなく、見た目では上下関係すら測りかねる五人の男達だった。
天才型の人間は人に物を教えるのに向いていないというが、それはこの事だろう。
天才にとって、それは教えるまでもなく――「見れば分かるじゃん」なのだ。
「……そうですね。確かによく見れば分かりますよね」
……僕は色々と諦めて迎合した。
レットが「えっ、マジで?」という目で僕を見てくるが、努めて気にしないことにする。
「それにしても見事な手際でした。盗術の鍛錬を普段からしているのですか?」
――これは素直な疑問だった。
「ボクは泥棒じゃない」などと言っていた人が、熟練のスリ師も裸足で逃げ出すような手際の犯行を行ったのだ。あれはどう見ても初犯の技巧ではない。
「盗神の加護を持ってるって分かってから、お姉ちゃん相手に少しだけ練習したんだよ。あ、もちろん他人にやったのは初めてだからね」
少しだけ練習して、初の実践であれほどの腕前とは……僕は才能の残酷さに恐れおののいた。
僕がスリの道で生きている人間だったら、今日で引退を決めていたことだろう。
「――ともかく、その書状を見てみましょう」
封印がされた書状に目を通してみたが、その内容は悪い意味で僕の予想通りのものだった。
そもそも第三軍団は、たまたま魔獣討伐の為に近郊まで来ていただけであり、街の噂で『領主が将軍から下賜された宝剣を手放した』という噂があった為、先ほどの使者が事実確認に訪れていたようだ。
問題はその領主から軍団への返答にあった。
『家宝であった宝剣が〔盗神の加護〕を持つ盗賊に盗まれた。だが、時を置かずして捕縛する手筈は整っている』という内容だったのだ。
間違いなく――ルピィさんに全ての責任を押し付けて生贄にするつもりだ。
唯一の救いは、第三軍団がルピィさんを捕える為に派兵されてきたわけではない、ということだ。
それならばまだ活路はある。
話の流れからすれば、ルピィさんの捕縛に軍団が積極的に介入してくることは無さそうだからだ。
……だが、領主がルピィさん捕縛に動いているとしたら、迅速に行動しなければならない。
「――ルピィさん、すぐ家に戻りましょう! 領主の配下が家に向かっているかもしれません!」
「うん!」
ルピィさんにも分かっていたのだろう、応えるや否や風のように走り出した。
家にはフゥさんが一人でいるのだ、逸る気持ちも無理はない。
――しかし速い。まるで疾風の如き速さだ。
速度そのものも速いが、特筆すべきなのは、人通りがある街中でも全く速度が落ちていないことだ――走りながら、道行く人の動きを完全に把握している。
水の流れのようにすいすいと、器用に人混みをすり抜けていくのだ。
「――うわっ!」
ルピィさんの速度に驚き反応する人の、避ける動作まで完全に読み切っている。
だが、後ろを追走する僕とレットも、伊達に子供の頃から山中を駆け回っていたわけではない。
強風のように走るルピィさんに付かず離れず、僕らはフゥさんの待つ家に到着した。
「おかえりー! なんか領主様から手紙が届いてるよー」
家に戻った僕らを迎えたのは、相変わらず気楽そうなフゥさんの声だった。
焦って戻ってきた分、肩透かしを喰らった気分だがフゥさんが無事なようで良かった。
――フゥさんにも、領主が冤罪を着せてルピィさんを捕縛しようとしている事を説明してから、四人で領主から届いた手紙を確認したが、手紙の内容は簡素なものだった。
『明日の朝、領主の屋敷に来るように』という旨がしたためられていただけだ。
手紙には用件について一切触れられていなかったが、これがルピィさんを捕える罠であることは火を見るより明らかだ。




