十八話 積み重なる理不尽
レットの惨事に爆笑しているルピィの人間性は気になるところだが、僕にはもっと気になっている事があるので注意を傾けるだけの余裕がない。
僕の口の中には血の味が広がっており、胸がじくじくと刺すように痛んでいる。
これは間違いない――折れた肋骨が臓器を傷付けている……!
こうしている今も治癒術を行使し続けているが、僕の上に着席しているシーレイさんが治療を妨げていることがまた問題だ。
シーレイさんはマウントポジションを維持しながら、幻ではないかと疑うように僕の顔をぺたぺたと触っているのだ。
もしかしたら……鍵の掛かっていた扉から突然『こんにちは!』とやったせいで現実感が希薄なのかも知れない。
だが、このままでは危険だ。
この状態から何かの切っ掛けで追撃を受けてしまったら、母国に帰ってきたばかりなのに天に還ってしまうことになる……!
そんな僕の窮地に気付いたのか、フェニィが優しく……ドゴッと蹴り退けた!
優しく『落ち着いて』と声を掛けてあげてほしかったが、フェニィにそこまで期待するのは高望みなので仕方がない。
なぜかこの同い年のお姉さん二人は仲が悪いので、むしろこれくらいで済んだだけ僥倖と言うべきだろう。
なにより、部屋の壁に叩きつけられたシーレイさんは、フェニィの一撃に痛痒を感じているようには見えないのだ。
「……フェニィ=ボロス、貴方どういうつもりですか」
ようやく正気に返ったシーレイさん。
彼女はキッカーであるフェニィを血走った眼で睨みつけている。
これはまずいと直感した僕はすぐに口を挟む。
「待ってくだ……っぐぶ」
無理をして喋ったせいで吐血してしまった……!
これはいかん、絶対安静の体調で無理をしたのが良くなかった。
だが悪い事ばかりでもない。
僕の様子を見たシーレイさんは心配してくれているのか顔を青くしている。
血走っていた眼も冷えているので、怪我の功名で冷静になってくれたわけだ。
シーレイさんが慌てた様子で駆け寄ってくる。
「ぼ、坊っちゃん!? どうされたのですかそのお怪我は! ……まさか、その女に」
な、なにをっ!?
まさか張本人からそんな言葉が飛び出してくるなんて……!
しかもあろうことかフェニィに濡れ衣を着せているではないか!?
いや、先ほどのシーレイさんの状態は正常とは言い難かった。
夢うつつのようだったので、僕をクラッシュしたという自覚が無いのだろう。
殺人未遂の嫌疑をかけられているフェニィが怒りに燃えているが、シーレイさんを責めることなど出来るはずもない。
シーレイさんがこんな状態になるまで寂しい思いをしたのは僕の責任だ。
これくらいの痛みは甘んじて受け入れよう、この程度ならば軽いものだ。
なにしろ――――無実のレットは窓から突き落とされているのだ……!
とにかく、僕の怪我の原因についてだ。
正直にシーレイさんの犯行だと伝えたら彼女を悲しませてしまうので、何か上手い言い訳を考えなくてはならない。
第三者に罪を擦りつけてしまうと、その人物がシーレイさんによって極刑の憂き目に遭ってしまう可能性が高いので却下だ。
よし、ここはあの手でいこう。
「大丈夫ですよ。この血はアレです、嬉し泣きならぬ〔嬉し吐血〕ですから。いやぁ……シーレイさんに再会出来たことが嬉しすぎて、ついゴホッっと出てしまいました」
ついホロッと泣いてしまったくらいの感じで誤魔化すしかない!
しかし、嬉しくて吐血してしまうような体質となると、セレンに『お兄ちゃん!』と呼ばれようものなら、喜びのあまり全身から血を噴き出して死んでしまいそうである。
うむ、危険な伝染病のようじゃないか……!
さすがにこの言い訳は無理があったかと思いきや、優しいシーレイさんは「坊っちゃん……」と感動してくれている。
基本的にシーレイさんは僕の言葉を鵜呑みにしてくれる純粋な人なのだ。
何でも信じてくれてしまうので、レットとは別の意味で嘘を吐けない相手だと言えるだろう。
――――。
「あぁ……坊っちゃん、ようやく帰ってこられたのですね」
僕はシーレイさんに膝枕をしてもらいながら治療に専念していた。
寝ている僕の両手はフェニィとセレンにそれぞれ繋がれている。
僕を瀕死に追い込んだシーレイさんに激怒していた二人だったので、こうして物理的に暴走を抑えているというわけだ。
フェニィに至っては濡れ衣で冤罪をかけられていたのだから怒るのも当然だ。
しかし僕のこの状態……まるで最期を看取られようとしているかのようだ。
マカが僕の額にプニっとした手を置いて「ご臨終ニャ」とばかりに遊んでいるのが腹立たしい。
この薄情な仔猫は入室直前にフードから離脱して難を逃れていたのである。
もっとも、フードに残留していたら僕とレットに挟まれて潰されていたのだが……。
そんな落ち着いているようでどこか刺々しいシーレイさんの部屋に――遂にあの男が帰ってくる。
「――大丈夫か、アイス?」
空へ旅立っていたレットだ。
膝枕をされて仲間二人と手を握っているという僕の姿にも動揺は見られない。
重傷を負っている僕を気遣ってくれているが、そう言っているレットの方こそ高層階の窓から転落しているのだ。
「もう大分快復したから大丈夫だよ。レットは骨折とかしてない?」
「ああ。いつもの事だからな」
うむ、相変わらずレットは逞しい。
肉体もそうだが、その精神も実に頑健だ。
窓から突き落とされて『いつもの事だ』などと達観した顔で言える人間はレット以外にいないだろう。
どれほど壮絶な人生を送っていればそんな事が日常茶飯事になるのか。
そこでシーレイさんが我慢出来なくなったように口を開く。
「レット=ガータスッ! 坊っちゃんの一大事に何をやっていたのですか!!」
すごいぞ、なぜかレットが怒られている……!
僕を一大事にした記憶が欠落しているシーレイさんなので、彼女視点では〔護衛〕ということになっているレットの不甲斐なさを責めているのだろう。
人の良いレットは複雑そうな顔をしながら「……すみません」と謝っている。
一方的に窓から突き落とされて謝罪までさせられるとは、これほど理不尽な出来事も中々無いはずだ。
「レットを責めないであげてくださいシーレイさん」
いつもなら『反省するんだレット!』と乗っかって口撃しているところだが、さすがに今回ばかりは気の毒に過ぎる。
シーレイさんは「坊っちゃん優しい……」と感激しているが、人の心を持つ人間なら当然の気遣いである。
人の心を持たないルピィですら自粛しているくらい……おや、気のせいかルピィが不機嫌そうに見えるぞ。
視線から察するに、僕の膝枕姿が優雅に見えて苛立っているようだ。
……もう怪我が完治していることが見抜かれている可能性もある!
すっかり甘えていたが、鋭いルピィには見透かされているのかも知れない。
名残り惜しいが仕方ない、新しい怪我を負わされる前に起き上がらなくては。
それに、僕ともあろうものが大事な事を忘れていた。
「そうだ、シーレイさんにまだ新しい仲間を紹介していませんでしたね」
初対面のアイファを紹介することを失念していたのだ。
シーレイさんの蛮行の数々に引いていたアイファだったが、僕の言葉を受けてビクっと反応している。
アイファが軽く怯えているのも無理からぬ事だ。
僕の視線の先を追ったシーレイさんは、今初めてアイファの存在に気が付いたらしく、わなわな震えながら肉食獣のような殺気を放っているのだ。
「まさか、この女が坊っちゃんの……!?」
うむ、僕にはシーレイさんの思考はお見通しだ。
僕は旅に出る前に〔お嫁さんを探す〕と宣言していたので、アイファがマイワイフではないかと早とちりしているのだろう。
結果的には僕の婚活は空振りに終わっているわけだが、事情を知らないシーレイさんが誤解したとしてもおかしくない。
それでなくとも、僕に新しい友達が出来たという事実だけでもシーレイさんは理性を失いかねないのだ。
もちろん、あらかじめ対策は準備済みだ。
「シーレイさん、お手を拝借しますね」
「……坊ちゃん? こ、これは――指輪!!」
そう、指輪だ。
仲間内で魔晶石グッズをお揃いで持っていたにも関わらず、軍国にいた頃からシーレイさんにはプレゼントしていなかったのだ。
なにしろ再会した時のタイミングが悪かった。
軍国クーデターの終盤に差し掛かっていたので、嗜好品に大金を投じるには躊躇われる状況だったのだ。
政権交代直後にしても、国としては何かと資金が入用な時期だ。
そんな時にナスルさんに大金を要求することなど出来るはずもない。
気に病みつつもシーレイさんの魔晶石を先延ばしにしていたが、先の旅行で民国から高額の謝礼金を受け取ってしまったわけである。
アイファへの魔晶石購入に加えてシーレイさんの分も購入するのは当然の事だ。
抜かりなく指のサイズも採寸済みだったので、シーレイさんの指には寸分の狂いもなく指輪が嵌まっている。
「…………坊ちゃん」
目に涙を滲ませている彼女を見ていると、つい僕も視界を滲ませてしまう。
これほど喜んでくれるなら、民国からの礼金を吊り上げた甲斐があったというものである。
当然のことながら、シーレイさんがアイファに抱いていた殺意など跡形も無くなっている。
しかもこの指輪、実はアイファに贈ったものとお揃いである。
この指輪効果をもってすれば排他的なシーレイさんであっても、『指輪がお揃い――トモダチ!』となることは間違いない……!
明日も夜に投稿予定。
次回、十九話〔期待する王女〕