十三話 陸のエメラルド
「それではコザルさん。また近い内に、今度は手土産を持って伺いますね」
「フッ、土産なんざいらねぇよ。いつでも来な」
再会を誓いつつ、大きな手に包み込まれてしまうような握手を交わす。
うむ、最後まで渋くて格好いいゴリラさんだ。
相変わらずその表情から感情は読み取れないが、コザルさんのつぶらな温かい瞳には深緑のような優しさがある。
僕たちが再訪した際にはきっと温かく迎えてくれることだろう。
「…………サル、礼を言おう」
珍しくもフェニィが素直に感謝を告げている。
過去にお世話になったことを感謝しているのか、もしくはお土産に貰った大量のリンゴについての感謝なのかは分からないが、フェニィがコザルさんに心を許していることだけは間違いない。
コザルさんはダンディーな声で「野暮はよせよ」と返しているものの、なんとなく孫を見るおじいちゃんのような温かい眼差しをしている気もする。
なんだかんだで長い付き合いなので、二人には家族のような絆があるのだろう。
先の再会時には『サルだ』と呼んでいたので希薄な関係かと誤解していたが、どうやらフェニィは〔あだ名〕で呼んでいるつもりだったことも判明している。
『コザル』なので『サル』と長年心の中で呼んでいたようなのだが……いや、人の感性にケチを付けるのは良くない!
これでも親愛を込めている呼び名のようなので、第三者である僕が口を挟む余地はないのだ。
互いに『サル』『女王』と、呼び合っている姿からは友好的雰囲気を感じないのだが、当人同士が満足しているなら何も問題は無い。
帰国して落ち着いた暁には、コザルさんの喜びそうな果物をお土産に持って再訪したいものである。
――――。
その音を聞いたのはルピィが最初だった。
「――ストップ! あっちから来るよ」
リンゴ園を発ち、もうすぐ排斥の森を抜けるというタイミングでの警告だ。
ルピィが足を止めて注意を促すということは、間違いなく敵の襲撃だろう。
それもただの魔獣ではないはずだ。
今現在もフェニィに魔力を放出してもらっている最中なので、普通の魔獣なら僕たちに近付いてくるはずがない。
僕らの移動経路上で逃げ遅れた魔獣が残っていることはあったが、今回は明らかに相手の方から近付いてきている。
フェニィの魔力に恐れず向かってくる存在となると、心当たりは一つしかない。
そう――神獣だ。
森に住む古参の神獣はフェニィの危険性を知っているはずなので、おそらく今向かって来ているのは若い神獣なのだろう。
過剰戦力ぎみの僕たちだが、相手が神獣ともなると油断するわけにはいかない。
神獣、つまりは神持ちだ。
武器系のような分かりやすい神持ちならともかく、技能系や魔術系ともなると能力次第では僕たちに一矢報いることも可能なのだ。
稀有な存在である魔術系の神持ちに遭遇したばかりでもあるし、この排斥の森なら何が出てきても不思議ではない。
ルピィの警告から時を置かずして――僕の耳にもそれが聞こえてきた。
連続した低い振動音、身体の芯に響くようなずっしりした音だ。
これは…………羽音?
僕の推測が正しかったことはすぐに証明された。
立ち並ぶ木を縫うように、巨大な昆虫が猛然と体当たりを仕掛けてきたのだ。
人間の頭部サイズはある昆虫。
しかも魔獣とは一線を画している魔力量――間違いなく神獣だ。
もちろん事前に察知していながら直撃を食らうような愚は犯さない。
大砲から放たれた砲弾のような体当たりだが、僕は危なげなくサッと躱す。
躱されて勢いよく背後の木に突っ込んでいく昆虫は、自滅することもなく大木に穴を開けて貫通している。……回避に失敗していたら大怪我していたところだ。
しかし、それはそれとして気になることがある。
あの緑色に輝くボディといい手足を広げながら飛行する姿といい……あれは、カナブンではないのか?
あの外骨格のツヤツヤとした金属光沢からするとコガネムシのようにも見えるが、僕の目は誤魔化されない。
『おいおい、俺をコガネムシと一緒にするなよ?』
うむ、カナブンの声も聞こえてくる気がする!
カナブンは果実や樹液をエサとする害の少ない昆虫だが、コガネムシは広葉樹の歯をエサとする困った害虫だ。
外見が似ているだけで害虫と一緒にされては堪らないということだ。
だが実際のところ――ブゥーンと羽根を広げながら滞空しているこのカナブン、果たして彼には言葉が通じるのだろうか?
相手は知性の高い神獣なのだから、会話を試みないわけにはいかない。
「こんにちはカナブン君。もしかして僕が持っているリンゴが欲しいのかな?」
カナブンに話し掛ける僕。
傍から見ると危うい姿ではあるが、相手は人間並みに賢い神獣なので気に病む必要は無いだろう。
そしてグリーンな彼のお目当ては〔リンゴ〕ではないかと推察したので、僕はリンゴを差し出しながら単刀直入に聞いてみたわけだ。
――ブゥーン!
しかし無情にも僕の言葉は届かなかった。
僕の言葉を理解出来ていないのか無視しているのかは分からないが、カナブンはリンゴには目もくれずに再び体当たりを敢行してきたのだ。
この『ぶつかってやる!』という強い意志はどこからやってくるのだろうか?
残念だ……残念だが、友好の言葉が届かなかった以上は仕方がない。
人間に敵対的な神獣である以上、ここで見逃すという選択肢はない。
カナブン君は戦闘系の神持ちでもないので討伐自体は容易なはずだ。
……それにカナブン君には悪いが、彼を討伐したい個人的な理由もあるのだ。
そう、僕はカナブンを〔お土産〕にしたいと考えているのである。
指無しさんの護衛を務めるニトさん。
彼は自他共に認める無類のカナブン好きである。
そんなニトさんに巨大なカナブンを持って帰ろうものなら――『テッカテカに光ってるっス!』と大喜びしてくれるはずだ!
……いや、待てよ。
普通にお土産として渡すのも良いが、それではインパクトに欠ける気がする。
サプライズとして唐突に晩御飯で登場させるのはどうだろう?
ドームカバーで覆われた皿を提供して、『ぱんぱかぱーん!』と食卓でお披露目してしまうのだ。
開かれたドームの中から現れるのは――巨大なカナブンステーキ!
うむ、これは素晴らしい……!
カナブン好きのニトさんなら大興奮してくれるはずだ。
『陸のエメラルドっス!』と絶賛してくれる未来が見える……!
陸には本家本元のエメラルドがあるが、そんな些事にツッコんだりしないのだ!
よし、そうと決まれば早速行動だ。
一生に一度の珍味だろうから、失敗しないように万全を期さなくてはいけない。
ここは鮮度を保つ為にカナブンを生け捕りにして持ち帰るのがベターだろう。
カナブンの活造りに挑戦してみるのもアリだ――『新鮮でガッリガリっす!』
おぉ、脳裏に喜びの声が聞こえてくるではないか……!
僕はカナブンの体当たりを躱しながら皆に声を掛ける。
「これは僕が生け捕りにするから手を出さなくていいよ。ニトさんへのお土産にするつもりなんだ」
僕の提案の直後だった。
――ひゅっ。
レットの剣が綺麗な軌跡を描く。
物も言わずに動いたレットが、教本に書いてあるような打ち下ろしの一撃で――カナブンを屠ってしまった!
あぁ、なんて酷いことをするのだ……。
せっかくニトさんの為に生け捕りにしようと思っていたのに、レットには人の心が無いのだろうか?
いやいやまさか、僕の知るレットが無情な真似を進んでやるわけがない。
僕の声掛けが遅かったので、レットは剣を止められなかったのだろう。
僕の声を聞いてから動いたようにも見えたが、きっとそれは気のせいだ。
レットだってニトさんの笑顔が見たかったはずなのだ。
そのレットは『よし、計画を未然に防いだぞ』とばかりに小さく頷いているようにも見えるが、これが親友の本意だったはずがない。
あれは『安らかに眠れ、南無!』と黙祷を捧げているのだろう。
だが、鮮度を保つ為の生け捕りにはできなかったものの、幸いここから王都までは二日も掛からない。
素材は丸々残っているので、これをお土産にすれば問題は無い。
「残念だけど殺しちゃったからには仕方が無いね。それにしても、カナブンってそんなに美味しいのかな? ――そうだ! 今晩はカナブン料理に挑戦してみ……」
「――ニャッ!」
ズドォン! と豪快な音を立ててカナブンの亡骸は世界から焼かれた。
なんてことだ、貴重なお土産が豪快に燃えているではないか……!
マカには人の心が無いのだろうか? ――『無いニャン!』
おっと、いけない。
僕としたことが勝手にセルフツッコミしてしまったが、マカは人に近い心を持っているのだから差別するような発言は慎まなくてはいけない。
きっと今回の悲劇も僕のせいなのだ。
またしても僕の提案が遅かったばかりに機を逸してしまったのだろう。
おそらくマカは、カナブンが即死していたことに気付かなかったに違いない。
だからこそ、トドメの追撃に不必要な雷撃を放ってしまったわけだ。
ニトさんへのお土産もそうだが、今晩はカナブン料理に初挑戦しようと思っていただけに無念である。
それに僕が悔やんでいるのはそれだけではない。
カナブンは固そうな外骨格を持っていたので、加工して鎧を作ることも検討していたのだ……そう、〔カナブンアーマー〕というわけだ!
カナブンアーマーを着てカナブンを狩るニトさんの姿が見たかったのに……!
……いや、失われた物に拘泥していては駄目だ。
それにこの結果は悪いことばかりでもない。
なぜか仲間たちがマカに好意的な視線を送っているのだ。
もしかしたら、油断することなく神獣にトドメを刺したことを評価しているのかも知れない。
仲間たちはカナブンが焼け消えゆく姿を嬉しそうに見守っているので、僕がこの空気で不満を口に出来るはずもない。
第一部【排斥の森】終了。
明日からは第二部【再会に次ぐ再会】の開始となります。
次回、十四話〔混沌との再会〕