八話 悪意なき実験動物
セレンの魔力板を観察している内に、僕は一つの疑問を抱いた。
「コレって、生物に直接行使するとどうなるのかな?」
大気中に行使することで中空に魔力板が現出しているわけだが、これを生物本体に使ったらどんなことになるのか。
氷漬けになったように活動を停止してしまうのだろうか……?
なにより、術を解いた後に生体活動に影響を及ぼすのかどうかだ。
これを上手く使えば、鉄壁の状態で敵の攻撃から身を守ることが可能になる。
セレンの身に何かがあったら永久に停止してしまうというリスクはあるが、争闘の場で非戦闘員を守る用途に役立てそうなのだ。
「そうですね……試してみましょうか」
セレンはそう言いながら、マカの方へと手を伸ば……おおっと!?
さりげなく、マカが実験動物にされそうになっている!
「だ、駄目だよセレン。もし元に戻せなかったら大変なことになるじゃないか」
万が一にもマカが固まったまま解除されなくなってしまったら、世にも珍しい〔マカの置物〕が完成してしまうのだ。
傷の付かない永久保存版のマカ。
ちょっとだけ欲しいが、そんな誘惑には負けないぞ!
それにマカ嫌いのセレンなので、故意に元に戻さない可能性だってある。
マカにそんな危ない橋を渡らせるわけにはいかない。
僕の悲痛な説得により、マカではなく森の魔獣を対象にしようということで話は纏まったが……マカはすっかり警戒して僕のフードに隠れてしまった。
地面の石ころを拾うような自然な動作で攻撃対象にされていたのだから、マカが脅威を覚えているのも当然だ。
まったく、セレンはお茶目ちゃんだなぁ……。
手頃な魔獣を呼び寄せる為、食事中には放出していたフェニィの魔力を抑えてもらうと――その効果はすぐに現れた。
こちらを与し易い獲物とみなしたのか、魔獣が群れをなして襲ってきたのだ。
もちろん、魔獣が束になって襲ってきたところで僕らの敵ではない。
危なげなくセレンが魔獣を捕獲した後には、残りは僕たちで殲滅してしまった。
しかし、ひとつ気になることがある。
襲ってきた魔獣は虫型から動物型まで多種多様だったのに、なぜセレンは〔猫型〕をチョイスしたのだろうということだ。
そこはかとなくマカへの悪意を感じるような……いや、きっと偶然だ!
何十種類もの魔獣がいたが、たまたま猫ベースの魔獣になっただけだ……!
八本足の猫という魔獣を捕らえたセレンに、この場の視線が集中する。
フードというシェルターに逃げ込んだマカでさえ、ひょっこりと顔を出して動向を観察している。
そして――魔獣の首を掴んだセレンの手に、膨大な漆黒の魔力が満ちていく。
「なるほど、やはり手が触れた場所しか停止させられないようです」
そう口にするセレンの声音には驚きの色がない。
おそらくあらかじめ予想していた結果なのだろう。
魔獣は手足をばたつかせながらも、その場から一歩も動けないでいる。
そう、セレンが触れた魔獣の首だけが空間に固定されているのだ。
しかし、これは中々に恐ろしい。
セレンは大した事がないように言っているが、セレンに直接身体に触れられて停止させられたら、もう一巻の終わりだ。
見たところ触れた部分だけが空間に固着しているので、皮膚を剥ぐなり肉を抉るなりすれば行動可能にはなるだろう。
だが、これを戦闘中に受けてしまうとどうなのか。
咄嗟の判断で部位を切り捨てる選択が出来る者は少ないはずだ。
それも手足のような末端部位ならともかく、今回のように首元を触れられたら手の打ちようがない。
いや……かつてのロブさんは首の肉を抉られても生きていたので可能性は残っているのかな?
検証を終えたセレンが魔獣にデコピンを浴びせて絶命させると、フードから顔を出していたマカが慌てて引っ込む。
一歩間違えれば自分があの魔獣のような目に遭っていたと思っているのか、マカは小さく震えて怯えている。
仔猫ちゃんを抱き締めて安心させてあげたいところだが、却ってセレンの嫉妬を買ってマカが危ういことになりそうなので自制しておこう。
――――。
僕がマカの身を案じている内に、早くも仲間たちはセレンの新技を有効活用する遊びを始めている。
中空へ階段状に魔力板を設置していき、魔力板を足場に空を目指しているのだ。
セレンが遊びに付き合っているということは、相当に機嫌が良いのだろう。
しかし楽しそうに遊んでいるところ申し訳ないが、これは止める必要がある。
もちろん、高所で遊ぶのが危険だからという理由ではない。
「ちょっと皆待って。セレンの魔力が減ってるからその辺で止めておこう」
そう、無尽蔵にあると思われていたセレンの魔力量がかなり減っている。
高密度の魔力で形成されている魔力板だと思っていたが、これは想像以上に魔力消費が激しいようだ。
今の時点で魔力板を十枚しか創り出していないのに、底無しに見えていたセレンの魔力が半分程度減っているのが視えるのだ。
桁外れの性能を持つ魔力板だと思っていたが、魔力消費量も桁外れだ。
黒い靄の複数行使はできないにも関わらず、魔力板の方は魔力残量のある限り何枚でも創り出せるということも危険な要因だ。
……魔力が無くなればセレンが昏倒してしまうかも知れないのだ。
今までセレンは魔力切れになったことは無いはずだが、これから魔力板を創り出す際には気を付けなくてはならないだろう。
高い木の天辺まで高度を上げていた仲間たちは、僕の言葉を受けて渋々のように地上に降りてくる。
空術での空中散歩が好きなことからも分かるように、仲間たちは高い場所を好んでいる傾向があるのだ。
高所から降りてきたセレンは「それほど消費しているとは思っていませんでした」と不思議そうな様相だ。
今まで魔力切れの経験が無いので、自身の魔力残量を自覚していないようだ。
客観的な視点である僕の方が、セレンの魔力を正確に把握しているのだろう。
そう考えれば、いずれ限界まで消費して学習した方が良いのかも知れない。
森の中で試すことでもないので、軍国に帰ってからの課題としておこう。
しかしこの魔力板、セレンが消す時には自分の保有魔力に戻っている。
ということは、〔魔力を貯蓄する〕といった使い方も可能ではないだろうか。
休んで魔力を回復させてから貯蓄分を回収してしまえば、ただでさえ多い魔力が更に増やせるというわけだ。
いや……待てよ。
自分の保有限界を超える魔力を供給するのは危険である気がする。
その根拠は他でもない――そう、爆散した呪神だ!
予期せぬ爆殺事件を反省して調査を行った結果、呪神の死因は魔力の過剰供給によるものだったと僕は結論付けている。
天穿ちは呪神の呪術を吸収していただけではなく、セレンが大気中に放出した膨大な魔力も取り入れていていたわけである。
そんなものを直接身体に打ち込またら『奥義、分裂の術!』となるのも当然だ。
爆破の原因として呪術の類も疑ったのだが、いくらなんでも僕の知っている呪術とは乖離し過ぎている。
呪術は対象に体調不良を与える術であるはずなので、どう転んでも身体が爆散するような結果になるとは思えないのだ。
『いや〜、今日は体調が悪いから身体が爆発しちゃったよ』なんて言っている人にはお目にかかったことがないのだ……!
「アイス君、コレってその剣で消せないの?」
颯爽と魔力板の階段から下りてきたルピィからの質問だが、もっともな疑問だ。
実は、真っ先に魔力板への対抗策として思案したことでもある。
魔力を喰らう天穿ちであれば、〔物理・魔力〕に絶対的な耐性を持つ魔力板が相手でも対抗出来るではないか、と。
だが、すぐにそれは無理だと思い直した。
論より証拠だ。実際にやってみせた方が早いだろう。
セレンに魔力板を一枚だけ残してもらったので、実証実験の開始だ。
僕が「見ててね」と仲間に声を掛けると、無粋なレットが「見えてねぇけどな」などと正直に答える。
まったく、レットは分かっていない。
ここはあたかも見えているかのようなリアクションを取るべきところだろう!
視認出来ずとも、ここにいる面子なら魔力板が存在していることは察知出来ているはずなのだ。
アイファなどは両腕を組んで「見せてみるがいい」と偉そうなことを言っているが……その視線は魔力板からズレている!
これくらい堂々としていると、逆に僕の方が間違っているのではないかと不安になってくるぐらいだ。
それぞれが興味深げに見守る中、僕は中空に浮いている魔力板を天穿ちで貫いた――いや、貫こうとした。
事前に予想した通りだが、天穿ちは薄い魔力板を貫けずにいる。
ここまでは誰もが想定していたことだが、問題はここからだ。
魔力を喰らう天穿ちならば、理論上ではこのまま剣を突き刺しておけば魔力板を消滅させることが可能だ。
だが、魔力板の魔力には全く減衰の兆しが見られない。
そして僕には原因の見当はついている。
天穿ちは刀身の全面から魔力を吸収しているように見えるが、実は違う。
剣の切っ先が対象に一ミリでも喰い込めば〔吸収対象〕となるものの、剣先が触れるだけでは魔力の吸収には至らないのだ。
セレンの魔力板は外敵の侵入を完全に遮断しているので、反則的な天穿ちであっても効力を発揮することが出来ないのである。
「すげぇなコレ……」
レットが感心しながらコンコンと魔力板を叩いている。
防御技術には定評があるレットなので、絶対防御的存在である魔力板には思うところがあるようだ。
もしかして、自分の存在意義が揺らいだりしているのだろうか?
……そんな心配をする必要などないのに。
そう、レットは存在しているだけで僕の心を守ってくれているのだ。
たまに女性たちに『ガールズトークするからアイス君たちは部屋から出ていってよ!』と僕らがハブられたりしているのだが、これが僕一人だけだったら耐えられないところだ。
だいたいからして、男女相部屋を希望しておきなから性差を主張して部屋から追い出すとは理不尽過ぎる話だ。
そもそもガールなどと言える年齢ではないし、ガールどころかボーイのような外見のルピィが何を言っているんだ……!
……もちろんそんな命知らずなことは言えないので、いつも黙ってレットと二人で出掛けるだけである。
明日も夜に投稿予定。
次回、九話〔上からの知人〕