七話 凝縮された力
昼食後に恒例のティータイムに入っていると、不意にセレンが話し掛けてくる。
「にぃさま、見て頂きたいものがあります」
んん? なんだろう?
心なしかセレンが誇らしげな様子である気もするので、余計に疑問を覚える。
ルピィなどは『へへ〜ん、どうよ!』と戦果を誇るのが大得意なのだが、セレンがこのような自己主張を見せるのは珍しい。
余人ではいつものセレンにしか見えないだろうが、僕の眼をもってすれば普段との違いは明白だ。
僕は期待に胸を膨らませながらセレンを促す。
「ふふ……僕に何を見せてくれるのかな?」
セレンが何を見せてくれるつもりなのか見当もつかない。
こんなに得意げな様相は、二年振りの再会時に刻術を見せてもらった時以来だ。
だが、森の道中でセレンに変わった事はなかった。
森を駆け抜けていただけなので、新しい術を体得する機会があるはずもない。
僕を驚かせるのが楽しみであるようにも見えるが……うぅむ、僕の驚くことか。
まさか、僕にサプライズプレゼントでもくれたりするのかな?
手編みのマフラーなんか貰ってしまったら、たとえ炎天下の日であっても首に巻いてしまうところだ……フードのマカには大迷惑だ!
僕ばかりか仲間たちもセレンの行動に注視している。
そんな期待と緊迫に満ちた空気の中――セレンは中空に手を滑らせた。
さながら窓を拭くかのような動作で、空気中に手のひらを滑らせたのだ。
もちろんセレンが手を動かした場所には何もない。
しかし、何も起きなかったわけではない。
「おぉっ!? ……これ、触ってみても大丈夫かな?」
「ええ、問題ありません」
セレンの手のひらが通過した場所には、〔魔力の板〕が現出していた。
まな板を垂直に立てたような大きさで、紙のように薄い魔力板。
不安になるほどに黒くて暗然とした、世界を凝縮したかのような魔力の塊だ。
僕だけが直接視えているようだが、気配に敏感な仲間たちも魔力の塊がそこにあることを察している。
ルピィたちも「あ、なんかここにある」などと言いながら、僕と一緒になって魔力の板にペタペタと触っている次第である。
しかし、これが僕の想像通りのものなら人知を超越している事象だ。
「ひょっとしてこれは――空間を停止させているのかな?」
「ふふっ、さすがはにぃさまですね。その通りですよ」
やはりそうか。
僕の知っているセレンの刻術は、常人の目には見えない黒い靄だ。
物体をその靄に触れさせて、任意の加速を与えることを可能としている。
石を靄に接触させることで投石速度を跳ね上げるような使い方も可能だが、人の脳に接触させれば知覚を加速させることも可能だ。
ちなみにセレン自身の知覚を鋭敏にすることも出来るようなのだが、デメリットの方が大きいので使っていないらしい。
刻術は複数同時発動が出来ないので、自分に行使すると敵に使えなくなって不便になるとのことだ。
そして――いつもの黒い靄が遠距離魔術なのだとしたら、この魔力の板は近距離魔術に相当するものなのだろう。
考えてみれば、セレンも魔術系の神持ちだ。
遠近両方に適した魔術が使えたとしても何もおかしくはない。
遠距離では運動エネルギーを加速、近距離では停止させるというわけだ。
うむ、これは検証してみる必要がある。
「レット、ちょっとこれに攻撃してみてくれないかな?」
僕の要請に「なんで俺なんだよ」と不満を口にしながらも、人の良いレットは魔力の板に拳を叩き込む。
そして僕の推測通り――ガンッ、とレットの拳は中空で静止した。
「なんだこれ……鉄の壁より堅いぞ」
レットパンチは鉄の壁すら凹ませることが可能なのだが、セレンが創り出した魔力板はビクともしていない。
僕の視たところ、魔力板には損傷もなければ中空で動いた形跡すらもない。
レットに触発されたフェニィも挑戦しているが、結果はレットの時と同じだ。
信じがたいことに、フェニィの魔爪術でも魔力板には傷が付いていない。
……これは尋常な強度ではない。
まさか魔爪術が効かない物体が存在するとは思わなかった。
傷が付いていないどころか魔力が減衰している痕跡すらないので、おそらくどれだけ時間を掛けたとしても切り裂くことはできないだろう。
というよりこの魔力板、時間経過でも魔力減衰の兆しが全く見られない。
「ね、ねぇセレン? これって消せるのかな?」
フェニィの魔爪術でも効果がなく時間経過でも消えないともなると、永久にこの魔力板が残ってしまうのではないかと危惧したのだ。
今でこそルピィが魔力板の上に立って「おもしろ~い!」などとやっているが、ずっとこのままという訳にもいかないだろう。
森の動物が走ってきて衝突してしまったら申し訳ないのだ。
僕の恐る恐るの問い掛けに、セレンは穏やかな笑みを浮かべて「はい」と、触れただけで魔力板を消し去った。
魔力板に乗って遊んでいたルピィから不満の声が上がり、次に乗ろうとしていたアイファが「ぁ……」と悲しそうな声を上げているが、僕はそれどころではない。
「トレビアン! 素晴らしい術だね!!」
類を見ない革新的な魔術だったので大絶賛だ!
魔力板を消せるかどうかだけが心配だったが、その問題もクリアしているとなれば、もう褒める以外の選択肢は無い……!
フェニィの魔爪術まで効かないとなると、鉄壁の盾と言っても過言ではない。
いや、鉄よりも固いのだから鉄壁などという表現では役不足なくらいだ。
高揚感を抑えきれず、セレンの両脇に手を入れて〔高い高い〕をしてしまうが――――ゴキッと、セレンの手刀で手首を叩き折られてしまう!
うむ、勢い余って親指が胸に触れてしまったのが失敗だった……!
珍しくビクっとして小さな声を上げていたので僕の方が驚いてしまった。
セレンは多感なお年頃なので、これは僕の配慮が不足していたと言える。
「いやぁ、本当にセレンは凄いなぁ~」
何事もなかったかのようにセレンの頭を撫でる僕。
そう、セクハラ事故も骨折事件も何も起きてはいないのだ……!
セレンは呆れたような様子を見せているが、頭を撫でる手から逃げていないので機嫌は良さそうにも思える。
しかし、いつの間にこんなことが出来るようになったのだろう?
そう思ってセレンに聞いてみると――研究所で呪神がいた屋舎、あの魔力遮断構造の建物を利用して刻術の練習をしていたらしい。
呪神を打倒した後に屋舎内を全員で捜索していたのだが、その際に屋舎の一室で魔力を放出していたようだ。
呪神の〔後任〕に関する情報でもあれば、と思っての屋舎内捜索は空振りに終わったものの、あの短い時間にセレンは新しい技を会得していたわけだ。
以前から魔力板のイメージは構築していたとのことだが、あの短時間で完成に至ってしまうのはさすがのセレンである。
しかし、これまでセレンが刻術を練習出来ていなかったのは僕の責任だ。
子供に勉強部屋を用意するように、セレンの為の環境作りにもっと気を遣うべきだったのだ。
魔力遮断構造の建物は建築費用が高額となるのだが……軍国へ戻った暁には、家を一軒建てるくらいのことはしてあげるべきかも知れない。
高給取りの父さんもいるので、僕たち三人が力を合わせれば家族の家を建てるのも難しくはないはずだ。
明日も夜に投稿予定。
次回、八話〔悪意なき実験動物〕