九十話 脳内シミュレーション
カザード君に迫った命の危機は、僕の活躍により無事回避された。
なぜか〔僕が謝罪させられる〕という決着により終焉を迎えたのだ。
お嫁さん紹介という提案に対して、返答すらしていない僕が謝ったのである。
……本当に、なぜ僕が謝ることになったのだろう?
いや、深く考えてはいけない。
理不尽な出来事はすぐに忘れるように努めるのが健康の秘訣なのだ。
ちなみに、カザード君が森林破壊を行ったこの森は、実はあの〔排斥の森〕だ。
研究所は帝都から北東の位置にあるので、排斥の森の近くでもあるのだ。
この近くの山に研究所があるわけだが……場所を考えれば、軍国に帰国する際には排斥の森を通過するルートで帰った方が早そうだ。
しかし、そうなるとカザード君のことをどうするべきか。
旅の刻限を考えれば帝都まで送り届けるような余裕はないのだが、仮にも五歳児を途中で放り出すような真似をするのは抵抗がある。
ここは思い切って、彼を軍国まで連れていくというのはどうだろうか?
……いや、駄目だ駄目だ!
それこそ完全に誘拐犯ではないか……!
それに、帝国の王子を連れ帰ってしまったらナスルさんが卒倒しかねない……。
考えてみれば、カザード君は置手紙をしてきたと言っていた。
帝国の王子であるという立場を鑑みれば、城の人たちが『早く帰ってくるといいなぁ』などと大人しく帰宅を待っているとは思えない。
おそらくは研究所に王子君のお迎えが来てくれるはずだろう。
そう考えれば、もう少し移動の足を速めておいた方が良いのかも知れない。
あまりのんびりしていると、帝城からのお迎えの方が先に研究所に着いてしまうなんてことになりかねないのだ。
そうなると『今まで何してたの?』という気まずい空気になる恐れがある。
しかもそこでカザード君が正直に答えてしまったりしたら大変だ。
『ロープで縛り上げられたり、半殺しにされたりしたぞ!』なんて報告をされたら、僕たちの評判がますます悪化してしまう……!
――――。
「信じられん奴等じゃ。余は帝国の王子なのだぞ」
気軽に殺害されかけたカザード君が不平不満を漏らしている。
仲間たちが信じられない行動を取ることには全面的に同意するが、僕を盾にしながら彼女たちを刺激するのは止めてほしいものがある。
まだフェニィは魔爪術を使っていないので最悪の事態には陥っていないが、一歩間違えれば『王子が二人になった!?』なんて事になりかねない。
それでなくとも、盾にされている僕が理不尽に危害を加えられる可能性は高い。
ここで女性陣を刺激しても、僕とカザード君が不幸になるだけだろう。
「それよりカザード君。ほら、あれが研究所じゃないかな?」
話を逸らしたいと考えていると、折よく研究所らしき建物が視界に入ってきた。
この山奥に類似する施設があるとも思えないので、十中八九あれが研究所で間違いないはずだ。
「研究所っていうか、刑務所みたいだよね〜」
ルピィの感想ももっともだ。
研究所の第一印象は――壁。
フェニィやロールダム兄妹から聞いてはいたのだが、どうやってこんな山奥に建造したのか不思議なほどの高い〔壁〕が施設を覆っている。
しかもこの壁は高いだけではなく、衝撃耐性や魔術耐性にも優れているらしい。
幼い頃のフェニィはこの壁を破壊して脱走したようだが、常人では傷を付けることすら難しいはずだ。
僕が軽く視た感じでは、建築系の加護持ちが建造した壁だと思われる。
だがこれは、今の僕たちには悪くない条件だ。
「うん、この壁はいいね。研究所の人間を一網打尽に出来そうだ」
職員たちが散り散りに逃亡するようなことがあれば面倒だったが、この構造ならば逃げられる心配はない。
ロールダム兄妹からの情報によると、職員たちは自らの意思により研究所で働いている人間が大多数とのことだ。
非道な所業に携わった人間をみすみす逃すわけにはいかないだろう。
「お主、虫も殺さぬような顔をして平然と恐ろしいことを言いよるな……」
おや、カザード君に誤解をされているようだ。
一人も余さず皆殺しにでもするとでも思われているのかも知れない。
短い付き合いとはいえ、人道的行動を重んじる僕がそんな事をするはずがないと分かりそうなものなのだが。
「勘違いしてはいけないよカザード君。基本的には職員は生け捕りにするつもりだよ。――とくにフェニィ。気に入らないからって二分割は駄目だよ。もちろん、四分割も駄目だからね?」
悪魔は別として、研究所の職員たちを全員殲滅する必要は無い。
順調に殺人スコアを伸ばし続けているフェニィに念を押してしまうのも当然だ。
フェニィは研究所への恨みは希薄なようだが、それでなくともカッティングには定評があるフェニィなのだから油断はできない。
これだけ注意しても――『なら八分割にしよう!』という天災的発想を生み出すのがフェニィだ。
フェニィは一人だけ名指しで注意を受けて不満そうにしているが、僕としては過去の実績を勘案しないわけにはいかないのだ。
「二分割とはなんじゃ? ……いや、やはり聞きたくない。それで、これからどうするつもりでおる? 余の威光を示して所内に立ち入るのか?」
カザード君は質問の途中で鋭く察してしまったのか、疑問を破棄して何事も無かったようにこれからの行動について聞いてくる。
さすがにフェニィ被害を直接受けているだけあって、普通では考えられないような凄惨な想像に行き着いてしまったのだろう。
ならば僕も質問だけに応えてあげるとしよう。
「う〜ん、王子を名乗っても効果が無いんじゃないかな。この研究所は帝国の施設というよりは、悪魔の個人的な施設みたいだからね」
カザード君はぐぬぅと苦々しい顔をしているが、僕に言われずとも理解していたのか反論の言葉は無い。
しかし元々カザード君の力を借りることは計算に入れていない。
もちろん、僕の空術をもってすれば高い塀を飛び越えることだって可能だ。
だが、わざわざそんな事をする必要性も無いのだ。
「僕たちはこれから正しい事をするんだよ? 正面から訪問して、正面から昂然と降伏勧告を出そうじゃないか!」
こそこそ侵入して研究所を制圧する必要も無ければ、不意討ちの奇襲を仕掛ける必要も無い。
何一つ憚ることは無いのだから、研究所職員たちには素直に投降してもらって罪を償ってもらえば良いのだ。
僕の胸を張った提案には仲間たちも満足そうな反応だ。
「それでこそアイス君だよ!」
「…………」
唯一レットだけが不安そうな顔をしているが、いつもの事なので慣れたものだ。
ちなみにレットが不安そうにしているのは、敵が強大だからではなく、仲間たちの暴走を不安視しているからというのがポイントだ。
施設内には昔のフェニィのような被害者たちがいるはずなので、勢いに乗った仲間たちがまとめて殲滅するのではないかと心配しているのだろう。
その心配は妥当なのだが、これで仲間たちも少しずつ成長している。
僕の交渉中に相手を殺害してしまう悪癖は中々改善されないが……十秒も待てなかった昔とは違って、今の皆は三十秒程度の〔待機〕が出来るようになっている。
三十秒――この黄金のような時間があれば充分だ。
交渉相手を瞬殺されてしまうと凄腕交渉人の僕でもお手上げなのだが、会話が成立するだけの時間があれば問題は無い。
『悪魔を引き渡して投降してください!』
『分かりました!』
うむ、僕のシミュレーションでは五秒も掛からないぞ……!
明日も夜に投稿予定。
次回、九一話〔帝国の闇〕