五八話 惜しまれる旅立ち
「アイス様……」
旅立ちの日に相応しい晴れ渡る空。
だが空とは対照的に、目の前の二人は今にも雨が降り出しそうだ。
眼前の二人、ナンさんとカナさんは悲しそうな眼で僕を見ている。
――そう、今日はいよいよ空神邸を旅立つ日だ。
もう帰国予定まで二カ月を切っている。
いくらなんでも、そろそろ先を急がないと間に合わない。
刻限の半年までに軍国に戻らなければ、我慢のできないジーレやシーレイさんが暴走する恐れがあるのだ。
ジーレたちが帝国に攻め入ろうものなら取り返しがつかないことになる。
奇しくも帝国の主力部隊を僕らが壊滅させてしまっているので、為すすべなく帝都が火に包まれるかもしれないのである。
ちなみに――元帝国の主戦力である兄妹から旅への同行を希望されたのだが、丁重にお断りさせてもらっている。
理由は色々とあるが、最たるところは帝国の主力部隊壊滅と無関係を装う為だ。
話し合いがメインの来訪にも関わらず、帝王の元に兄妹を連れていこうものなら目的を怪しまれてしまうのは必定なのだ。
ロールダム兄妹曰く――帝王とは面識が無い上に、今回の襲撃事件には帝王は関与していない、という話ではあったが、帝王本人はともかく側近の人間が事情を把握している可能性がある。
更に加えて、本人たちは自覚していないが、おそらくこの兄妹は帝国全土でも五本の指に入るほどの実力者だ。
肉体系の神持ちに匹敵する身体能力に加えて、武器系の神持ちでもあるのだ。
実際、研究所組のリーダー格であった〔自称・最強の神持ち〕である砕神のマジードより、この兄妹の方が実力は上だと僕は見ている。
マジードという男がリーダー扱いを受けていたのは、悪行に抵抗が無いという点で悪魔にとって扱いやすい人間であったからに違いない。
だが、マカに瞬殺されたことからも分かるように、ポテンシャルは高くとも隙が多い男だったので兄妹を護衛として付けていたのだろう。
そんな帝国有数の実力者である兄妹たちなので、帝国上層部にも兄妹たちの顔は知られていると考えた方が無難だろう。
帝王との会見の場で『あの兄妹は!?』と、兄妹の素性が露見してしまったら話し合いどころではない。
ジェイさんに話は通してあるので、兄妹にはしばらく空神邸でのんびり過ごしてもらって、それから自由に未来を選んでもらうつもりなのだ。
民国でそのまま過ごすもよし、教国で神持ちとしてビップ待遇を受けて生活するのもまた良いだろう。
「――我ら兄妹、生涯を掛けてアイス様にご恩をお返しするつもりであります」
重い……!
兄妹は帝国行きへの同行こそ諦めてくれたのだが、なぜか〔僕の従者になりたい〕という希望を持っているのである。
もっとレットのように『俺たちズッ友だぜ!』と気安く接してほしいものだ。
……照れ屋なレットにそんな言葉を直接言われたことはないが、長い付き合いである親友の思考などお見通しだ――レットボイスでの脳内再生も余裕だ!
そんな兄妹たちだが、僕が帰国するタイミングで軍国を訪れる予定とのことだ。
「そ、そんなに堅苦しくしないでください……もちろん、お二人が軍国へ来るなら大歓迎しますよ」
言葉の通り、兄妹たちが軍国にやって来るのは嬉しいことだ。
しかし、僕の従者になりたいという話は受けるわけにはいかない。
なにしろ軍国での僕は、魔獣を狩ってその素材を売却したりしてはいるものの、基本的には〔無職〕なのだ。
無職の身で優秀な二人を雇い入れるとは、あまりにもあんまりな話だ。
一体どんな仕事をお願いすれば良いのかも分からない。
『お二人の本日の仕事は、僕の仕事を探すことです!』なんて言えるわけがない。
有能な二人に仕事を探してもらうなどとは、ただの無職よりも性質が悪い。
僕の従者などとは人材の浪費としか言いようがないのだ。
そもそも神持ちの実力者である二人なら、仕事だって引く手あまただ。
軍団に入るなり魔獣ハンターをやってもらうなりした方が、よほど有意義というものだろう。
……しかし僕が歓迎すると伝えたせいなのか、ロールダム兄妹が感涙しているのがやりづらい。
なぜこれほどまでに僕が崇められているのか……。
なにやら宗教団体の教祖にでもなった気分になってくる。
ここは教国の聖女を見習って『頭が高いですわ!』などと言った方が良いのか?
いや馬鹿な、僕にそんな非人間的なことが言えるわけもない……!
おっと、落涙しているナンさんにハンカチを渡している場合ではなかった。
僕とナンさんが仲良くしていたせいだろう、ジェイさんが忌々しいものを見る目でナンさんを見ているのだ。
しばらく空神邸でお世話になる二人の為にも、ジェイさんのご機嫌伺いをしておかなくては。
「それではジェイさんもお元気で。――いつか軍国にも遊びに来てくださいね!」
固い握手と軽い言葉を交わしただけで、現金なジェイさんはたちまち相好を崩している。
もちろん、軍国に来てほしいというのは社交辞令ではない。
僕ばかりが空神邸でお世話になってばかりというのも心苦しいので、ジェイさんを王城で歓待したいと考えているのだ。
……王城は僕の家ではないが、他に迎え入れる場所がないのでやむを得ない。
「ありがとうアイス君……必ず、必ず君の元に行くからね」
相変わらず別れの言葉が重いジェイさん。
実際、目下の課題である帝国との関係が改善されれば、ジェイさんが民国を離れるのも難しくはないことだろう。
なんと言っても、平和を体現している僕が帝国を訪れる予定である以上、帝王がこれまでの不行状を悔い改めてくれる事は間違いないと確信している。
ジェイさんが軍国に遊びにやって来る時代が到来するのも、決して夢物語ではないはずだ。
第四部【吹き荒れる嵐】終了。
明日からは第五部【露呈する加護】の開始となります。
次回、五九話〔お決まりの注意喚起〕