五六話 手の届かない親友
空神邸への滞在から一週間。
軍国を発って四カ月以上が経過しているので、約束していた半年以内での帰国が危ういのでは? と思いつつも、食後のティータイムでゆったりとしていた時だ。
「――アイス君も人が悪いなぁ。こんなものを販売していたなんて、ぼくに教えてくれておいても良いじゃないか」
ジェイさんが不満を表明しつつ、テーブルにあるものを置いたのが発端だ。
――それを目にした僕は、思わず自分の眼を疑ってしまった。
まさか、これは……信じられない!?
驚いていたのは僕だけではない。
仲間たちも一様に驚きの感情を露わにしている。
ルピィなどは「あーっ!」と大声を出して、テーブルの上に置かれたものに指を差していたくらいだ。
そして、誰よりも顕著な反応を示したのがレットだろう。
珍しくも紅茶を噴き出すという不作法なことをしているのだ。
……だが、それも無理はない。
「まさか、もう発売されていたなんて……。しかもこれは――月光のレット!」
そう、ジェイさんがテーブルに置いたのはカード――裁定神カードだ!
軍国出立前に僕が手掛けていたものだが、まさか早くも販売していたとは……。
しかもこの〔月光のレット〕は、僕がレア候補として提出した自信作の一つだ。
満月を背景に、巨木の天辺に立つレットがフルートを吹いているという――冷静に考えれば『何をしているんだこの男は?』と言いたくなるような絵なのだが、その有様は幻想的で美しい。
「やっぱりお前の仕業かアイスっ! なんだよこれは!」
僕が裁定神カードの出来栄えに感動していると、話題沸騰中のレットが詰め寄ってきた。
本当は帰国した時に裁定神カードが流行っているというのが理想だったが、これほど大きなリアクションで喜んでくれるなら僕としても満足だ。
「ふふ、これは〔月光のレット〕という作品なんだ。満月の光に照らされたレットが……」
「絵の説明はどうでもいいんだよ! 俺はこのカードが何なのかって聞いてんだ! ……しかもこれ、昔流行ってた武神カードとそっくりじゃねぇかよ」
僕と同じように武神カードを集めていたので、その類似性に気が付いたらしい。
なるほど、一見すると怒っているようにも見えたのはその為か。
「安心してよレット。これは盗作とかじゃなくて、同じ商会が販売している新シリーズなんだ。ちゃんと話も通してあるから訴えられる心配もないよ」
レットは『パクリじゃないか!』と訴訟を起こされる事を心配しているのだ。
かつて武神カードが爆発的ヒットを飛ばしていた影で、無許可の模倣品が出回っていたことが社会問題になっていたのである。
事前説明が無ければ不安にさせてしまうのも当然の事だろう。
「どこに安心するんだよ! 肝心の俺の許可を取ってないだろ! ……待てよ。これが民国にあるって事は、そこら中でこのカードが売られてるのか……?」
そういえば、このカードの入手経路はどうなっているのだろう?
疑問に思って視線で説明を求めると、ジェイさんは嬉しそうに語り出す。
「ぼくはアイス君と出会って以来、軍国の動向には目を光らせていてね。軍国に滞在中の部下がぼくに知らせてくれたんだよ。このカードは軍国だけではなく教国でも爆発的に売れているらしいから、近い内に民国でも発売されるだろうね」
さすがはアイス君が描いたカードだね、と被写体のレットにはまるで触れないジェイさん。
さりげなく軍国に部下を潜りこませている事を告白しているが、それはスパイではないのだろうか……?
いや、両国は敵対関係でもないので、それほど大げさな話でもないだろう。
それにケアリィも、レットの近況を探る為に似たような事をやっていたはずだ。
とにかく、軍国のガバガバ防諜網のことなど今はどうでもいい。
それよりも、裁定神カードが爆発的に売れているという事実が問題だ……!
軍国内だけではなく、教国でも売れているなんて嬉しすぎる話だ。
教国の売り上げについては、きっとケアリィも大いに貢献している事だろう。
あのレット狂いの聖女ならば、箱買いどころか店ごと買い占めていても不思議ではない。
多くの人間の手に渡ってほしいという思いもあるので、あまり無茶な買い占めをしないでもらいたい気持ちもあるのだが……。
贅沢な悩みについて思考していると、ジェイさんがドンと箱をテーブルに置く。
「部下が気を利かせて箱買いしてくれたんだけど、カードの種類が多いから半分も揃えられなかったよ……」
残念そうなジェイさんだったが――僕たちのテンションは爆上がりしていた!
この裁定神カードは、僕も仲間たちも〔企画・設計〕から携わっているプロジェクトなのだ。
待望していた現物があるわけなので、高ぶる気持ちを抑えられないのも当然だ。
その中でも、描画の段階から熱心に品評していたルピィが我先にと飛びつく。
「あった、あったよアイス君! ほら、太鼓のレット君だよ!!」
大喜びで見せてくれたのは、ルピィ一押しの〔太鼓を叩くレット〕だ。
言わずと知れた、上半身裸のレットが太鼓を叩いている傑作である……!
素晴らしい……なんという完成度だ!
これは相当に名のある彫師を選定してくれたのだろう。
まるで生きているような躍動感だ。
目を閉じれば太鼓の音が聞こえてくる――『てやんでぇ! 太鼓の達人レットとは俺のことでぃ!』と言うレットの声も聞こえてくる……!
高い買い物だったが、レットに太鼓をプレゼントして正解だった。
これほどの絵で描かれていながら太鼓のバチを握ったこともないともなれば、レットのファンに失望されてしまうところだったではないか。
「こ、これが一般に流通しているのか……」
太鼓を叩く自分の姿を見て、レットも感嘆の声を漏らしている。
しかし……レットは太鼓のバチを持っているわけだが、見ようによってはバチが武器のようにも見える。
こうなると思い出すのは、教国のルージィちゃんたちだ。
そう――棒神と杖神の二人の武器と被っているのだ……!
あの二人がこのカードを見れば『私たちのアイデンティティが!?』と心配になるかもしれないな……今度二人に手紙でも書いて、レットはバチで闘ったりしないと伝えておくとしよう。
「くそっ……アイスがよく分からん楽器を贈ってきた時点で気付くべきだった」
レットが悔しそうな声を上げている。
ふふ、まんまとサプライズで驚かされてしまったのが悔しいのだろう。
太鼓やフルートをプレゼントした時は不審そうにしていたのだが、さすがにこんな裏があるとは想像出来るはずもないのだ。
この裁定神カード計画に協力的だったナスルさんからも、レットの為に音楽室を用意してもらっているという本格的な計画だ。
早々簡単に目論見を読まれたりはしないのだ。
当然レットは、楽器と部屋まで用意されて演奏しないなんて薄情な男ではない。
僕たちも一緒になって色んな楽器を試していたので、ナスル城での演奏ブームが到来してしまったくらいなのだ。
演奏ブームでごく自然に仲間たちも楽器を演奏していた事もあって、レットは当初の不信感を拭い去っていたのだろう。
おっと、そういえば肝心な事をレットに伝えていなかった。
「もちろん、裁定神カードで得た利益のほとんどはレットのものだからね。おそらくは莫大な金額になると思うから、そのお金で王都にレットの家を建てるのはどうかな? 〔裁定神御殿〕が完成した暁には、シークおばさんも王都に呼び寄せようよ!」
将軍を打倒した時の褒賞金は『俺はアイスに付き合っただけだ』などと言って受け取らなかったレットだが、今回ばかりは快く受け取ってくれる事だろう。
もし拒否されたとしても、勝手にレットの家を建てて、勝手にシークおばさんを呼び寄せてしまえばいいのだ……!
シークおばさんはレットの母親であり――僕のもう一人の母親でもある。
親孝行の一環と考えてもごく自然な事だろう。
子供の頃は裁定神持ちという事もあって差別的な扱いを受けていたレットが、今や国の英雄である。
しかも裁定神カードが爆発的に売れているという事は、もはや疑いようもなくレットは人気者になっているはずだ。
大スターのレットが帰国しようものなら〔おかえりなさいパレード〕が行われてもおかしくない――――いや、僕が実行しよう!
きっとナスルさんも全面協力してくれる事だろう。
軍国に帰るのが楽しみになってきたなぁ……。
あと二話で第四部は終了となります。
明日も夜に投稿予定。
次回、五七話〔予見のカード〕