四六話 防衛戦
今の儂は山を下りて、ある村を訪れている。
帝国で指名手配をされている身で民国の村を訪れるのは望ましくないが、今はそうするだけの事情があるのじゃ。
この儂――ドジャル=ステロールズの名を帝国貴族で知らぬ者はいない。
かつて悪徳貴族を標的にして盗みを働いていたレギオン盗賊団。
現在も幹部に懸賞金が掛けられている、儂が団長を務めていた盗賊団じゃ。
儂のレギオン盗賊団は帝国全土に名を馳せておったし、儂の投擲術をもってすれば貴族の私兵たちは近付く事も出来なかったものじゃ。
じゃが、それも今は昔。
神の投擲などと持てはやされていたのは、もう二十年以上も前の話じゃ。
今の儂は山奥で隠遁生活を送るただの隠者――いや、隠者じゃった。
もう俗世に関わることなど無いと思っておったが……毎日山奥に顔を出して無聊を慰めてくれた若者、歳の離れた若い友人が危機に見舞われておる。
ならば、むざむざ見捨てるわけにもいくまい。
それにこの若者――空神持ちのジェイは、帝国で賞金首になっている儂を民国で黙認してくれていた。
受けた恩は返すのが、この投神ドジャルの矜持じゃ。
以前に海で神獣が暴れ回っていた時には、儂が協力を持ち掛けても断られた経緯があるのじゃが、今回はジェイに直接の危険が迫っておる。
儂も今回ばかりは引くわけにはいかぬ。
「あぁ……アイス君に会いたいなぁ」
この若者は努力を嫌う神持ちには珍しく、普段から自己研鑽を怠らない見上げた男なのじゃが……〔男が好き〕という困った性癖を持っておる。
目下のお気に入りは、武神の息子――アイス=クーデルン。
アイス坊と会った時には言わんかったが、儂は武神と戦場で会ったことがある。
正確には、遠目で見たことがある――圧倒的な武力で帝国兵を蹂躙する怪物を。
それは異様な光景じゃった。
当時まだ子供だった武神に、帝国の神持ちが次々に殺されていったのじゃから。
儂は遠目でそれを目撃しただけで、怖れをなして戦場から逃げ出した。
帝国軍を脱走して盗賊になったのは、そのすぐ後の事じゃった。
軍に残ってまたあの怪物と相対するようなことになるのが、ただただ恐ろしかったのじゃ。
弱者から物を盗むような真似はしたくなかったので悪徳貴族ばかりを獲物としていたら、いつの間にか義賊などと呼ばれるようになっていたが、儂などただの臆病者に過ぎん。
何の因果なのか……まさか盗賊稼業を引退した後に、武神の息子と縁ができるとは思わなかったが……。
あの怪物の息子とは思えないほどに華奢な優男だと思っていたが……あの子、アイス坊は紛れもなく武神の息子じゃ。
めんこい顔をしてアイス坊ときたら…………いや、今はアイス坊の事はいい。
今はそれどころじゃない。
「ジェイよ、現実逃避をしておる場合か。お主はここの防衛の要じゃろうが」
そう、儂たちはジェイを中心として村に防衛線を築いている。
民国を揺るがしている〔賊〕の襲撃に備える為に。
約二週間前より始まった村々の襲撃事件。
それは単なる盗賊の仕業などではない。
賊共は全てを奪う――財産も人の命も、余すことなく全てを奪う。
盗賊とはいえ、村を襲って村人を皆殺しにするなどとは尋常ではない。
しかも次々に村を襲っているとなれば、国に喧嘩を売っているようなものじゃ。
もちろん、民国も黙って見ていたわけではない。
賊の討伐には、民国の保有する神持ちたちも動いておる。
だが……未だに賊は健在であり、討伐に向かった神持ちたちは一人として帰還していない。
そう――賊の中には神持ちがいたのじゃ。
それも一人ではなく、複数の神持ちの存在が確認されておる。
そして、それほどの人材を集めることが出来る組織となれば、もうそれは〔国〕でしかあり得ない。
賊の特徴からも、一連の襲撃事件は帝国によるものだと考えるのが妥当じゃ。
じゃが、これが帝国による侵略行為だとすると不可解な点が多い。
なぜか賊共は民国の首都を狙うわけでもなく、辺境の点在している村々を一つずつ壊滅させていっておる。
……それはまるで遊んでいるかのようなやり口じゃ。
しかしこちらを舐めきったような賊の行動は好都合でもある。
近い場所から手当たり次第に襲われているので、こうして次に襲撃が予想される村へと防衛線を敷くことも難しくはないのじゃから。
現在この村には、ジェイを筆頭として何人もの神持ちが潜入しておる。
本来であればどのような相手であろうと問題にはならないはずじゃが、しかし今回ばかりは嫌な予感がする。
儂をこの歳まで生き永らえさせた直感が、今回の相手は一筋縄ではいかないと訴えておるのじゃ。
じゃから儂が老骨にムチを打ってまで出張ってきておるというのに……ジェイは軍国のクーデターの話を聞いてからというもの、ずっと塞ぎ込んだままじゃ。
アイス坊が起こしたクーデターに呼ばれなかったから気落ちしているみたいじゃが、ジェイを呼び寄せるまでもなく敵を蹴散らしただけじゃろうて。
「アイス坊ならその内…………ジェイ、来よったぞ」
「――そのようだね」
流石に切り替えが早い。
先程までは情けない顔を見せていたが、敵を前にすれば一瞬で戦士の顔になる。
村へと近付いてくる連中を補足したのは儂とジェイだけではない。
なにしろ遠目にも明らかなほどの大群だ。
儂らでなくとも気付いて当たり前じゃ。
……ふむ、どうやら百人は越えているらしい。
近隣の盗賊団を支配下に置いているとは聞いていたが、予想以上に数が多い。
村人から動揺の声が広がっているが、実際はまだ恐れるような段階ではない。
神持ちを前に雑兵がいくら集まったところで、さしたる意味はないのじゃから。
――ジェイが軽く腕を振る。
その小さな動きに連動するように、次の瞬間には盗賊たちを包み込むような〔巨大な竜巻〕が発生していた。
この竜巻は、〔風術〕によるものだ。
ジェイは空神持ちではあるが、近い属性である風術も高い水準で使いこなす。
おそらくは、本家の風神持ちに勝るとも劣らないほどの強力な風術じゃ。
しかも、あらかじめ村の周囲には石片やガラス片を蒔いてある。
殺傷力を高められた死の竜巻に飲み込まれようものなら、もう為すすべは無いじゃろう。
無論――神持ち以外の人間は、だが。
盗賊共をまたたく間に一掃したジェイに村人たちから歓声が上がるが、次第にそれは困惑したような声へと変化していった。
それもそのはず、砂煙が消えた後にはまだ人影が残っておる。
――それも九人もだ。
多い……予想より遥かに多い。
九人の中には竜巻を躱したものもいれば、直撃した状態から耐えたものもいる。
どちらにせよ常人が可能とする芸当ではない。
全員が神持ちと考えておいた方が無難じゃろう。
しかしこいつはまずい。
ジェイの部下には三人の神持ちがいるが、戦闘系の神持ちでもなければ際立った実力者でもない。
ジェイは稀に見る強者だが……さすがにこの戦力差では勝ち目が薄いだろう。
「――てめえぇ! 何しやがる!!」
竜巻の直撃を受けていた男が雄叫びを上げて猛進してくる。
体中を血だらけにしているが、大きなダメージが通っている形跡はない。
術者がジェイだと分かっているのか、ジェイだけを視界に入れているようじゃ。
そして――走ってくる男が一人だけ突出した恰好になっているにも関わらず、他の連中は後を追うわけでもなく、男のフォローをする気配すらない。
仲間意識が希薄なのか、男の強さを信頼しているのかは分からんが、これは儂らにとっては悪くない傾向じゃ。
人数で劣る以上、各個撃破が出来るならそれに越したことはない。
男は尋常でない速度でジェイに殴り掛かるが――逆に、ジェイの上段蹴りが男の顔に突き刺さる。
完全にカウンターの形で入った蹴りに、突撃してきた男は吹き飛ばされた……が、男に攻撃が効いた様子はなく、より強い怒りを目に宿して起き上がった。
ちっ……身体能力に特化している〔肉体系の神持ち〕か。
これはジェイとは相性が悪い。
元々ジェイは戦闘系の神持ちではないので、この手の手合が相手では一撃で決定打とはいかんのじゃ。
それでも時間を掛ければ打倒出来るじゃろうが、人数で劣っている現状において短期決戦で終わらせられないのは痛い。
現に、残りの八人がこちらに近付いてきておる。
こうなれば儂がやるべき事は――大将首を取ることしかないじゃろう。
頭がやられて瓦解する連中かは不明だが、どのみちこのままじゃジリ貧じゃ。
一か八か、全身全霊を込めた一撃で殺るしかない。
儂は無力な老人を装い、静かにその時を待った。
ジェイたち以外の神持ちも戦端を開いているが、儂はじっと動かない。
俯瞰して戦況を見ていれば、すぐにそれが分かった。
敵の神持ちたちはそれぞれ好き勝手に闘っているが、ふとした時に一人の男へと視線を向けておる。
賊の中で戦闘に参加せずに眺めているだけの奴等がいるが、その内の一人じゃ。
その男は指示を求めるような仲間の視線に応えることなく、へらへら笑いながら死闘を観賞しておる。
こいつに間違いないはずじゃ。
儂は息を潜めて、男に隙が生まれる瞬間を計った。
――そしてその時は来た。
こちらの一人が倒され、男の注意がそこに向いた刹那――儂はナイフを投げた。
殺った、完璧なタイミングだ……!
儂は内心で成功を確信した…………が、それは甘かった。
投げたナイフは――ガンッ、と隣に立っていた男の手甲に弾かれた。
戦場となっている場で無関心に立ち尽くしていた男が、唐突に動いたのじゃ。
しかし速い、速すぎる。
全くこちらに注意を払っていなかったはずなのに、なんという反応速度じゃ。
投擲の瞬間、わずかに儂から漏れ出てしまった殺気に反応されたらしい。
歳は取りたくないもんだ……。
昔の儂ならこんな無様を晒さなかったことだろう。
儂のナイフを弾いた男が無表情のまま飛び込んでくる。
……こいつは避けられねぇな。
死を覚悟した儂の脳裏に記憶が流れていく――これが走馬灯ってやつか。
軍にいた頃の記憶。盗賊団の頃の記憶。
そして、アイス坊たちと暮らしていた頃の記憶。
最後にもう一度、アイス坊の顔が見たかったのぉ……。
――ドゴッ!
爆発音が聞こえた。
……いや違う。これは男が蹴り飛ばされた音だ。
「もしやと思えばドジャルさんじゃないですか! いやぁ……年齢が年齢だけに老衰でお亡くなりになっているのかと心配していましたが、お元気そうでなによりですよ!」
からかっているわけでもなければ悪意があるわけでもない、ただ素で慇懃無礼なだけの態度。
そしてなにより、儂のような老いぼれと会っただけでこれほど嬉しそうな顔をする人間など――この少年以外に知らない。
「久し振りじゃのぉ――アイス坊」
明日も夜に投稿予定。
次回、四七話〔戦場の支配者〕