三八話 検証すべき疑惑
「――っぐ! はぁっはぁっ……馬鹿なっ、何故こんな猫に勝てないのだ!?」
昼休憩がてら皆で戦闘訓練をしていると、アイファが悔しそうにボヤいた。
しかしアイファの声が屈辱に塗れているのも当然だ。
今のアイファは仰向けに寝た状態で僕の治療を受けているが――マカが顔をポコポコ叩いて挑発しているのだ……!
まったくマカめ……。
ルピィの影響なのか、すっかり煽り技術が高くなっているではないか。
もしかしたら、これまでマカは仲間内でやられる一方だったので、勝てる相手の出現に浮き足立っているのかもしれない。
アイファが「うぬぬ……」と憎悪を剥き出しにしているので、アイファの為にもマカの為にも僕が仲裁しておくべきだろう。
「からかったりしたら駄目だよマカ。ほら、レットと遊んでなよ」
僕はマカの両脇に手を入れて引き剥がし、レットの方へと送り出した。
レットはセレンと模擬戦をした影響で意識を失っているが、マカの遊び相手なら喜んで務め上げてくれることだろう。
うむ、レットなら意識を喪失しているぐらいは問題ない。
「アイファもそんなにガッカリする必要は無いよ。マカはあんなに小さくても神獣だし、もう半年以上もみっちり鍛えてるからね」
そしてアイファがマカを恨まないように、マカは訓練された神獣なのでアイファが勝てなくても仕方がない旨を強調しておく。
これ以上マカの敵を増やすのは危険なので、禍根を残さないようにしなくては。
「あの大きさで本当に神獣か……くそっ、なんて卑怯な奴なんだ!」
何も卑怯なことはしていないのに、マカが卑怯者にされてしまっている……。
見た目で油断を誘っていると言えなくもないが、マカとて好き好んで小さな身体でいるわけではないのだ。
僕も外見で弱そうだと判断される事が多いので、なにやらマカには共感を覚えてしまうものがある。
「ダメダメだね〜、アイファちゃん。今日だけで〔三ロブ〕じゃないの、もっと根性入れなきゃ!」
歯軋りして悔しがっているアイファに、ルピィが励ましの言葉を贈っている。
ちなみに〔三ロブ〕とは、ルピィが勝手に使っている単位だ。
模擬戦中によく心臓を止めていたロブさんにあやかって、心停止一回につき〔一ロブ〕などと呼んでいるのだ……!
ルピィの恐ろしいところは、悪意を持って陰口を叩いているわけではなく、自然体でそんな事を言っているところだろう……。
そして、すでに騙されやすくて流されやすいアイファが「三ロブか……」などと、知ったような口を聞いてしまっている。
――ロブさんに会った事すらないのに……!
だが、あれでルピィは真面目に励ましているつもりなのだ。
せっかく仲良くなりつつある二人の会話に口を挟むのも気が引ける。
とりあえずこの二人の事は棚上げにして、僕は食事の準備をするとしよう。
今日の食事は重要な意味を持っている。
結果如何によっては、今後の方針すら左右されてしまうことだろう。
そう、つまり今回は――〔検証〕を兼ねた食事なのだ。
――――。
「おぉ、これはクリームシチューか。……うむ、見た目は満点をやろう! だが肝心の味はどうかな?」
なぜか批評家気取りのアイファだ。
しかも早速〔甘々審査員〕のアイファに満点をもらってしまった。
そして今日のお昼ごはんはクリームシチュー。
――そう、ペロリ誘発メニューだ……!
以前にレットとの議論の対象になった疑惑を、ここで実証しようというわけだ。
食い意地の張ったアイファは、シチュー皿をペロペロしてしまうのか……?
……もちろんこの実験は、アイファを馬鹿にしているものではない。
これは悪意のない確認作業だ。
もしもアイファが皿をペロリンするようなら、優しく注意してあげて正しいテーブルマナーを教え込む必要があるのだ。
かつてのフェニィも豪快な食事作法をしていたのだが、少しずつ少しずつ矯正していった結果、今となっては立派な淑女に成長している。
……現在はフライングしてシチューを先に食べているが、フェニィの好物メニューでもあるのでこれくらいは仕方がないだろう。
幸せそうにシチューを口に運ぶフェニィに触発されたのか、アイファも負けじと食事を開始する。
さて、これからどうなるか。
これは僕の料理とアイファのプライドとのぶつかり合いとも言えるのだ。
かつて意見が対立したレットには、見届け人として裁定者として――厳正な判断を下してもらう必要がある……!
僕がそんな意思を込めた視線をレットに送ると、鋭い親友には正確に意図が伝わったようだ。
レットは「ねーよ」と言いたげに首を振ったが、よく観察するとその表情には「もしかしたら……」という不安も見え隠れしている。
――そしてその言い知れぬ緊張感は、本人にも伝わってしまった。
いつもは鈍感ガールの名を欲しいままにするアイファなのだが、僕らが固唾を呑んで彼女の食事を注視している事に気付いてしまったのだ。
察するに、『シチューを取られるのでは?』と周囲を警戒していたようである。
「な、なんだ貴様ら……何を見ているのだ」
困惑したような様子のアイファから、僕とレットに詰問の声が飛んできた。
……これはいけない。
正直に伝えようものなら、間違いなく怒られてしまう事だろう。
かといって、アイファに嘘は吐きたくない。
ここで僕に要求されるのは――アドリブ能力……!
「ああ、気にしないでアイファ。レットは、君がシチュー皿を舐め回すんじゃないかと心配しているだけなんだ」
「アイス、お前っ!?」
正直に答えた僕に、レットの怒りの声が上がった。
だが、僕は一つたりとも嘘を吐いていない。
実際にレットが少しでも疑って心配していたのは事実なのだ……!
「なんだとっ! ……レット=ガータス、それは本当か?」
一瞬で激昂しかけたアイファだったが、気を静めるように息を吐きながらレットへ真偽を問い質す。
このアイファの反応の裏側には――僕の言葉に対する信頼性の低さと、レットの言動への信頼性の高さが関係しているのだろう。
人を疑うことを覚えてくれた成長ぶりには安心してしまうが、その対象が僕ともなれば喜びも半減だ。
だが……今回ばかりは、僕は嘘を吐いていないのだ。
「ち、違、違わないが……待ってほし――」
「――きっさまぁぁ! 私をそれほど卑しい人間だと思っていたのか!?」
レットが正直に疑惑を肯定したので、アイファが怒りを爆発させてしまった。
そう、レットはアイファが皿を舐めるわけがないと思いつつも、わずかな疑心を捨て切れずに心配していたのだ。
むしろ僕の方が強い〔ペロペロ疑惑〕を持っていたのだが、僕の巧みな話術によって怒りの矛先はレットだけに向いてしまったのである。
そして弱っている人間が目の前にいて――あの人が見逃すはずもない……!
「ヒドイよレット君! アイファちゃんがそんな事をすると思ってたの!?」
手に持ったスプーンを突きつけて、喜々としてレットを糾弾しているのは……言わずと知れたルピィだ。
ルピィは全ての事情を把握しているはずなのだが、そんな些事は気にすることなく活き活きとレットを責め立てている。
激怒したアイファが槍による連続突きを放つが――なんとレットは〔スプーンで捌く〕という離れ業で対応しているではないか……!
うむ、さすがはレットだ。
最近は腕を上げてきたアイファの攻撃にも関わらず、完全に見切っている。
――そんな牧歌的な光景に、僕は心の平穏を感じていた。
レットも元気になって本調子を取り戻しているし、皆も各々楽しそうだ。
平和とは素晴らしい……願わくば、荒廃ぎみである教国の西側にも平和を届けたいものである。
明日も夜に投稿予定。
次回、三九話〔窃盗耐性〕