三六話 繋がれた旅立ち
教国で僕らがやるべき事は終わった。
元々アイファの引き継ぎもあったので二週間の滞在予定だったが、予知夢絡みのゴタゴタもあったので、もう三週間が過ぎてしまっている。
いくらケアリィたちに引き留められようとも、いい加減に旅立つ時だろう。
「レット様。この男と共に行動などしていれば、いつまた毒殺されないとも限りません。どうか、教国に残って下さいまし……」
当然ながら、ケアリィに引き留められているのはレットだけだ。
今回は姉妹の護衛を肩代わりしていたこともあって、前回よりもさらに濃い時間を共に過ごしていたのである。
レットと離れがたい気持ちが強くなるのも無理はない。
しかし――これは聞き捨てならないことだ……!
「失礼だよケアリィ、あれからもレットは成長しているんだ。今のレットにはどんな猛毒だって効かないよ!」
「あれからも? ……っ、まさか貴方、非道な所業を悔い改めることなく、またレット様にご迷惑をかけていたのですか!」
「おっと、ケアリィ。君は誤解をしていないかな? ちゃんとゆっくり少量ずつ毒に慣らしていったに決まってるじゃないか」
ケアリィが誤解をしているようだったので、思い違いを正しておく。
そう、期間に余裕があれば、強い毒を一度に摂取するような必要性はないのだ。
「待て、アイス。そんな事が出来るなら――なぜ私と聖女様が死にかける必要があったのだ!」
アイファが怒りを思い出したように文句を言ってくる。
やれやれ……まだ二年前の事なのに、もう忘れてしまったのだろうか?
「ほら、あの時はレットがすぐにでも旅立とうとしていたからね。急ぎなら強目の毒を使うのも仕方ないだろ? まぁ、ケアリィとアイファは〔ついで〕だったけどね!」
「つ、ついでだと……ついでで私と聖女様は死の境を彷徨ったのか。……そしてなぜこの男は、そんな事を悪意の無い笑顔で口にできるのだ」
呆然としたままブツブツ呟いているが、精神状態は大丈夫なのだろうか……?
今日からはアイファも旅の仲間になるわけなので、少しづつ毒を投与していくつもりではあるが、今日は〔幻覚系〕の類を控えておいた方が良いかもしれない。
神持ちの適応力は異常なほどに高いので、アイファもすぐに毒へ慣れてくれることだろう。
小さな身体のマカでも、今となっては毒肉を生で齧っても平気なくらいなのだ。
……マカの食事に毒を混ぜていたことを教えてあげたら、怒ったマカに僕が齧られてしまったこともあったのだが。
たしかに仔猫に毒物を食べさせると聞けば、虐待の香りがしないでもない。
だが、マカの身体が慣れるまでは微量の投入量でしかなかったのだ。
毒とはいえ適量ならば、香辛料のように料理の味を引き締める効果すらある。
胡椒や唐辛子を料理に入れて怒られる事があるだろうか?
……いや、あんまりない!
まったく、あの時は運が悪かった……想定よりマカの食事量が多過ぎたせいで、毒を摂取し過ぎてしまったのが誤算だった。
なにしろ食後に――マカが身体を痙攣させていたのだ……!
しかし、安易に僕が解毒術を行使してしまってはマカに毒耐性が身につかない。
僕は助けてあげたい気持ちをぐっと堪えて、マカを甲斐甲斐しく看病してあげるに留めたのである。
そして元気になったマカに――『実は料理に毒が入ってたんだよ。食べ過ぎは文字通り〔体に毒〕って事だね!』とカミングアウトしてあげたら、マカが激怒してしまったのだ。
「……レット様。やはりこの男とは縁を切るべきではありませんか?」
相変わらずのケアリィが僕とレットの仲を引き裂こうとしているが、それしきで揺らぐ友情ではないのだ。
ともかくあの二人は置いておいて、僕も別れの挨拶を済ませておくとしよう。
「それじゃあ、ルージィもロージィも元気でね。落ち着いたら軍国にも遊びに来るといいよ」
これから僕は民国経由で帝国に向かう予定だ。
すぐに姉妹たちが軍国に向かっても僕はいないのだが、帝国の一件さえ片付けてしまったら話は別だ。
主のケアリィに軍国へと表敬訪問でもしてもらえれば、必然的にこの二人も付いて来ることになる。
レットに会う為、将来的にケアリィが軍国を訪れる可能性は低くないだろう。
「……もう、教国には来ないのか?」
寂しそうな声音で問い掛けてきたのは、いつもの強気さが鳴りを潜めているルージィだ。
この子とは初対面こそすれ違いがあったが、今となってはすっかり友達なのだ。
「いつになるかは分からないけど、またここに来ると思うよ。教国には友達がいるからね!」
そう言いながらルージィの手を握り締めると、「や、やめろバカ……」と弱々しい反発の声が返ってきた。
うん、この子も素直になってきたものだ。
最初の頃なら、すぐに手を振りほどいて握手の代わりに棒が飛んできていたことだろう。
そしていつもの如く……ロージィが背中を向けつつ、首だけを傾けて僕らを覗くという奇怪な行動を取っているので、平等にこちらもフォローしておくとしよう。
ロージィは後ろを向いているが、それくらいでは握手巧者である僕にとっては障害にもならない。
そう、後ろからロージィと握手をすればいいだけだ……!
「――ひょわっ!?」
ロージィは予想外だったのか、お馴染みの奇声を上げて驚いている。
傍から見れば後ろからロージィを抱き締めているようにも見えるが、僕はそんな不埒な真似はしない。
ルピィからも『女の子に気安く触るのは禁止!』と厳命されているのだ。
だから僕が触れているのは〔手〕だけだ。
身体には一切接触していない。
握手程度の接触なら、ルピィ言うところの『風紀が乱れるから禁止!』には抵触していないはずだろう。
そもそも、この僕が道徳に反する行為をするわけがない。
恋人でもない女の子を抱き締めるような真似など言語道断だ。
「……もちろん、ロージィも友達だからね?」
驚かせないように耳元で小さく囁いてあげたが、あまり効果は無かったらしく「ふぇあっ!?」と大きな反応が返ってきた。
しかしなるほど……『フェア!』ということは、姉妹に対してフェアな対応を取ったことを評価してくれたようだ。
この子は断片的な言葉が多いのだが、僕のような会話巧者にとっては問題にもならないのだ。
だが残念ながら……まだまだ余所余所しい反応だと言わざるを得ない。
かれこれ三週間も一緒に鍛錬をしていたのに、ロージィと心の距離が近付いた気がしないのは残念だ。
しかし、それは僕に限った話でもない。
この子はお姉ちゃん以外とはまともに会話が成立しないのだ。
神持ちには珍しいタイプなので、もう少し色んな事を話してみたかったのだが。
……いや、諦めるのはまだ早い。
この出発間際の弛緩した空気ならば、急接近出来るチャンスではないか……!
都合の良いことにロージィとの物理的距離も近くなっている。
よし、このまま一気に――
「――アイス君。そろそろ出発の時間じゃないかな? ……ふふっ、こんな事もあろうかと〔馬車〕を手配しておいて良かったよ」
はて。こんな事とはなんだろう、何かあったかな?
そして何故、僕の首にロープの輪が掛けられているのだろうか……?
〔馬車〕と〔僕の首に掛けられたロープ〕。
なんだろう……この組み合わせには不吉なものを感じてしまう。
まるで、馬車で僕を市中引き回しにするかのようではないか。
……まさか、まさかね。
僕を家畜のように引っ張っていくルピィに、アイファが「二人とも、さらばだ!」と、あっさりした別れの言葉を残してついてくる。
気のせいか、急いで姉妹から僕を引き離したいかのようだ。
見世物のように首にロープを掛けられている僕だが、仲間たちの誰一人として気にしていないのも引っ掛かる。
ケアリィに捕まっていたレットも小走りで合流したが、やはり見て見ぬフリをしている。
当然のようにマカもフードから脱出しており、僕と一定の距離を保ちながらトコトコ歩いているのだ。
そして自然な流れで――ルピィがロープを馬車の後部に結び付けている!
ケアリィたちと別れてきたが、僕は無事に教国を出国することが出来るのか?
そんな僕の思いと僕の身体を置き去りにして、馬車は走り出してしまった。
明日も夜に投稿予定。
次回、三七話〔広がる格差社会〕