三五話 開かれた玉
襲撃騒ぎから一夜明けた翌朝。
早くに起きてレットの寝姿を観察していると、次第にレットの意識が覚醒していくのが分かった。
「――――夢、観てないだろ?」
レットは寝起きだったが、僕は待ちきれずに質問してしまった。
だが実際、聞くまでもなく返答は分かっている。
予知夢が続いている最中のレットは、寝ている時には毎晩うなされているのだ。
しかし、昨晩のレットの寝顔は安らかだった。
もちろんそれにはケアリィの睡眠術による影響もあるだろう。
しかしなんと言っても、今朝の時点で――姉妹が生きている。
女の子の寝顔を覗き見るのは失礼ではあるのだが、僕は起きて早々に姉妹たちの生存を確認しているのだ。
だからレットに尋ねたのは事実確認でしかない。
それに裁定神の予知夢は外れた事がないという事実もあるので……本当にわずかだが、不安もある。
僕の断定的な質問から数瞬――起き抜けのレットはサッと窓の外を見た。
「もう、朝だよ。それに、二人とも無事だ」
おそらくレットは、まだ夜が終わっていないのではないかという疑惑を咄嗟に確認したのだろう。
つまり、夢を観ていないのは〔自分が寝ていないからでは〕と、疑ったのだ。
これまで散々苦渋を舐めさせられてきた予知夢だ。
レットが慎重になるのも理解出来る。
そして続けて不安になるであろう姉妹の安否についても、僕は先回りして答えておいた。
レットはベッドから起き上がる事すら忘れたまま、まだ夢の世界にいる姉妹に視線を向けてから…………ようやく、重い息を吐いた。
「ああ、予知夢は、観て、いない……」
レットの声は震えていた。
激情を抑え込もうとしているように、力強い手で自分の膝を握り締めている。
ずっと、ずっと、レットを縛っていた重荷が解けたのだ。
僕の想像では及びもつかないような――いや、軽々しく理解したつもりになる事も許されないような、度し難い重圧に苦しめられてきたはずだ。
だから……レットが男泣きしているのも当然なのだ。
どれだけ苛烈な鍛錬でも、父親の死を伝えられた時にすら、決して涙を見せなかったあのレットが、声を殺して泣いているのも……当然なのだ。
――僕だって、泣いていた。
普段ならば自己抑制を試みるところだが、今この時に落涙してしまうのは恥ずかしいことではない。
だが、レットは泣き顔を見られたくはないだろう。
「それじゃあ、僕は朝食の準備をしてくるよ」
この場で僕に出来る事は何も無い。
レットを一人にしてあげるべきだ。
部屋の皆は、まだ寝ているのか目を覚ましているのかは分からないが、レットの邪魔をするような無粋な真似はしないだろう。
僕はレットの返事を待たずに部屋を出た。
こうなれば、今日は朝からお祝いパーティーだ。
姉妹の生命が助かった事、予知夢を覆せる証明が出来た事のお祝いである。
こうして無事に予知夢が終結した以上、姉妹たちにも説明しておくべきなのだ。
別に手柄を誇りたいわけではない。
むしろ黙ってコトを進めていた件について、謝罪する必要があるくらいだ。
姉妹たちに、そして聖女であるケアリィに予知夢回避を伝えておく必要があるのは――裁定神持ちの今後の為だ。
裁定神の予知夢は絶対的な真理。
それが教国――いや、大陸全土での常識だ。
だが今回の一件で、その定説は覆ったのだ。
死の運命から逃れられる術があるならば、その事実を広く知らしめるべきだ。
僕の仮説では、強力な神持ちの介入があれば裁定神の予知夢は打ち崩せる。
……論拠が〔勘〕でしかないのが説得力に欠けるのだが。
しかし仮説が正しかったとしても、一個人の力での対応は難しいだろう。
神持ちですら貴重な存在なのに、裁定神より強い影響力を宿したものとなると簡単に見つかるような人材ではない。
ケアリィに――聖女に、お願いするのはその点だ。
発言力が強い聖女ならば、国が裁定神持ちをバックアップする体制作りを整えることも不可能ではないだろう。
そうなればこれから先、裁定神の予知夢での犠牲者が激減するはずだ。
もし都合良く神持ちが見つからなくても、聖女――治癒神持ちが予知夢に介入すれば、おそらく未来は変えられる。
常に治癒神持ちが存在する教国という国は、そういう意味でも都合が良い。
レットの未来にも関わる事なので、ケアリィも前向きに検討してくれるはずだ。
――――。
大聖堂の食卓には関係者が勢揃いしていた。
僕と仲間たち、それからケアリィに姉妹たちだ。
「こ、これは朝から豪勢な料理ではないか。不埒者を撃退した祝いなのか?」
早朝から腕によりをかけて作った料理の数々に、他の誰よりも大きな反応をしているのは食いしん坊なアイファだ。
もう待ちきれないとばかりにあちこち目移りしている。
しかし、ケアリィと姉妹の視線は料理に向いていない。
というより、ケアリィたちの反応が自然なのだ。
この部屋には、料理よりも目を引くものがあるのだから。
ケアリィたちの視線の先には天井から吊るされた大きな球体――そう、〔クス玉〕だ!
今回の件が成功に終わることは確信していたので、前もってルピィと一緒に準備していたのだ……!
せっかくなのでサプライズ要素を盛り込みつつ、姉妹に予知夢の回避を知らせようというわけである。
疑り深いケアリィが『またあの慮外者がロクでもない事を考えてますわ』と言いたげな冷たい目で僕を見ているが、そんな視線に晒されるのもクス玉を開くまでだ。
「……アイス=クーデルン、今度は何を企んでいるのです」
うむ、ほぼ思考予想は合っていた!
レットがこの場にいるからか、ケアリィは口調こそ穏やかなのだが、その酷薄とした視線が意味するものは明白だ。
もはや僕とケアリィは以心伝心。
着々と親友への道を歩み進んでいることだろう。
「ふふ、慌てない慌てない。でもそうだね、料理が冷めちゃうのは本意じゃないから、早速いってみようか――さぁ、パンパカパーン!」
僕は自前の効果音を発声しつつ、勢いよくクス玉の紐を引いた!
パカッと開いたクス玉からは、色とりどりの紙吹雪。
そして一緒に落ちてきた垂れ幕には――
「えっ!?」「お姉ちゃん……」
姉妹の顔色が変わった。
しかしそれも無理はない。
落ちてきた垂れ幕には『ルージィ、ロージィ。裁定神の予知夢おめでとう!』と書いてあったのだから…………って、えぇっ!?
大事な〔回避〕の文字が抜けている!
これではまるで――『死亡宣告おめでとう!』みたいじゃないか!
しまった……垂れ幕の文字をルピィに任せて確認しなかったのが失敗だった。
これは手抜かりなどではない、明らかに恣意的な所業だ。
にっくきルピィが、困惑している僕を指差して笑っているので間違いない……!
いかん、姉妹の顔が軽く絶望ぎみになっている。
早く誤解を解いてあげねば。
「ち、違うんだ二人とも! 予知夢は本当にあったけど、もう昨日で終わってるんだよ!」
ルピィめ……なんてシャレにならない事をしてくれるのだ。
ルピィの悪辣さには義憤を覚えるが、しかし姉妹たちのこの反応には悲しくなってしまう。
本当に僕が『もうすぐ死んじゃうね、おめでとう!』みたいな悪趣味な事を言うとでも思っているのだろうか……?
姉妹たちは確認を取るようにレットの顔を見て――レットが頷きを返すと、ようやく安堵した表情になった。
なんてことだ……僕の言葉を全然信用してないじゃないか……!
「ま、まてアイス! 私はそんな話を聞いていないぞ!?」
「うん、アイファにも言ってなかったからね! ……ごめんね?」
「き、貴様ぁっ!」
仲間に隠し事をしていたわけなので、やっぱりアイファを怒らせてしまった。
しかしアイファの怒りは正当なものだと言える。
言うべきことを言わないのは、嘘を吐いて騙すことに等しい。
赤の他人ならいざ知らず、仲間を謀ることなどあってはならないのだ……!
「本当にごめんアイファ。君を信用していなかったわけじゃないんだ。むしろ信用していたからこそ、アイファには言えなかったんだよ。ほら、それよりこれを食べてみて!」
「もごっ! く、口に押し込むな! それにこんな物で誤魔化せ……むっ、美味いな。これは何の肉なのだ?」
……よし!
半ば強引に料理を食べさせてみたら、あっという間に気を逸らしてくれたぞ。
『誤魔化せられはしない』と言い掛けたのかもしれないが、台詞の途中で流されているではないか……この子の将来が心配でならない。
「アイファちゃんはチョロイなぁ……」
ルピィが呆れた声で失礼な感想を漏らすが、さすがの僕にも擁護できない。
既にアイファは食事態勢に移行していて、僕らの話を聞いていないのだから……。
――――。
その日の夜、僕は大聖堂の屋上に向かう階段を上っていた。
あれから姉妹たちは、自分の身に危険が迫っていた事実を知らされて、当惑と安堵が入り混じったような様相だったが――危険を知らせなかった僕を責めるようなこともなく、礼儀正しくお礼を言ってくれた。
ちなみに主のケアリィはと言えば、僕の判断で予知夢を知らせなかった事を伝えると――ボロクソに僕を罵倒した!
もし姉妹に何かあったらどう責任を取るつもりだったのか、という言葉は正にその通りだったので、僕は甘んじて非難を受け入れた。
さすがに「反省しているなら今すぐ死になさい!」という言葉は受け入れる事が出来なかったが……!
しかしなぜ、これほどケアリィに濃密な殺意を向けられてしまうのだろう……?
やはり毒を盛った一件が大きかったのだろうか。
なにしろケアリィは、国を挙げて掌中の珠の如く大事に育てられてきた子だ。
これまでの半生で痛みも苦しみも受ける機会が無かったところに、三日三晩寝込むほどの毒物である。
もしかしなくても、彼女には刺激が強すぎたかもしれない。
あの頃の僕にアドバイスを送れるものなら送ってやりたい――『毒団子を三個はいけない。二個にするんだ!』と。
だが実際のところ、ケアリィが理不尽過ぎるほどに感情的になっていたのは、姉妹の件や僕が嫌いだという事だけが原因では無いだろう。
予知夢を回避できることが証明されたということは……二年前に僕が上手く立ち回っていれば、キセロさんの死も防ぐことが可能だったということにもなるのだ。
聖女の付き人であり、ケアリィの家族同然であったキセロさん。
裁定神の予知夢と聞いて、ケアリィがキセロさんを想起しなかったわけがない。
姉妹は助かったのに、キセロさんは亡くなってしまった。
ケアリィはその事を口に出して責めはしなかったが、やり場のない憤りを抑える事が出来なかったのだろう。
僕を責めることで少しでも気が晴れるなら、僕には受け入れるしかない。
そして……今回の顛末で複雑な感情を抱えているのは、ケアリィだけではない。
「――やぁ、ルピィ。……ここは良い場所だね」
夜の屋上には先客がいた。
屋上の縁に座って、らしくもなく静かに黄昏ていたのはルピィだ。
そう、ルピィも予知夢に関連して姉を――フゥさんを、失っている。
ルージィとロージィが手を取り合い安堵する姿に、ルピィが追慕の眼差しを送っていた事を僕は知っている。
……一瞬だけ発露した感情だったので、気が付いたのはおそらく僕だけだろう。
やり方次第ではフゥさんも助けることが出来たのではないかと、当事者だったルピィが思わないわけがない。
なんの力にもなれなかった部外者の僕ですら、そう思ったのだから。
「……アイス君じゃん。どうしたの?」
勘の鋭いルピィならば、今の僕の思考もお見通しだろう。
それでもルピィは、僕に気を使わせないように普段通りに振る舞うのだ。
もちろん僕は、ルピィに謝罪するつもりも無ければ慰めの言葉を掛けるつもりも無い。
そんな事をしたところで、ルピィを困らせるだけにしかならない。
――だから、僕のやる事は単純だ。
「空に星を観に行こうと思ってね。……ルピィも一緒にどうかな?」
今の僕に出来る最善のことは――今を生きているルピィを幸せにすることだ。
今夜は雲が出ているので、本来ならば星を観ることは叶わない。
だが、僕にはそんな些事は関係無いのだ。
「空術かな? …………仕方ないなぁ、ボクが付き合ってあげるよ」
ルピィは口調だけは嫌々そうに、優しい笑顔で承諾してくれた。
素直に背中に収まったルピィを乗せて、僕は雲の上へと上昇していく。
空術を会得して最も嬉しかった事は、この星空をいつでも観られるようになった事だろう。
圧倒されるような満天の星々には、いつまで経っても慣れることなく見惚れてしまうのだ。
「…………ありがとね」
耳元でも聞こえないくらいの小さな囁き声に、僕は返事をしなかった。
応えを求めていないのは分かっていたし――僕らに言葉は必要無かったからだ。
第二部終了。
明日からは第三部【教国再生】の開始となります。
次回、三六話〔繋がれた旅立ち〕