三一話 壁ドン
そしてその日はやってきた。
レットは最後の予知夢を見終えたのだ。
僕の知る限りでは、予知夢の生起日を対象二人が生きたまま迎えられたことは初めてだ。
やはり予知夢のことを対象に説明しなかった判断は正しかったのだろう。
なにしろ姉妹たちだけではなく、ケアリィやアイファにすら伝えていないのだ。
もはやアイファは僕らの一員なので、本来であれば情報共有すべきなのだろう。
しかし、アイファはレット並に隠し事ができない子なのだ。
最近のレットは護衛の任に就いているので、姉妹たちと直接顔を合わせる機会が少ないから何とかなっているのだが、アイファは違う。
本来の護衛職である姉妹とアイファは、僕による短期集中鍛錬の最中なので、常に同じ時間を過ごしているのである。
そんな状況で、正直者のアイファが秘密を隠し切れるわけがない。
というより、下手に予知夢のことを伝えてしまうと、アイファに無益な心労を与えてしまうだけになりかねないのだ。
アイファを仲間扱いしていないようで心苦しかったのだが、それももう終わりだ。
――襲撃は今夜。
そう、襲撃だ。かつてのケアリィやキセロさんの時と同様、姉妹は大聖堂で暗殺者に殺害されることになっている。
そしてレットの話では、〔過去の夢で観た犯人〕と同じ人間らしい。
前回は襲撃が発生する前の段階で終息してしまったので、襲撃犯の尻尾を掴むことができないままに、僕らは教国を旅立ってしまったのだ。
そういう意味でも前回の失敗は悔やまれる……しっかり根を断っておかなかったばっかりに、姉妹たちまで危険に晒してしまっているのだから。
しかし今回は違う。
最後の予知夢まで観たことにより、襲撃犯の詳細な情報も集まっている。
なにしろ大聖堂内への侵入経路まで判明しているくらいだ。
もちろん、その侵入経路は潰していない。
相手の出方が分かっていた方が、その後の対応についてもやりやすいのだ。
そして残る問題は……襲撃時に、僕らが姉妹の近くにいられるかどうかだ。
ちょうど今は、鍛錬を終えて一緒に休憩しているところだ。
しかし、一足先に汗を流しに行ったアイファのように、もうすぐ姉妹たちも部屋へと戻ってしまうことだろう。
悠長にやっていられる時間は少ない、すぐに行動に移すべきだ。
よし、ここは正攻法で攻めてみよう。
「――ルージィ。今夜は僕の部屋に来てほしい」
「えぇっ!? そ、そんな、だって……お、お前には、アイファお姉様がいるじゃないか」
夜中に襲撃が予定されているので、姉妹を客室で囲い込んで保護しようというわけだ。
しかし予想以上にルージィは動転している。
護衛の三人は大聖堂に住み込みで生活しているのに、アイファの部屋に遊びに行ったりはしてないのだろうか?
ひょっとしたら、女子の定番である〔お泊り会〕を開催したことがないのかもしれない。
だからこそ、アイファに先んじて〔お泊り会デビュー〕をすることに申し訳なさを感じているのだろう。
「大丈夫、心配しなくていいよ。アイファも誘うつもりだから」
「アイファお姉さまも一緒!?」
襲撃者が予見されている以上、アイファにも危険が及ぶかもしれないのだ。
アイファも姉妹と一緒に保護しておいた方が無難であろう。
大部屋の客室にはまだまだ余剰スペースがあるので、後からケアリィにも声を掛けるつもりなのだ。……僕ならともかく、レットが誘えば断ることはないだろう。
アイファも参加予定であることを教えてあげてルージィの罪悪感を失くしてあげたのだが、なぜかルージィはますますパニック状態になっている。
そんな姉をロージィは「ほわわわ……」と謎の声を出しながら、不自然に横を向きながら横眼で注視している……この子の言動には謎が多い。
言うまでも無いことかもしれないが、一応ロージィにも伝えておこう。
「もちろん、ロージィも一緒だからね!」
「ほわぁぃ!?」
また不可思議な返事が返ってきたぞ……。
『はい』なのか『なぜ?』なのか判別できないではないか。
ロージィも趣味の〔姉観察〕をしている余裕が無くなってしまったらしい。
解読困難な言葉をもごもご呟きながら、僕に背中を向けてしまったのだ。
「――アイス君、ちょっとこっちにおいで」
おっと、ルピィに呼ばれてしまった。
不自然なまでにニコニコしているのが気になるが、どうしたのだろう――
――――。
「わ、私に、アイスと同じ部屋で寝ろと言うのか!?」
お泊り会に大喜びするとばかり思っていたが、アイファの反応は否定的だ。
僕と同じ部屋なのは間違いないが、仲間たちも揃っている客室でもあるのだが。
もしや僕はアイファに信用されてないのだろうか……?
しかも今の僕は、諸事情あって両腕が骨折しているというのに……!
……夜までに急いで治さなくては。
僕と同じ部屋で寝たら、夜這いでもかけられると思っているのかもしれない。
たしかにアイファは美人だが、僕はアイファを旅の仲間として誘ったのだ。
いかがわしい眼で見るなどとは、アイファへの裏切りに等しい。
仲間に対して不誠実な真似は許されない。
決して下心を持って仲間に誘ったわけではないのである。
……いや、冷静に考えてみれば、若い男女が同室というのは倫理的によろしくないことではないか?
ルピィたちが気にしていないので、僕の感覚も麻痺してしまっていたらしい。
いやはや、これは危ないところだった。
ルピィたちの非常識ぶりに引きずられてはいけないのだ。
パーティーの数少ない常識人としての自覚をしっかり持たねばならない。
――だがしかし、今夜ばかりはアイファに我慢をしてもらう必要がある。
姉妹が助かったとしても、アイファに万一の事があれば僕は一生後悔してしまうのだ。
こうなれば、多少強引な手を使うのも仕方がないだろう。
アイファは押しに弱いところがあるので、アグレッシブに今晩の約束を取り付けてしまうしかない……!
僕はそれと意識させないくらいの体の動きで、アイファを壁際へと誘導する。
巧みな足捌きにより、気が付けばアイファは壁際にいるという寸法だ。
そして壁際へと追い詰めて――ドンッ、とアイファの顔の横に手を押し付ける!
――そう、これぞ〔壁ドン〕!
巷で流行りと、食堂のお姉さんに教えてもらった交渉技術である。
『アイスちゃんがやれば、どんな女の子だって言うこと聞いてくれちゃうよ!』とお姉さんも太鼓判を押してくれたのだ。
なにしろ、一緒にその話を聞いていたルピィたちもソワソワしていたのである。
おそらくは、自分が強力な交渉術で追い詰められてしまうことを危惧していたのだろう。
実際、アイファはもはや罠にかかった獲物だ。
緊張からか、みるみる顔を朱に染め上げて目をくるくるさせているのだ。
……折れた腕で頑張った甲斐があったというものである。
しかし、思いのほか顔が近い体勢なので、やっている僕の方も照れてしまう。
アイファの熱い吐息が顔にかかるせいか、僕まで緊張してきてしまうのだ。
だが食堂のお姉さんの言葉は正しかった。
アイファは完全にオーバーヒート状態なのだ。
今ならば怪しげな契約書にだって迷いなくサインをしてくれるに違いない……!
よし、アイファに〔三カ月ローン〕を組ませてやろうではないか!
僕が最初の目的を忘れつつあった、その時――ピィーッ、と笛の音が聞こえた。
無表情で笛を咥えているのはルピィ。
僕がアイファをお泊り会に誘う意向を伝えると、『最近のアイス君の軽薄ぶりは目に余るからね。ボクらが見張っててあげるよ!』などと、頼んでもいないのに付いてきたのだ。
そもそも、僕が軽薄などとは前提からしておかしい。
現に今だって、無理矢理アイファの身柄を浚うような真似はしていないどころか、アイファには指一本触れていないのだ。
ペナルティな振る舞いは無かったのに、なぜ笛を鳴らされてしまったのか……?
どこか寒気を感じさせる笑顔を浮かべたまま、ルピィが口を開く。
「はい、そこまで! ――セレンちゃん、判定は?」
なんの判定なのだろう……?
僕が不安を感じていると――セレンは無言で首を振った。
……この首振りは何を意味するのか。
僕にとってプラスなのだろうか……?
僕がますます不安と疑問の嵐に襲われていると、さらにルピィは続けた。
「はい! フェニィさんは?」
「…………」
フェニィの方は首を振ることも無く、ただ黙然としている。
しかし〔フェニィ判定士〕の資格を持つ僕の鑑別眼によると、なぜか不機嫌そうに感じられてしまう。
「はい! 満場一致で、アイス君は有罪に決まりました!」
えぇぇっ!?
セレンとフェニィは何も喋っていないじゃないか……!
僕に弁護の機会すら与えられていないのは恒例だから仕方がない。
だが珍しく問答無用で僕をイジめないと思ったら、これはとんだ〔出来レース〕じゃないか!
こんな形だけの民主主義なんか認められない――認められるはずがない……!
「さ、再審を要求します……」
「却下です!」
ひどいっ……!
この不当裁判には正義が欠片も感じられない。
暴虐の匂いを嗅ぎ取ったのだろう――マカがフードから僕の肩へと飛び乗り「ばかなやつだニャン」と小馬鹿にした顔をしている。
そして小癪なことに、わざと僕の顔を蹴って地面に飛び降りようとして――セレンに首根っこを掴まれた!
「にゃぁっ!?」
セレンの俊敏すぎる動きに、油断していたマカでは反応できなかったのだろう。
セレンの手中に落ちたマカは、ジタバタともがいて逃げようとしている。
さすがに僕の顔が足蹴にされたのには、優しいセレンもご立腹というわけだ。
ふふ……バカなやつだニャン!
だがこのまま放っておけば、マカが死に至らしめられる可能性がある。
裏切り者のマカとはいえ、僕の方から口添えはしておくべきだろう。
「セレン、マカを殺したりしちゃ駄目だからね?」
「ええ。殺しは、しませんよ」
よし。セレンは約束した事は必ず守ってくれる子なので、これでマカの生命は保証されたと言っていいだろう……!
だがなぜか、マカは絶望の表情を浮かべている。
というか、得意の雷術を行使してセレンの手から逃げようとしている。
しかし当然のように雷術の前兆を察したセレンに――「ゴンッ!」と強烈なデコピンを受けてしまい、マカは集中力を切らされた。
頭蓋骨にひびが入ってそうな一撃だったが、マカは無事だろうか?
悪い子に容赦しないセレンに僕が心中で戦慄していると――
「マカの心配をするなんて余裕じゃないの。――そうだ、さっきアイス君は面白い事やってたね。ボクもやってみようかな――壁ゴンってやつを」
擬音が違う、致命的に違うぞ……!
〔壁ゴン〕というワードには、なにやら不吉な印象をぬぐい切れない。
まるで『おら、吐け! 吐くんだよ!』とか言いながら、壁にゴンゴン叩きつけているかのようじゃないか!
それはもはや交渉術ではない――拷問と呼ばれるものだ……!
明日も夜に投稿予定。
次回、三二話〔始まった夜〕




