三十話 温かな戦闘訓練
「――ほらアイファ、まだ片足が折れただけじゃないか。頑張って立ち上がるんだ。……うん、いいぞ。ナイスガッツ!」
裁定神の予知夢が始まってから数日が経過している。
予知夢の生起日まで猶予があるので、今の内に最大限出来ることをすべきだ――ということで、僕は姉妹の戦闘訓練を買ってでていた。
腕を磨いておいて損をすることなどないのである。
しかもレットの話では、二人は殺傷されることになっているらしいのだ。
付け焼き刃の訓練だけで〔死の予知夢〕を覆せるとは思っていないが、戦闘技術を上げておくに越したことはない。
そして姉妹の戦闘訓練のついでに、慢心著しかったアイファの稽古もつけあげているというわけである。
――自信を持つのは良いことなのだが、慢心まで至ってしまうのは良くない。
油断して思わぬところで足を掬われてしまっては、後悔してもしきれないのだ。
そこでこうしてアイファが自信を失い過ぎないように励ましつつ、ほどよく伸びきった鼻を折ってあげているのである。
物理的にも少し骨が折れてしまっているが、肋骨と足の骨が数本折れている程度なので大した事はない……!
「…………私は今、この男が心の底から憎たらしい」
「アイファお姉様……私も、同じ気持ちです」
「うぅぅ……」
僕を共通の敵とみなすことで三人は団結してしまっている……。
ロージィちゃんは喋る元気も無いようだが、僕に向ける視線に好意的なものは感じない。
といってもその視線は、『嫌い』や『殺したい』というわけではなく、『怖い』が一番近いだろう。
主であるケアリィが僕へ向ける感情は『大嫌いだから殺したい!』という感じなので、それに比べれば大分マシだと言えるはずだ。
レットの絵をプレゼントした事で『殺す! 今すぐ殺す!』から飛躍的な進歩を遂げたのだが、まだまだ親友への道は遠そうである。
ちなみに最近は、毎日のように聖女の護衛を三人とも鍛錬に引っ張ってきているわけだが、代わりの護衛にはレットを宛てがっている。
……ずっとこのままでいてほしいとケアリィの顔に書いてあったぐらいなので、問題など何一つないはずだ。
もちろん他の仲間たちがケアリィの護衛などするわけも無いので、女性陣は楽しそうに護衛チームの訓練を見学している。
皆が笑顔なのは、アイファたちの成長ぶりが我が事のように嬉しいからだろう。
本当は仲間たちも戦闘訓練への参加を希望してくれたのだが、脳が思考するまでもなくノータイムで断らせてもらっている。
僕一人で十分ということもあるが、過去のナスル軍での調練の際に学んだのだ。
――彼女たちに師範役をやらせてはいけない、と。
三者三様に問題だらけなのだが、共通しているのは訓練が厳しすぎるという点に尽きるだろう。
困ったことに、彼女たちは自分が才能に溢れていることを自覚していないらしく、自分と同じ水準を他人にも求めてしまうのである。
三人の中でもとくにフェニィが酷い。
厳し過ぎるどころの話ではないのだ。
フェニィときたら……おっと、いかんいかん。
封印した記憶を解いてしまうところだった。
訓練での死者などいなかった――そう、いなかったのだ!
とにかく、仲間たちがナスル軍の調練でやり過ぎるせいで、なぜか僕までもが畏怖の対象にされてしまっていたのだ。
僕の持つ思いやりの心を、仲間たちに一欠片でも分けてあげたいくらいだ。
「大丈夫だよアイファ。まだ両足が折れただけだ。腕はちゃんと動くだろ? ――そう、逆立ちして闘えばいいんだよ!」
両足を骨折したせいだろう――途方に暮れて戦意を失ってしまっているアイファに、優しい僕はアドバイスを送ってしまう。
これが敵に塩を送るというやつだろう。
「っく、はぁ、はぁっ…………私は、もっと、強くなりたい……。アイスを、地べたに這いつくばらせてやりたい……!」
「アイファお姉様……私も、同じ気持ちです」
「……ぅぅ」
ふむ。アイファはまだ元気そうだが、姉妹はもう限界だろう。
もうルージィちゃんは頭が回っていないのか、同じ事しか言っていないのだ。
ロージィちゃんに至っては喋る気力も無いらしい。
「う〜ん……今日はこの辺りで切り上げようか。最初からハードな訓練をしてたら保たないからね。まずは軽めで身体を慣らしていこう!」
配慮の行き届いた言葉に驚いているのだろう、アイファたちは信じられないようなものを見る目で僕を見ている。
しかしこれしきは当然の事なのだ。
身体を壊してしまったら元も子も無いのである。
見学している仲間たちも感銘を受けているらしく、僕の温かい発言を聞いて満足そうに頷いている。
「さて、それじゃあ治療をしていこう。んん……ルージィちゃんが一番重傷だから、ルージィちゃんからね」
「わ、私をルージィちゃんと呼ぶな!」
おっと、これはとんだご挨拶だ。
急に元気になったのは喜ばしい事だが、それほど聞き逃せない事だっただろうか……?
いや、今や彼女も立派な戦士に成長しようとしているのだ。
〔ちゃん付け〕で子供扱いするような真似は失礼だということだろう。
それに、セレンだって子供扱いされることを嫌っている。
姉妹たちはセレンの一つ年上と言っていたが、この年頃の子は子供扱いを嫌う傾向があるのかもしれない。
というわけで、俯いているルージィちゃんの顔をぐいっと覗き込み、戦友へ挨拶をするように笑顔で声を掛けてみる。
「分かったよルージィ。…………もしかして、呼び捨てはイヤかな?」
「……い、いやじゃない」
名前を呼んだら勢いよく顔を逸らされたので不安に駆られてしまったが、どうやら照れているらしい。
そんな耳先まで赤くしている姉のことを、妹のロージィちゃんは好奇の眼でチラチラと盗み見ている。
しかしこの子は、姉の動揺しているところを観察するのが趣味なのだろうか?
僕の困っている顔が見たいと公言しているルピィに通ずるものがある。
……将来が心配でならないな。
しかし双子の片方だけ呼び捨てというわけにはいかない。
そこで――「ロージィも、改めてよろしくね!」と爽やかに挨拶してみると、「はわっ!」という謎の返事が返ってきた。
なんだろう……『はい』と『ええっ!』を併せたような返事だが、了承を得られたと考えていいのだろうか……?
「――アイス君はアメとムチが上手いなぁ……そうだ、今度はボクらと模擬戦やろうよ!」
「いいよルピィ。……ん? ボクら?」
仲間のお願いなので条件反射的に了承してしまったが、なぜ複数形なんだろう。
隣にフェニィがいるので、まさか二人がかりで闘うつもりなのか……?
アイファや姉妹たちなら三人がかりでも問題無いが、ルピィとフェニィの二人を相手にするのは厳しすぎる。
「ほら、さっきアイファちゃんたちは三人だったからね――ボクらも三人でやろう!」
ええっ!?
もしや、そちらにいる冷たい笑顔のセレンちゃんも……!?
む、無理だ。それはいくらなんでも無理難題だ。
二人でもキツいのに、セレンまで加わったら一方的に袋叩きにされてしまう!
しかしこれは拒否する事が許される空気じゃない。
まるで僕を痛めつけてストレス解消をしようとしているかのようじゃないか。
仕方ない……拒否が難しいなら、妥協案で攻めるしかないだろう。
「それならマカをこっちに加えてくれないかな? このままじゃ戦力差が大きすぎるからさ」
不測の事態にも対応出来るように、マカには僕がしっかり稽古をつけてあげているのだ。
現在のマカは外見こそ仔猫のままではあるが、今のアイファでも勝ちを収めることが難しいくらいには強くなっているのである。
もちろん僕とマカが組んだとしても、ルピィたち三人が相手では分が悪い。
だが僕一人で闘うよりはまだマシだろう。
……正直に言ってしまえば、一人でイジメられるよりは〔イジメられ仲間〕がいた方が心強いのだ。
その話題のマカは、僕の提案を耳にして――ピクリと身体を震わせた。
場の視線が集中しているのを感じ取ったのだろう、「逃げられないニャ……」と諦めたような顔でこちらに歩いてくる。
よし、マカが来れば百人力だ。
一緒にボコボコにされるだけだろうが、マカが一緒なら荒れ狂う暴力も怖くない…………あれ? なぜマカはルピィの方へ歩いていくのだろう。
マカはルピィの横で停止して、僕と敵対するように向き直って「んにゃん!」と宣言した――
――あいつめ、裏切りよった!
ルピィたち三人が相手では、こちらに勝ち目が無いと悟ったに違いない……!
あの裏切り者は、「一緒にアイス君をやっつけようね!」などと言われて「にゃん!」などと賛同しているではないか。
なんてことだ……ただでさえ勝機ゼロだったのに、駄目押しの追加点が入ってしまった。
「ふふっ……アイス君にハンデをあげようじゃないの。ボクはこのナイフ一本しか使わないよ」
ちなみに僕は無手である。
おかしい、なんだこのお得感の無さは……!
ハンデというなら、そちらの人数を減らすことから始めるべきではないのか。
だがそんな思いも空しく、三人と一匹による僕の蹂躙劇が始まってしまった――
明日も夜に投稿予定。
次回、三一話〔壁ドン〕