二六話 お土産の力
全快とはいえないものの身体を動かせる程度には回復したところで、ようやく僕は挨拶に入った。
「僕がここに顔を出したのは他でもない。ケアリィへ挨拶に来たのもあるんだけど、君の護衛のアイファをもらいに来たんだよ」
レットから説明があったとは思うのだが、改めて僕の口からケアリィに告げた。
聖女の大事な護衛を引き抜こうとしているのだ。
通すべき筋は通さなくてはならないのである。
しかし……ケアリィは僕の存在をまるっと無視するかのように、アイファだけを見て問い掛けた。
「アイファ、貴方の事はレット様より伺いましたが……正気ですか?」
おおっと、こいつはご挨拶じゃないか。
『本気ですか?』ならともかく、『正気ですか?』ときたものだ。
まるでアイファが正気を失っていて異常な判断を下そうとしているかのようだ。
そしてそれだけじゃない。
おそらくこれは、アイファに質問しているかのように見せかけて――アイファを脅しているのだ!
『うちの職場を簡単に辞められると思っていまして? 高額な違約金を覚悟しておくことですね』などと、脅迫しているに違いない……!
その証拠に、アイファはバツが悪そうな顔で対応に困っている様子だ。
そしてソワソワしながら、僕に助けを求めるような視線を送ってくる。
もちろん僕は、安心させるように微笑みながら軽く頷きを返してあげた。
――大丈夫、不当要求には一緒に立ち向かおう!
すぐに感情が顔に出てしまうアイファは破顔一笑してしまい、そしてすぐにそれを自覚したのだろう――咳払いをして誤魔化すようにしながら、ケアリィに向き直った。
「はい、この男は目を離すと余人に迷惑を掛け続けることでしょう。私が面倒を見てやらねばなりません」
挨拶代わりに槍を突くような子がよく言ったものである。
だが僕を貶めるような退職理由はいただけないが、相手がケアリィであると考えればこれ以上なく効果的だろう。
しかし、そこで話に割り込んできたのは乱暴お姉ちゃんことルージィちゃんだ。
「私は反対です! その男はアイファお姉さまを押し倒して弄んだ挙句、平然と捨てるようなクズじゃないですか!」
――酷いです!
そんな捏造エピソードを真実かのように言い張るなんて……!
ルージィちゃんとは仲良くなりかけていたが、やはりあの場で邪魔が入ったのが失敗だった。
鉄は熱いうちに打つのが鉄則なのに、途中で邪魔されてしまったせいだろう、熱く形成されかけていた友情が冷えて固まってしまったのだ。
しかも、より強固に冷え固まってしまった気がする。
ちなみに妹のロージィちゃんは、僕らのやり取りに全く注意を払っていない。
目下、彼女の興味の対象となっているのは――マカだ。
僕の横で退屈そうに座り込んでいるマカ。
その愛らしい仔猫にロージィちゃんの目は釘付けになっているのだ。
これはマカを足掛かりにロージィちゃんと仲良くなって、さらにそこからルージィちゃんと仲良くなるという手法も使えるのではないだろうか……?
……いや、いかんいかん。
友達であるマカを利用するような真似はよくない。
マカの不信を買ってしまうではないか。
それにそんな方法で友達になっても、ふとした時に『この子は僕の友達じゃなくて、友達の友達という関係なんだ……』と自覚してしまったら、発作的に死にたくなってしまう……!
ここは正々堂々と、自分の力だけで友情の輪を広げていくべきだろう。
「それは誤解だよルージィちゃん。アイファとは不変の友人関係なんだ。僕らは正真正銘、昔も今も変わらない――いや、これから先も変わらない親友なんだから!」
なぜかルージィちゃんは、僕のことをアイファの古い恋人だったなどと勘違いしているようだったので、殊更に友人だったことを強調しておいた。
そして、僕とアイファが仲違いすることなど絶対に無いと断言しておく。
きっとルージィちゃんは、旅先で喧嘩別れすることを危惧しているのだろう。
見知らぬ地でアイファが一人になることを不安視するのはよく分かる。
そんな事になれば――『世間知らずの私はこれからどうすればいいのだ。……もう、この槍で強盗をするしかない!』となるのは容易に想像出来る……!
僕の〔生涯友人宣言〕への波紋は大きい。
仲間たちも感銘を受けたのか、一様に満足そうな顔をしているのだ。
アイファの心にもしっかりと届いたらしく、顔を真っ赤にして激情を内に抑え込んでいる様相だ。
……ふふ、口に出さなくとも分かる。
『ブラボー!』と叫びそうになっているのを我慢しているに違いない……!
火の玉のようだったルージィちゃんは、なぜか申し訳なさそうな表情でアイファを見たまま黙りこんだので、アイファ勧誘への残る障害はケアリィだけだ。
聖女に忠実な上に、近頃では槍の腕も上げてきているアイファ。
ケアリィが手放したくない気持ちは理解出来る。
だが僕には、閉鎖的な環境で生涯を過ごすのが幸せだとは思えないのだ。
しかもアイファは外界に興味を持っているのである。
尚更彼女をここから連れ出してあげるべきだろう。
そしてその対象はアイファだけではない。
本来ならばケアリィだって、教国から連れ出して広い外の世界を見せてあげたいくらいなのだ。
彼女に関しては本人が望んでいないので、僕が口を出せる筋合いはないのだが。
とにかく、アイファのことだ。
軍国を出発した時にはこんな状況になるとは想定していなかったが、都合の良いことに、今の僕はケアリィを懐柔する〔武器〕を隠し持っている。
この秘密兵器をもってすれば、たちまちケアリィはご機嫌になって、快くアイファを送り出してくれることになるだろう。
「そういえば、今日はケアリィにお土産があるんだ。……ふふ、きっと喜んでくれると思うよ」
「わたくしに、また毒でも盛ろうというのですか? 今のわたくしは治癒術だけではなく、解毒術も修めています。あなたの卑劣な思惑通りには……こ、これはっ!?」
なにやら失礼な事を言い掛けていたが、僕の取り出したお土産の圧倒的な破壊力に、ケアリィは目を見開いて声を呑んだ。
そして目を剥いているケアリィ以上に凄烈な反応を示した人物がいた。
「……っ! アイスお前、なんであんなもんをまだ持ってんだよ!!」
仰天した顔で僕を怒鳴りつけたのは――そう、レットである。
レットが驚愕するのも当然だ。
ケアリィに渡したお土産とは、〔レットの絵〕なのだから!
普段は笑顔が乏しいレットだが、絵の中のレットは満面の笑みで男を足蹴にしている。
言うまでもなく、以前に戦勝記念でレットの為に描いてあげた力作である。
……だが受け取り拒否をされて以来、ずっと日の目を浴びずに眠っていたのだ。
その絵をまた表舞台に出す機会は――今この時を置いて他にない!
レットの大ファンであるケアリィは絶句しながら絵を凝視している。
「ふふ……気に入ってくれたようだね。その絵はね、レットが斧神持ちの軍団長を撃破した時に記念として描いたものなんだ。その時の勇姿を後世に残したいと思ってね」
「わ、悪くありませんわね、頂いておきましょう。……他にレット様の絵は描いていないのですか?」
口では悪くないなどと言いつつも、目を輝かせながら絵を抱え込むケアリィ。
しかも余程お気に召したのか、絵の〔お代わり〕まで暗に要求する始末である。
「手元にはないけど、レットの絵だったら頼まれなくたって描いちゃうよ。……アイファの退職に伴って引き継ぎもあるだろうし、二週間ぐらい大聖堂に滞在してもいいかな?」
レットの絵を餌にして大聖堂への滞在を要求する僕。
さりげなく、アイファが護衛を辞することを既成事実化してしまうのも忘れない。
だが僕の発言に嘘偽りは無い。
レットは濃い顔付きをしたイケメンなので、絵のモデルには非常に適している。
よって、僕の描く絵にはレットが登場する割合は高いのだ。
なにしろ風景画にすらレットが混じっているくらいである。
……僕はレットの事が好き過ぎるんじゃないだろうか?
「よろしい、滞在を許可しましょう。それから、出立前にはもう一枚絵を描き上げていくことを命じます」
命じられてしまった。
相も変わらず高慢な態度のケアリィだ。
……仲間たちのストレスが順調に蓄積しているのが感じ取れてしまう。
しかし僕にとっては、居丈高に命令されるくらいは気にもならない。
――僕の絵を認めてもらった嬉しさの方がずっと大きいのだ。
僕だけではなく仲間まで軽く見られてしまうというなら考えものだが、仲間の尋常ではない雰囲気を察しているのか、ケアリィは僕の仲間を侮蔑するような発言は避けている。
この程度の〔上から発言〕ならば、取り立てて騒ぐような事でもないだろう。
そんな偉ぶりっ子のケアリィが涎を垂らしそうに鑑賞している絵。
さすがに興味をそそられたのか、護衛の姉妹も絵を覗き込んでいる。
そして温厚そうなレットが戦闘系の神持ちを打ち倒した事に驚いているかのように、絵とレットを交互に見比べている。
その視線に耐えかねたのか、レットが必死な顔で弁明の声を上げた――
「ま、待ってほしい。俺は倒した相手を踏みつけるような真似はしていない」
おや、どうやら絵に描かれた光景を誤解されるのを恐れているらしい。
普段のレットを知る人間であれば誤解が生じるわけもないが……なるほど、初対面の姉妹たちならレットの人間性を疑ってしまう可能性がある。
ここは親友の僕が口添えするべきだろう。
「レットの言う通りだよ。レットが悪の軍団長を成敗したのは事実だ。だけど、勝利に興奮し過ぎて敵をグリグリと踏みにじったりなんかしていない。…………そういう事だろ、レット?」
「やめろ! 『本当は違うけどそういう事にしておくよ』みたいに言うんじゃねぇ!」
ありのままの真実しか語っていないのに怒られてしまった。
そして不思議なことに、レットはますます猜疑に満ちた目で見られている。
尚も冤罪を訴えるレットの熱意が通じたのか――ついに大人しいロージィちゃんが下を向いたまま言葉を返した。
「……は、はい、レット様は、やってません」
無理矢理言わせたようになっている……!
さすがのレットもショックを受けたのだろう……ロージィちゃんに短く謝罪して口を噤んでしまった。
それでもまだレットは、絵を回収したくて仕方がないようにケアリィの持つ絵を恨めしそうに見ている。
だがレットが受け取り拒否をした以上、現在の所有権は僕からケアリィへと移行しているのだ。
――そう、もはや僕にもどうする事もできない……!
明日も夜に投稿予定。
次回、二七話〔優しさの結晶〕