十九話 顎クイ
フェニィに人格改造されるのも恐ろしいが、セレンはそれ以上に問題だ。
観察眼に優れているセレンならば、先の槍での突きを見るまでもなくアイファの力量を把握していたことだろう。
セレンならばアイファがまだまだ技量不足である事は理解している。
だがセレンは、アイファと会った時からすでに不機嫌そうだったのだ。
きっと自分が村で留守番をしている時分に――自分の知らない間に、僕と友達になった人間なので面白くないのだろう。
そんなところにアイファの『わいは最強や!』発言だ。
このまま放っておけばアイファがセレンの餌食にされてしまうことだろう。
ただでさえ敵対者には容赦しないのがセレンである。
今のこの不機嫌ぶりも加味すれば、模擬戦などしようものなら対戦相手は高確率で死亡してしまうはずだ。
仮に、セレンやフェニィと対峙して命を失わずに済んだとしても……自信をつけて晴々としているアイファを落ち込ませてしまう事になる。
……僕は気落ちしているアイファを見たくはないのだ。
そう、フェニィやセレンとの対決は誰も幸せになれない悪手に他ならない。
ここは華麗に話題を切り替えるべきだろう。
「――そういえばアイファ、ケアリィの護衛はどうしたの? …………もしかして、クビになっちゃったのかな?」
出会った時から気になってはいたのだ。
聖女の護衛であるアイファが、なぜ大衆市場を一人でうろうろしているのかと。
しかも噂によれば、最近の聖女は積極的に人々の治療に精を出しているらしい。
そうなるとアイファのニーズはますます高まるはずであり、市場を徘徊している暇があるとは思えないのである。
だが――アイファに問い掛けている最中に、僕は気付いてしまった。
アイファは護衛の職を降ろされたのでは? という切ない疑惑に。
……なにしろアイファはとても短気な子だ。
ついうっかりで教国の要人を殺害してしまうぐらいの事はやりかねない。
加えて上司のケアリィは中々のモンスター上司。
当然、アイファの失敗を庇ってくれることなどあり得ない。
それどころか、何年も仕えてくれたアイファに対して『貴方はもう用済みですわ』などと平気で言いそうではないか。
しかしアイファが無職のプー子であっても――僕は見限ったりなんかしない!
むしろ友人として、全力で再就職支援をしてあげるつもりだ……!
「――ふ、ふざけるなっ! 誰がクビになるものか!! 今は私の他にも神持ちが二人いるから、交替で護衛の任を請け負っているだけだ!」
おおっ、それは凄い。
教国には神持ちが多いにも関わらず、持ち前の求心力の低さからアイファ一人しか護衛がいなかったあのケアリィが……。
やはり人々の治療をするようになったのが効果的だったのだろうか……?
大聖堂に引きこもっていた昔とは違い、聖女が護衛を必要とする機会も増えているだろうから実に喜ばしい事ではないか。
「そっか……アイファにもついに同僚が出来たんだね。仕事の負担も分担出来るし、良かったねアイファ」
たった一人の〔神持ち護衛〕として重責を背負わされてきたアイファだったが、今となっては護衛も交替制だ。
ブラックな職場環境が少しでも改善されたのだ、友人として祝福してあげるのは当然の事だろう。
……しかし、アイファの反応は予想外のものだった。
「き、貴様、なにを他人事のように言っている! ま、また私を仲間に誘うと言っていたから、私も代わりの人間を探したのだぞ!」
なんと、そんなに真剣に考えてくれていたのか。
……それは申し訳ない事をしてしまった。
たしかに『帝国からの帰りに、またアイファを仲間に誘わせてもらうよ』と僕が伝えたら、『考えておいてやる』と言われた記憶がある。
まさか大聖堂で門前払いを喰らうとは思ってもいなかったし、アイファは社交辞令で言ってくれていると思っていたから、僕もそれほど再会に固執しなかったのだ。
……きっとアイファは頑張って後釜探しに奔走したに違いない。
なんてことだ……僕は友達との約束を破っていたばかりか、あまつさえその不義理すら自覚していなかったのだ。
挙句の果てには、アイファよりカニ汁を優先してしまっていた……!
これではアイファにいくら罵られようとも、僕には余す事なく受け入れる以外の選択肢はないだろう。
いや、アイファとて僕を罵ったぐらいで気持ちが収まるとは思えない。
ならば僕に出来る償いはなにか……?
まずは遅くなってしまった約束を履行させてもらうべきだろう。
アイファは僕が近付くと視線が泳ぐ傾向がある。
だから僕はアイファの両肩を掴み、真っ直ぐに目を見て語り掛けた――
「アイファ、僕に責任を取らせてほしい!」
「えっ!? せ、せきにん……!? そ、そ、それは、もしかして……?」
そう、そのもしかしてだ。
二年越しの約束を果たすべく、アイファに仲間へと加わってもらうのだ!
もう僕は父さんも救って、将軍の打倒にも成功している――すでに純粋な戦力を必要とはしていない。
しかしそれでも僕はアイファを誘う。
それ以外に選べる道が見つからないのだ。
二年前――アイファは僕のオファーについて検討した事で、雇い主であるケアリィに悪い印象を与えてしまった事は間違いない。
しかも悪いことに、ケアリィは僕を嫌っている。
ケアリィからすればアイファが護衛を辞めるだけではなく、よりにもよって〔憎い敵〕のところへ再就職しそうになったのだ。
ケアリィの立場で考えれば面白いはずがない。
そうなるともう間違い無いだろう――この二年間ずっと、アイファはイビられ続けていたはずなのだ!
『あの男のところに就職しようとしたアイファさん。まさか貴方、図々しくも残業代を請求するつもりですか?』などと、得意のパワハラを日常的に繰り出していたこと間違いなし!
そこでそんなアイファを苦境から救うべく、一度は勧誘をした責任を果たすべく、改めて旅の仲間に加入してもらおうというわけだ。
もちろん、アイファにはまだ僕を許せない気持ちがあるだろう。
いまさらになって何を言っている、という話でもある。
それでも僕は、友人の為に最低限の誠意を示す必要があるのだ。
「どうかなアイファ? ダメ、かな……?」
アイファは燃えているような顔色のままパニックになっている。
あっちむいてホイをやっている訳でもないのに、上下左右に顔を動かし続けているのだ。
いけない……このままではアイファが首を痛めてしまう!
ここは僕が落ち着かせてあげるしかないだろう――
僕はアイファの顎を指で掴み、くいっと軽く持ち上げる。
釣り針に掛かった魚のように「うっ」と大人しくなるアイファ。
……完璧だ。
思惑通りすぎて『フィーッシュ!』と叫んでしまうところだった。
両手で顔をガッチリ固定するのは失礼だろうと思って、軽く呼吸を制限するような形にしてみたのである。
もはやアイファは釣り上げられるのを待つ魚のようではないか。
なにやら観念したように、赤い顔のまま目を閉じているのだ。
しかしこれは、〔口づけ〕でもするかのような状況にも見えてしまうな……。
……そして、そう感じたのは僕だけでは無かったようだ。
「――アイス君? いけないなぁ、こんな往来で公序良俗に反することをしちゃって、ふふっ」
冷たい声が僕の耳に入り込んできた。
マカが「脱出ニャ!」とばかりにフードから飛び出したことから考えても、僕に危機が迫っているのは間違いない……!
しかし、よりにもよって反社会主義者のルピィにモラルについて言われるなんて、よっぽどの事ではないか。
別段咎められるほどの事はしていないのだが、なぜかフェニィやセレンも僕に厳しい視線を向けている。
〔顎をくいっ〕どころか〔首をぽきっ〕としそうなくらいの恐ろしい視線だ……。
冷え冷えとしたルピィの声に、アイファも茹だっていた頭を冷やされたようだ。
我に返ったように辺りを見回して、その視線をルピィで止めた。
「と、盗神!? お前もいたのか!」
この時になって初めて、ルピィの存在に気が付いたらしい。
ちなみにルピィは隠れていたわけでもなく、最初の再会の時からずっと横に立っていた……心配になってしまうほどの視野狭窄だ。
護衛がこれほど注意力散漫で良いのだろうか……?
再会の喜びで周りが見えていなかったと思えば、光栄なことではあるのだが。
それに、アイファの視野の狭さを心配している場合ではない。
――心配すべきは僕。
そう、自分の身を心配すべきなのだ。
完全な誤解だが、公序良俗に違反した罪で裁かれそうになっているのである。
なにしろ、既に周囲を仲間たちが取り囲んでいる。
とても話が通じそうな雰囲気ではない……だが、僕に焦りは無い。
前回は失敗に終わってしまったが、今回こそは僕の切り札の独壇場だろう。
切り札とはもちろん――空術のことだ。
痛い目に遭った前回とは違い、厄介な飛び道具の使い手であるジーレはいない。
うむ、こんな時の為の空術だ。
誤解をしているらしい仲間が落ち着くまで、空に緊急避難していればいいのだ。
もちろんルピィの投石には気を払っておく必要性はある。
だが、それにさえ気を付けておけば文明的で知性的な話し合いが可能だろう。
とうっ、と僕は飛び上がり、その高度が頂点に達する前には空術を発動させた。
……が、その僕の足首に感触があった。
それに気付いた次の瞬間には――地面に引っ張り倒されていた!
「……っぐ!」
これは……投げ縄か。
ルピィの仕業に違いない。
あの速度で飛び上がる僕の足を捕らえるとは、凄まじい技量ではないか。
「ふふっ、同じ手が通じるとでも思ったのかな? ボクはあの屈辱をバネに投げ縄の練習をしていたんだよ。あの時は心を傷付けられたちゃったなぁ……たしか『そんなにお転婆では嫁の貰い手が見つからないよ。はははっ、あーはっはっはっ!』とか言ってたね。……思い出したらまた腹が立ってきたな」
僕はそんなに笑ってない……!
しかも〔思い出し怒り〕によって現在の怒りが増幅しているではないか。
というか――ルピィは心が傷付いたなどと言っているが、本当に傷付けられたのは僕の方である。
民家の屋根にダンクを決めさせられてしまった上に、王城に戻ってみれば教育的指導(物理)を受けてしまったのだ……。
あれだけの事をやっておいて、また僕に危害を加えると言うのか……!
しかし見事な投げ縄のテクニックだとは思ったが、わざわざ僕対策の為に磨いたものだったというのが恐ろしい。
……いかん、感心するのは後だ。
僕が逃げようとした分だけ〔お仕置き〕のグレードが上がっているはずなのだ。
架空請求の金額が利息で跳ね上がったような理不尽さだが、僕の抗弁を聞いてもらえるとは思えない。
誰か助けてくれる人は……くっ、レットは駄目だ。
巻き込まれるのを避ける為だろう、わざとらしくマカと一緒になって市場の店頭に並んだ食材を眺めている……!
あいつめ、買う気が無いくせに熱心に吟味しているフリをしよって!
おじさん、その男は冷やかしですよ……!
――――
……かくして僕は捕まってしまった。
いつものように、無実の罪で裁判を受けることになったのだ。
しかし裁判といえども、僕に弁護は許されていない。
ルピィ裁判長の判決は、いつものように安定の――有罪!
もちろん執行猶予など付くわけもない。
感情の赴くままに実刑判決である。
アイファの顎をくいっとやってしまったせいだろうか、僕の顎もくいっとされてしまったのだ。
その二つの大きな違いは、僕がうつ伏せで路上に寝かされたことだろう。
ルピィは僕の顎を両手で掴んで〔くいっ〕としたのだ。
そう、これは――キャメルクラッチ!
……重ねて言えば、ここは市場の路上である。
これこそ往来で公序良俗に反しているのではないかと思ったが、僕の反論は物理的にも封じられていたのだ。
明日も夜に投稿予定。
次回、二十話〔カミングアウト〕