十五話 新しい可能性
王都を発ち半日が経過して、昼食の時間が近付いてきた。
そう、お弁当タイムだ。
……実のところ、僕はこの時間を心待ちにしていた。
それもそのはず、今日のお弁当は――フェニィの手作りなのだ!
――事の発端は昨晩。
珍しくルピィが晩御飯に腕を振るってくれたことが要因にある。
気まぐれなルピィは、気分次第で厨房に立つことがあるのだ。
僕は料理を作るのが好きだが、親しい人間に料理を作ってもらうことも好きなので、そんな時は喜んでルピィに厨房を譲っている。
元来の器用さで料理もそつなくこなすルピィなのだが、昨日の〔パエリア〕は味に厳しい僕をも唸らせる絶品だったのだ。
もちろん僕はその気持ちを素直に伝えた――『これはもう専門店にだって負けないよ。きっとルピィはいいお嫁さんになるね!』などなど、これでもかと大賛美である。
ルピィはデヘデヘしながら得意になっていたが、そうなると負けず嫌いな仲間たちが黙っていない。
その中でも特に対抗心の強いフェニィが『明日は私が作る』と言い出したので、こうしてお弁当を作ってもらえる事となったのだ。
率直に言って、僕はものすごく嬉しい。
なにしろフェニィが血生臭くない、一般的な物事に興味を持ってくれたのだ。
つまり〔この肉は小分けに切った方が食べやすい!〕という、一般的な思想が出来るようになりつつあるのだ。
間違っても〔死体を四分割にすれば運びやすい!〕のような危険思想ではない……!
問題といえば、フェニィの作る料理が想像できないことくらいだろう。
なぜかフェニィは自信満々の様子で、僕やルピィの手伝いを拒否したのだ。
謎の自信に不安を感じなくもないが……王城の厨房には料理人の人たちもいるので、食べられないような物が出てくる事はないはずだ。
そして――いよいよ待ちに待った昼食だ。
僕たちは街道近くの岩に座り込んで昼食の準備を行う。
そして期待と緊張に胸を膨らませながら、大きめの弁当箱の蓋を開けると――
こ、これは……!?
ご飯の横に所狭しと並べられた魚の切り身。
間違いない、これは――〔刺し身弁当〕だ!
――斬新! なんて斬新さだ!!
しかも刺し身に醤油すらかけられていない……なんて強気な攻めなんだ。
純粋な素材の味だけで白米を食べさせようというわけか……。
さすがはフェニィだ……僕ごときの想像など軽々と飛び越えてくる。
しかし、発想のセンセーショナルさに心を奪われている場合ではない。
この弁当箱の蓋からボトボトと落ちる水。
さらにこのご飯のベシャり具合。
これは初心者にありがちな事だが――熱々のご飯を冷まさずに蓋を閉めたのだ。
察するに、この弁当向けとは言えない献立といい、王城の料理人たちはフェニィのやる事に一切口出ししていないのだろう。
たしかに王城で働く人々は、フェニィのことを恐れている節がある。
しかし一人の料理人として、不慣れなフェニィにアドバイスくらいはしてあげるべきではないのか?
それが料理人としての矜持というものではないのか……!
僕が王城の料理人に義憤をぶつけている事には理由がある。
それでなくとも日持ちしない〔刺し身〕というオカズ。
そしてホカホカのご飯により高温多湿となった弁当箱内。
この刺し身が黒ずんでいるのは、醤油漬けしてあるからではないのだ。
僕はドキドキしながら刺し身を口に運ぶ――
口に近付けるだけで漂う酸っぱい香り、口の中で広がる酸味とアンモニア臭。
…………うむ、間違い無い。
これは――腐っている!!
なんてことだ……せっかくフェニィが料理に興味を持ってくれたというのに、記念すべき初めての料理がこんな結果になるなんて……。
これは僕でなくとも、王城の料理人に恨みごとの一つも言いたくなるというものだ。
――いや、悲観している場合ではない。
ここでフェニィに苦い失敗体験をさせるわけにはいかない。
せっかく育ってきたフェニィの健全な自主性なのだ。
僕がそれを守らずして、誰が守るというのか。
泣き言など言えない……腐っているぐらいがなんだ!
僕はフェニィの気持ちが嬉しいのだ。
今の僕に必要なのは〔味覚〕ではない――〔心〕だ……!
そうだ、気持ちで味覚を凌駕するのだ!
心を決めて箸を掴んだ僕は、一心不乱にお弁当を掻き込んでいく。
くぬっ……腐った刺し身の影響で、ご飯の大部分も腐っているではないか……!
だが負けん、これぐらいで僕を倒そうなど十日は早いわ!
勢いがついた僕は誰にも止められない――――うむ、完食!
しかしまだだ、僕のやるべき事はまだ残っているのだ。
「フェニィ。悪いんだけどフェニィの分も貰っていいかな? 食べたくて食べたくて仕方が無いんだ」
そう、フェニィに弁当が腐っていた事を悟らせてはならないのだ。
僕がフェニィの分も食べることで、証拠隠滅を図らなくてはいけない。
僕の要請を受けたフェニィは、少し嬉しそうに自分の弁当箱を渡してくれた――守りたい、この笑顔!
実際にはフェニィの頬はピクリとも動いていないわけだが、僕にはフェニィの喜びの感情が伝わってきているのだ。
そして、困難なお弁当に挑んでいるのは僕だけではない。
仲間の皆もフェニィの事を気遣っているのだろう、一言の文句も漏らさずに黙々と箸を動かしている。
グルメ猫であるマカでさえも、浮かない顔をしてはいるがモソモソと黒ずんだ刺し身を食べているのだ。
温かい仲間たちから発せられる心の熱量で、つい僕の目頭が熱くなってしまうが――まだ僕には最後の仕上げが残っている。
「フェニィのお弁当、よく出来てたよ! 魚の切り口も鮮やかだったし、魚の組み合わせも良いね。マグロ、サーモンのような味の濃い魚ばかりじゃなく、イカやタコのようなさっぱりした食材も散りばめられてて、食べ手を飽きさせない工夫が感じられたよ!」
そう、ちゃんとフェニィを褒めてあげなくてはならないのだ。
せっかくお弁当を作ってくれたのだから、正当に評価するのは当然の事である。
僕は言葉巧みに嘘を吐くことなく、長所だけに焦点を絞ってフェニィの手作り弁当を褒めてしまう。
もちろん――〔味〕については言及しない……!
刺し身弁当という、褒めポイントの難しい題材であっても僕は怯まない。
褒め職人を自称する僕にとっては、十分過ぎるほど褒め材料の宝庫だったのだ。
しかし、これだけでは不十分だ。
「でも、お弁当のおかずなら火を通した方が良いと思うよ。どうしても生だと味が落ちちゃうからね」
致命的な欠陥が存在した以上は、耳当たりの良い言葉で誤魔化すだけで良しとしてはならないのだ。
過ちを指摘しないとフェニィの為にならないし…………僕らの為にもならない!
なにしろ『味が落ちる』どころのレベルでは無かったのだ……!
フェニィも変色していた刺し身の姿に思い当たる節があるのだろう。
その瞳がわずかに沈みかけるが――
「それじゃあ、僕がフェニィの分まで食べちゃったし――二人で狩りに行こう!」
フェニィに落ち込ませる暇も与えずに、強引に手を引っ張って立ち上がらせる。
そして、まだお弁当と闘い続けている仲間たちを置いたまま、僕たち二人は狩りへと出掛けた。
「せっかくだから、狩りの獲物は一緒に料理してみようか?」
さりげなく、フェニィを正しい道に修正していくアプローチも忘れない。
相変わらず偉そうに「いいだろう」などと言い放つフェニィに安心しつつ、僕はフェニィの礎となるであろう獲物を探していった――
第一部終了。
明日からは第二部【悪夢の終わり】の開始となります。
次回、十六話〔限定の誘惑〕
※投稿時間の変更について
実生活の都合により、明日からは投稿時間を21:30前後での投稿に変更します。