十二話 墜落するピクニック
心ゆくまで空中散歩を満喫してから、僕たちは地上に降りた。
そうなると当然、餌に期待する池のコイのようにジーレたちが殺到してくる。
特に積極的なのがジーレとシーレイさんだったが、まずは幼いジーレからだ。
しかし、このジーレ――喜んでいるのは良いが、肩車されながら僕の首をあっちこっちに動かして方向転換をせがむのだ。
この子は、僕を牛馬かなにかと勘違いしてはいないだろうか?
ただでさえ人を人と思わないような言動が目立つので、ムチを持っていたなら平気な顔で僕を「ピシッ!」とやりそうな危うさがあるのだ……!
帝国から帰国する頃には意識改善がされているといいなぁ、などとあり得ない幻想を抱きつつ、僕はジーレとの周遊を終えた。
次なるは、既に興奮した牛のようになっているシーレイさんだ。
そんなシーレイさんは、僕らに向かって走ってきたかと思えば――猪突猛進の如くジーレを弾き飛ばした!
平常運転といえばそうだが……なんてことをするのだ!
ジーレの小さな身体が数メートルほど吹き飛ばされてしまったが、空の旅による興奮で痛覚が麻痺しているのか、ジーレは笑顔のままだ。
痛みに強い特性を持っていることもあるだろうが、さすがにジーレは大物だ。
戦闘訓練においても、肉体的苦痛に不満の声を上げたことなど一度も無いのだ。
しかし、それよりもシーレイさんだ。
仮にも国に仕える軍団長ともあろうものが、国民を守るべき立場であるはずのシーレイさんともあろうものが――寸分の迷いもなく王女を突き飛ばすとは……!
しかもシーレイさんには、全く反省の色が見えない。
いや……というより、ジーレに危害を加えた自覚があるかも怪しい。
シーレイさんの為にも、僕がしっかりと注意してあげるべきだろう。
「ジーレに体当たりしたら駄目じゃないですか。気を付けないと…………あ、いえ、分かってもらえれば良いんです。あの、言い過ぎました……ごめんなさい」
暴走ぎみの素行を軽く注意したところ、シーレイさんはじわっと瞳に涙を溜めてしまったので、僕は罪悪感に負けて謝罪することになった……。
なぜシーレイさんの過ちを指摘すると、いつも僕が謝る結果になってしまうのか……シーレイさんはズルいなぁ。
「――坊ちゃん、私は〔おんぶ〕が良いです!」
そしてこの立ち直りの早さよ!
本当にシーレイさんはズルいなぁ……。
だが、これ以上僕から何かを言えるわけもない。
シーレイさんへの道徳教育は、上司であるナスルに任せるとしよう。
優秀なナスルさんのことだ。きっと僕が旅から戻った時には、軍団の訓練日で〔一人の死者も出さず〕に訓練を終えられるようになっていることだろう。
悪夢のような話だが、シーレイさんが訓練に参加した日にはよく死亡者が出ているのだ……レットによる軍団長代行が大歓迎されるわけである。
ナスルさんに任せておけば、僕の帰国後には『暴力で解決するなんて野蛮人の発想です!』なんて言い出すくらいの平和主義に目覚めているに違いない……!
…………さて、それにしても〔おんぶ〕か。
実のところ、僕は背後を取られるのが苦手なのだ。
僕の人間不信癖が起因となっているのかもしれないが、床屋なども駄目である。
なにしろ床屋では――他人が背後から首筋に刃物を当ててくるのだ……!
僕から言わせれば、なぜ他の人々は平気なのか不思議なくらいである。
背後から剃刀であごを剃りながら『お客さん、お仕事は何をされてるんで?』などと薄ら笑いで問われたら、洗いざらい答えざるを得ないではないか……!
しかし、仲間のリクエストに応えないという選択肢は存在しない。
希望通り――息の荒いシーレイさんを僕の背中に乗せて、空の周遊を終えた。
なぜかシーレイさんは空に浮かぶ前から息が荒かったので不安だったのだが、幸いなことに僕の骨は一本も折られることは無かった。
うむ、今日の僕はツイている……!
さて、お次はセレンだ。
本人は特に希望を口にしていないが、兄である僕には分かる。
間違いなく、セレンも空中散歩に行きたがっているはずだ。
シーレイさんが嬉しそうに僕の背中におぶさっていた時にも、セレンは不愉快そうな顔をしていたのだ。
ほんの一瞬、負の感情が顔をよぎっただけではあるが、僕の目は誤魔化せない。
自分も行きたいのに恥ずかしくて言い出せない――そんな気持ちはお見通しだ!
かといって、僕がまっすぐ提案をしたところで、素直になれないセレンにより袖にされてしまうだけだろう。
回り込んで強引に肩車をするのも良いが、今のセレンは僕を警戒している。
……実現性は低いと見るべきである。
ならばここで求められるのは、さりげなさだ。
警戒心を抱かせることなく〔気が付けば空の上〕を達成しなくてはならない。
――僕は周りをはばかることなく、正面からセレンに向かって歩いていく。
不意打ちのような姑息な真似などしない。正面突破あるのみだ。
さっぱりした笑顔のまま近付いていく僕に、セレンは怪しみながらも動かない。
そして僕は、セレンの肩についた糸くずを取るような自然な動作で手を伸ばし――自然な流れで抱き締めた!
「なっ……」
さしものセレンといえども、僕が正面から堂々と仕掛けてきたのは予想外だったのだろう。
冷静なセレンには珍しく、狼狽した声を上げているのだ。
セレンを抱え込むように抱き締めるのと同時に、僕は空へと旅立った。
――セレン捕獲、完了!
首尾良くセレンを捕まえた僕は上機嫌だ。
僕はゆるゆる上空へと上昇しながら、気分良くペラペラと軽口を叩いてしまう。
「ふふ……この形だと、まるで犯罪者を捕縛して護送しているみたいだね。あ、セレンは盗賊団の団長だから、それほど間違ってもいないかな。はははっ……」
「…………」
自由を奪ったはずのセレンの手が蠢いた。
――ズブッ。
「っぐぁっ……!」
セレンの親指が僕の腹部に突き刺さり、たまらず苦痛の声を上げてしまった。
このゼロ距離からこれほどのダメージを僕に与えてくるとは……流石はセレン!
そして激痛の影響によって、繊細な操作を必要とする空術が維持できなくなってしまい、僕たちは真っ逆さまに墜落してしまう……!
僕は咄嗟にセレンの頭を抱え込み――そのまま「ドン!」と地面に衝突した。
幸いなことに、それほど高度が高くなかったので落下ダメージは軽い。
……危険な高度にいたとしても、セレンは同じ行動を取っていたはずだろう。
いざとなれば、自身の不利益すら計算に入れない子なのだ。
しかし、これは僕が軽率だった。
セレンは僕を捜す為に盗賊団の団長をやっていたのだ。
それを犯罪者扱いするなどとは、冗談でも言っていいことでは無かった。
そう――胃に穴を開けられてしまうぐらいの事は当然だ……!
「ごめんねセレン、ついつい浮かれて調子に乗っちゃったんだ……」
「ふふっ……咄嗟に私を庇おうとしてくれたので許してあげましょう」
優しい……!
僕はセレンの心を傷付けてしまったのに、なんて寛大なんだろう。
ほぼ無意識にセレンを守るぐらいは当然の事なのだが、セレンからは高評価を貰えたようだ。
「――お前ら何やってんだよ……」
レットが引き気味の顔をしながら僕らを咎める。
どうやら呆れつつも心配しているらしい。……まるで保護者のような男だ。
本来の保護者たる父さんは、僕の胃に穴が開いて出血しているにも関わらず、まるで心配している気配を見せていない。
というより、僕とセレンが仲睦まじい様子なので嬉しそうですらある。
うむ、さすがに安定の非常識ぶりだ……!
ストレス社会で生きているかのように胃に穴が開いてしまったので、しばらく寝ながら治療に専念しつつ、僕は次なる標的について思いを馳せた。
残すは一人――そう、ルピィだ。
この難敵には取り分け慎重になる必要性がある。
なにしろ過去に『肩車してほしーいっ!』とルピィに懇願されたので、仲間想いの僕がその通りに実行してあげたら――ルピィに殴られてしまったのだ!
……事実と僕の記憶に多少の差異はあるかもしれないが、概ね事実のはずだ。
さっきからソワソワしながら空中散歩に出掛ける仲間たちを見送っていたので、まず間違いなくルピィも〔空に旅立ちたい〕と考えていることだろう。
特に、セレンと僕が抱き締め合いながら浮き上がった後には、ルピィの反応はより顕著になっているのである。
次は自分の番だと期待しているかのように、頬を軽く紅潮させてあたふたとしているのだ。
――これは期待に応えねばなるまい。
前回は肩車で失敗してしまったので、同じやり方は避けるべきだろう。
そうなると〔おんぶ〕が良いのだろうか……?
いや……おんぶには相手の協力が必要となる。
気分屋だけあって、たまにルピィは意地っ張りになってしまうのだ。
今回も下手をすれば、なんだかんだで素直になれずに拒否するかもしれない。
ならば、僕の進むべき道は一つ。
もはや僕は企てを隠す気もなく、堂々とルピィに向かって歩いていく。
散々仲間たちを空に運んでいったのである。
この期に及んで僕の狙いを誤魔化せるはずもない。
爽涼とした足取りで近寄る僕に対して、望み通りの展開であるはずなのにルピィはますます緊張を濃くしている。
ルピィの動揺ぶりに疑問を覚えつつ――これは好都合だと思い直した。
普段のルピィならいざ知らず、今の彼女は隙だらけだ。
僕はルピィを観察する。
視線、呼吸、ルピィが発するありとあらゆる気配を。
緊張を解すべく僕がにこやかに微笑みかけると、期待で顔を赤くしているルピィが僕から視線を逸らした。
――今だ!
僕は腰を屈めてタックル――そしてルピィの両足を抱え込んで重心を崩す!
「……きゃっ、わぶっっ!」
たまらずルピィは倒れ込み、僕のお尻に顔をぶつけてしまう。
そしてその時には――もう僕の体は浮き上がっていた。
ルピィの両足を掴んだまま、僕は空へと上昇していく。
そしてジタバタと暴れるルピィを肩に担ぎ直して安定させる。
うむ……まるで米俵を担いでいるようではないか。
――五十キロで大銀貨十枚なり!
「な、なにすんのよっ! ボクだけ扱いがオカシイでしょ!!」
大いに暴れながら僕に罵声を浴びせかけるルピィ。
これではまるで――僕が誘拐しているようではないか……!
「まぁまぁ落ち着いてよルピィ。まるで僕が人さらいみたいに見えちゃうだろ? それにしても……この重さからするとルピィは五九キロくらいかな? 身長から考えれば、もう少し体重を増やした方が良いと思うよ」
首尾良くルピィを連れ出すことに成功したので、僕の心は大らかになっていた。
ついつい仲間の健康を心配してアドバイスを送ってしまうのも当然……!
「コイツっ……!」
だが、僕の優しい気遣いに――ルピィの肘打ちが後頭部に返ってきた!
思わずルピィを拘束する手を緩めてしまうと、ルピィがクモのような動きで僕の背後に回り込む。
やっぱりおんぶが良いのかな……? と僕が思考していたところ、ルピィががっしりと僕の首に腕を回してきた……!
この体勢は、まさか――スリーパーホールド!
ここは高い空の上なのに、正気とは思えない行動だ……!
死ぬ、殺されるっ……その思いを最後に、僕の意識は闇に消えてしまった……。
あと三話で第一部は終了となります。
明日も夜に投稿予定。
次回、十三話〔謝罪強要〕