十一話 飛翔するピクニック
食後、僕はレジャーシートに座って紅茶を嗜んでいた。
そんな時――ふと、ある疑問が脳裏に浮かんだ。
いや、実のところ前々から気になってはいたのだ。
「ねぇレット、マカのことなんだけど……身体の成長が遅くないかな?」
もうマカと出会ってから四、五カ月になるが、それから現在に至っても〔仔猫サイズ〕のまま変化がないのだ。
普通の猫とは別格の存在である神獣なので、その成長速度を単純に比較することは出来ないだろう。
だが、そもそも神獣は〔巨体〕に育つ傾向があるのだ。
原種より大きく育つどころか、まるで成長の兆しが見られないともなると、僕が不安になるのも当然と言える。
……食事量も僕と同程度なので、よもや栄養不足という事は無いはずだが。
そんな僕の質問に――なぜかレットは言い淀みながら答えた。
「……それは、あれだろ。ほら……神獣は〔環境適応力〕が高いからだろ」
レットはぼかすように答えてくれたが、僕にはすぐ分かった。
……そう、分かってしまった。
神獣はどんな過酷な環境であっても高い順応性を見せると言われている。
つまりマカが一向に成長しないのは、僕のフードに適応しているということに他ならない……!
なんてことだ……マカの健やかな成長を祈っていた僕こそが、マカの成長を阻害している張本人だったなんて!
考えれば考えるほどに合点がいってしまう。
……前々から、おかしいとは思っていたのだ。
小さなマカが魔力操作を体得するまでは、フードの中でゆっくり面倒を見ようと考えていたが、いつまで経ってもマカは小さいまま。
魔力操作体得後も、定住地であるかのようにフードに居座り続けていたのだ。
フードに無意識の本能で適応してしまったのか、僕の魔力がマカを包むことで〔抑えつける〕ように成長を妨げてしまったのかは分からないが――どちらにしても僕の責任だ……!
――僕はあまりにも大きな罪悪感に襲われて、地に手をついてしまった。
このままでは、老猫になっても食事を提供される際には、『君はまだ仔猫だからミルクだけね』などと軽んじられてしまうのだ……!
マカになんと詫びれば良いのか……と、僕が途方に暮れていると、頭にポフリとした柔らかい感触があった。
――マカだ。
期せずして土下座体勢になっている僕を慰めようとしているのか、はたまた面白がってポコポコ叩いているだけなのかは分からない。
しかし、そんな変わらないマカの行動に、僕は救われ――
「――にゃあっっ……!」
突然、肉球の感触が消えたと思ったら――マカが滑空している!
僕の傍らには不快そうな顔をしたセレンが立っているので、おそらくセレンに叩き飛ばされてしまったのだろう……。
傍目には僕がマカに土下座をしているように見えたので、さすがのセレンも我慢が出来なくなったようだ。
しかしなんてことだ……こんなところでマカの夢が叶ってしまうなんて!
困難な夢の達成には犠牲が付き物と聞くが、それはこの事だ……!
どさくさに紛れて追撃しようとしていたジーレをたしなめてから――すぐさま僕はマカに駆け寄った。
遥か彼方まで飛ばされてしまったが、果たしてマカは無事だろうか……?
……うん、大丈夫だ。骨が数本折れているだけだ。
セレンは怒っていても手加減はしたのだろう……やっぱりセレンは優しいなぁ。
力無く寝そべっているマカの治療をしていると、優しいセレンが微笑みながら僕に話し掛けてきた。
「にぃさま。その畜生はもう成長しないようですから、将来にぃさまを乗せて走るようなことも出来ません。ちょうどいい機会です、その畜生を処分するのはどうでしょうか?」
ひどいっ! なんてことを言うんだ……!
可哀想なマカが小刻みにぷるぷる震えているではないか……!
そもそも友達を〔乗り物〕として利用しようだなんて……そんな失礼な事、今まで夢想すらしていなかったのに。
『処分するのはどうでしょう』なんて言われても、『良いでしょう』なんて言うわけが無いでしょう!
…………いや、違う。
これはセレンの優しさだ。わざとマカにプレッシャーをかけているに違いない。
あえてマカに危機感を持たせる事によって、「成長しなきゃいけないニャン」と思わせているのだ。
つまり、生存本能を刺激する事でマカの成長を促そうとしているのである。
兄である僕としたことが、思いやり溢れるセレンの発言を誤解するところだった……危ない危ない。
おっといけない、ジーレが先走ってマカを処分しようとしているではないか……危ない危ない。
重術発動の前兆を感知したので――僕はジーレに「待った」をかけた。
しかし、動けないマカがこうして怯えているのだ。
ここは安心させてあげるべきところだろう。
「良いんだよセレン。マカがこのまま大きく成長しなくたって構わない。それに、友達に乗って移動するなんて――仲間を道具扱いするようなことを出来るわけがないだろ?」
僕は胸を張って非人道的行為を否定した。
だが……そこで口を挟んできたのは、意外にもレットだった。
「仲間を道具扱いしないって……アイスはこないだフェニィさんを足場に使ってたじゃねぇか。あれはさすがにどうかと思ったぞ」
――鈍器で頭を殴られたような思いだ。
レットが言及しているのは、先のクーデターの際――軍団を説得する為、僕がフェニィの肩に立って演説をしていた時の事だろう。
その通り、言われてみればそうだ。
たしかに、道具扱いしていたなどと言われても反論出来ないではないか。
フェニィがなんでも許してくれることに甘えて、僕は無自覚にとんでもない事をしていたのだ……!
なぜレットはあの時に指摘してくれなかったのだ……。
今更になって伝えるのはどうかと思う!
いや駄目だ、レットの所為にしてはいけない。
悪いのは僕、いつだって僕が全部悪いんだ。
……フェニィに償いをしなくてはならない。
本人はまったく気にしていないとは思うが、僕の気が済まないのだ。
ここは借りを返す意味でも、僕の肩に乗ってもらうべきだろうか……?
いや、それよりは〔肩車〕の方が良いかもしれない。
以前に抱っこをしてあげた時も喜んでいたような気がするし、きっと肩車も気に入ってくれることだろう。
「フェニィ。ちょっとこっちに来て、背中を向けて立ってくれないかな?」
善は急げの精神で、早速僕はフェニィを呼び寄せた。
フェニィは不思議そうな顔をしながらも、疑問の声を上げることなく僕の言葉に従ってくれた。
……僕がお願いしたことではあるが、フェニィが従順過ぎるのも問題だろう。
こちらを信用してくれているのだろうが、僕としては迂闊な発言をしないように気を付けねばならないのだ。
もっとも、『気軽に人を殺さないでね』という重要度の高いお願いに関しては、平気で反故にされてしまうのだが……。
――とにかくだ。
ただの肩車では面白くない。
ここは借りを〔倍返し〕で返すことで、僕の義理堅さを鮮烈に印象付けよう。
僕はフェニィの股の間に頭をねじ入む――フェニィの股越しに動揺を感じつつも、僕は気にすることなく立ち上がった!
「……!」
フェニィは驚いているが、僕の本領はここからだ。
僕は立ち上がると同時に〔術〕を行使していたのだ。
そう――空術を!
先日空術をお披露目した際、フェニィは空術に興味津々だったのである。
そこで今回、肩車をしながら空術を使うことで一挙両得といこうという作戦だ。
それでなくとも背の高いフェニィが、僕に担がれたまま大空へと飛び立つ――
――フェニィロボ、発進!!
「いいなぁぁぁ……」
ジーレの羨望の声を置き去りにして、二人で一人となった僕らは飛んでいった。
よしよし、後でジーレにもやってあげようではないか。
とりあえずはフェニィと一緒に空中散歩とシャレこもう。
まだ空術は覚えたてなので、全力で飛んだとしても歩く速度と変わらないぐらいだが、散歩にスリリングさは必要無いのだ。
もっとも、高所ではあるので人によっては恐怖を感じるかもしれない。
しかし僕やフェニィならば、雲の高さから落下したところで致命傷にはならないのである。
というか――過去に墜落した時も大丈夫だったのだ!
……いかんいかん、かつて行われた〔アイスロケット計画〕なる非人道的な計画を思い出してしまったではないか。
辛い思い出は振り返ってはいけない、忘れよう……!
「いい眺めでしょ? もう王城の展望塔より高いところにいるからね」
「……悪くない」
よし、フェニィが悪くないと言っている時は『最高でーす!』と叫んでいるに等しいのだ……!
雲より高く上がったおかげだろう……遠すぎて霞んではいるが、在りし日にフェニィが根城にしていた〔排斥の森〕が見える。
僕の視力でははっきりと見えないが、フェニィならば鮮明に視認出来ていることだろう。
「フェニィ、あそこに排斥の森が見えるけど……帝国からの帰り道、あそこを通過して帰ってくるって言ったら嫌かな?」
フェニィは気にしないだろうとは思ったが、礼儀として確認を取ってみた。
なにせフェニィは、洗脳された状態で森の番人をやらされていたのだ。
予定調和とはいえ、この質問をする事は必要な儀式であろう。
――もちろんフェニィからの返答は、予想に違わず「構わない」の答えだ。
帝国への〔行き〕のルートは、王都から北に向かって教国と民国を通過しながら西に向かい、それから南の帝国へと向かうつもりでいる。
だが問題は〔帰り〕のルートである。
なにしろ、ジーレたちにより速やかに帰国することを約束させられているのだ。
王都にしろ帝都にしろ、共に大陸の南寄りに位置している。……北にある教国経由では時間が掛かり過ぎてしまうのだ。
〔行き〕は、各国の友人たちに戦勝報告する目的もあるので外せないが、〔帰り〕まで大回りをして帰るわけにはいかない。
ジーレたちと約束した期限までに帰国出来なかったら、帝国に大変な災難が降りかかる可能性があるのだ。
今となってはジーレとシーレイさんは権力者だ――軽い気持ちで帝国に戦争を仕掛けるぐらいの事はやってのけるに違いない!
ちなみに最短ルートは南の〔砦〕経由になるのだが、ここは常に両国の軍が緊張状態にある場所でもある。
強行突破して戦争の火種を作るようなことは論外なのだ。
帝王との話し合いが上手く運べば、穏便な形で砦を通過可能ではあるが、もしもの場合も考えなくてはならない。
そこで次なる時短ルートが、砦よりは北に位置しているものの教国よりは近い――排斥の森通過ルートとなるのだ。
排斥の森を通過する可能性が存在する以上、事前にフェニィの了解を取っておくのは当然の事である。
正直に言えば、こうして空から排斥の森が見えたから閃いたわけなのだが……ちゃんとフェニィの許可も貰えたので問題は何も無いのだ。
明日も夜に投稿予定。
次回、十二話〔墜落するピクニック〕