最終話 武神
……それでは始めるとしよう。
開始の合図代わりに、指で小石をピンッと弾く。
一直線に将軍の頭部へと飛んでいく小石――だが、予想に違わず父さんの剣に迎撃された。
ヒュッ――剣で風を切る音が、僕の耳に遅れて届く。
将軍は攻撃されたことにすら気付いていなかったようだ。
いつのまにか抜かれた父さんの剣を、どたどたと立ち上がりながら驚きの眼で凝視している。
――しかし速い。
もう少し父さんの腕は鈍っているかと考えていたが、注視していなければ抜き手が見えなかったくらいだ。
やはり希望的観測は良くない。
こぼせない大一番なのだから、最悪を想定してしかるべきだった。
僕がつらつらと思考している間にも、父さんはその場から消えている。
僕が軽く仰け反った場所を――剣閃が疾風のように通り過ぎる。
多少の誤算はあったが、ここまでは概ね想定通りだ。
将軍を攻撃したことによって、僕が父さんの攻撃対象となったのだろう。
……仲間に剣が向くわけではないのでやりやすい。
玉座の近くから僕の元までの踏み込みは、光が走ったような反則的な速度だったが、踏み込み動作の〔起こり〕が丸見えなので回避は可能だ。
やはり牽制もフェイントもしてこない洗脳術下特有の愚直さは、こちらにとって大きなアドバンテージである。
本来の父さんなら、目線で、体の動きで、体内の魔力の動きで、ありとあらゆる手で惑わせてくるので、狙いを絞れないのだ。
もっとも、魔力の微細な動きでのフェイントなんて、魔力を視認出来る僕ぐらいにしか効果は薄いのだが……なぜ僕を狙い撃ちするような技能を習得しているのだろう。
しかし無駄な動きが無いということは、その分動きが速くなる――というか、速すぎる……!
父さんの攻撃は剣を振るっているというよりは、決められた型を舞っているかのようだ。
これがまさに剣舞というやつだろう。
研鑽を重ねた舞のように滑らかな動きで、まるで事前に僕との演舞を練習していたかのように錯覚させる。……もちろん僕には演武の練習をした記憶など無いので、必死に動きを読んで回避しているのだが。
しかし、僕は無手とはいえ、回避に専念していながら躱しきることが出来ない。
まったく……父さんは出鱈目な強さだ。
〔軍国最強〕の通り名は、伊達ではないということだろう。
武器も待たずに父さんを圧倒してやろうなどとは、大言壮語も甚だしかった。
……時間の経過と共に傷が増えていく。
このままでは長くは持たない。
早速だが――奥の手を使うとしよう。
「――ジーレ!」
「――――えいっ!」
繰り返して練習した通りに、ジーレの重術が発動する。
父さんと――僕に。
本来ならば、座標を指定して行使する重術は、父さんのような俊敏な相手には逃げられやすい。
それでなくとも魔力の気配に敏感な父さんなら、重術発動の前兆を嗅ぎ取って回避することが可能だろう。
しかしそれは、障害が何も無ければの話だ。
僕との戦闘中にみすみす逃がすような事はさせない。
ジーレが父さんを攻撃することにより、ターゲットがジーレに移る危険性はあるが、ジーレは仲間たちが守っている。
……それに、僕が父さんを離しはしない。
重術をまともに受けた父さんは、倒れこそしないものの、動きが一瞬だけ静止する――その千載一遇の隙を見逃す僕ではない。
僕はジーレとの訓練で、加重を受けた状態での鍛錬にも余念が無かったのだ。
しかも僕は、ジーレから重術が飛んでくるタイミングも把握していた。
これだけ状況が揃えば、もう僕の独壇場だ。
僕は父さんの両腕を抱え込むように身体を抱き締め――両脚を払って一緒に倒れ込む。体勢としては大外刈りに近いだろう。
――さしもの父さんとて人間だ。
過重を加えられた状態で腕を封じられて、足払いを掛けられれば、地に倒れる他はない。
父さんを拘束した時点で、僕は魔力干渉を開始している――そう、解術だ。
容赦の無いジーレの重術が、僕の骨をも軋ませていくが気にならない。
魔力抵抗に使っていた分の魔力を解術に回した反動でしかない。
……この程度で音を上げるような鍛え方はしていないのだ。
極力父さんを傷付けたくなかったが、これぐらいは子供の重さと思ってもらって許してもらうとしよう。
父さんの魔力量は僕と同じくらい、つまりはフェニィと同じくらいだ。
成功の前例もある。
ここまで持ち込めば、あとは解術に集中していくだけだ。
魔力を流す事だけに集中していると――その時は唐突にやって来た。
洪水で堤防が決壊するように、父さんの中で堰き止められていた何かが、勢いよく僕の中に流れ込んできた。
…………僕は怖い。
これから視ることになる記憶は、父さんの絶望の記憶であり、僕の弱さの記憶でもある。……それでも、僕は逃げるわけにはいかない。
この記憶と正面から向き合うことは、僕の責務なのだから――――
――――――。
ここは……食堂? 王城の食堂のようだ。
「――びひぇひぇ……! 武神と言えども毒には抗えなかったか。余に逆らう不忠者め、成敗してくれるわ!」
将軍だ。
品の無い笑い声をあげながら父さんを罵倒している。
僕の意識は父さんの記憶と共にある。……だからこそ違和感を覚えてしまう。
あの父さんが、毒程度で動けなくなっている?
信じがたいことだが、実際に父さんのこの身体は動かない。
父さんの焦燥感が僕にも直接伝わってくるのだ。
「――それはいけませんよ。契約を忘れたのですか? 私の目的はイレギュラーである子供二人の殺害。武神は消すわけにもいかないので……そうですね、あなたの護衛で飼い殺しにしてあげましょう」
この男は、間違いない――悪魔だ。
フェニィの記憶で視た時と、全く同じ姿、同じ声で、笑みを浮かべながら僕の父さんの処遇について話している。
予想はしていたが、やはりこの悪魔は、僕の父さんの件にも噛んでいたのか。
……どれだけ僕の大事な人たちの人生を狂わせるというのか。
腸が煮えくり返るような思いを押し殺して、僕は悪魔の発言について思索する。
『子供二人の殺害』が目的、この悪魔は確かにそう言った。
……どういう事だろう?
その言葉を鵜呑みにするなら――悪魔が父さんに干渉したのも、僕とセレンを殺す手段として利用する為だったという事になる。
百歩譲って考えると、この時点でも王都において僕の顔は売れていたから、僕が標的になるのはまだ理解出来る。……だが、セレンは?
まだ生後一年のセレンを害する理由が見つからない。
それもこんな迂遠な手段を用いてだ。
この悪魔なら、幼い僕とセレンを直接手に掛ける事だって難しくは無いだろう。
「――動けないでしょう? 私の特製品ですから当然です。闘う為だけの存在、武神が家庭を持とうなどと欲をかくから……こんな事になるのですよ?」
僕ら兄妹のせいで父さんがこんな目に遭わされていると聞かされ、僕は大波のような不安に襲われた。
父さんが僕らに向ける感情を知るのが、怖くなったのだ。
しかしそれも杞憂に過ぎなかった。
父さんの心にあるのは、不覚を取った自分への怒りと、それより遥かに大きな感情――家族を守りたいという感情だけだ。
その想いは僕の心を直接揺さぶる……父さんは、僕らを――愛している。
だが、悪魔は止まらない。
僕が何を感じようとも、これは起きてしまったことなのだ。
悪魔は父さんの頭を手で掴み、愉快そうな顔をしながら囁く――
「――あなたの家にいる家族を――皆殺しにしなさい」
――――。
そこから先の光景は見るに耐えないものだった。
母さんを手に掛け慟哭する父さん。
生まれて初めて目の当たりにする人の死――母さんの死に、混乱して何も出来ないままに恐怖に怯える幼い僕。
そしてこれらを父さんの視点で視ることによって、新しい発見があった。
胸を刺し貫かれて力を失う母さんの唇が、今際の際に言葉を形作っていたのだ。
その発せられることの無かった言葉は、父さんにも、僕にも、確かに伝わった。
それはたったの三文字――『ごめん』。
……それが、母さんの最期の言葉だ。
優秀な治癒術士である母さんには、自らの死の直前に、父さんの置かれている状態が分かったのだろう。
分かっていながら、みすみす自分を殺させてしまった事を悔いている。
それが、父さんにも僕にも……確かに伝わった。
だが、母さんが謝るようなことは何もない、何もないのだ。
死にゆく母さんの遺言が、父さんの深い絶望が、僕の意識を押し潰す。
気を強く持っていないと、激情の濁流に呑み込まれそうになる。
……今の父さんは、かつてのフェニィと同じだ。
全ての元凶である悪魔より将軍より――自分を憎悪している。
……僕も自分自身が憎かった。
無能で惰弱な幼い僕は、母さんの突然の死に怯えているだけだ。
異変を察したバズルおじさんが部屋に飛び込んできても、加勢するわけでもなく、セレンを連れて逃げる足取りすら覚束ない。
この記憶は、父さんの絶望の記憶であり……僕の罪の記憶だ。
――――――。
――僕は、長い旅から帰ってきた。
解術は間違いなく成功した。
父さんが、眼を開けたまま目を覚ますのが分かる。
「――――アイス」
「久し振りだね……父さん」
改めて父さんに再会の挨拶を告げる僕だったが――不意に、自分の置かれた現状に気付いてしまった。
……なんてことだ。
僕ときたら、いい歳をして父親に抱き付いて泣いているではないか……!
これは恥ずかしい……またルピィにからかわれるネタが増えてしまう!
僕は努めて自然な動作で身体を起こす。
そう、軽いハグでの挨拶をしたようなものだ。
こんな事で動揺している場合ではない。……まだ将軍が残っているのだ。
聞きたい話もあるので息の根を止める訳にはいかないが、これまでの所業の報いを受けさせてやらねばならない。
将軍に対する怒りに我を忘れないようにしながら、僕は視線を将軍に移した。
…………そこには、ダルマになって泡を吹いている将軍がいた。
四肢を切り落とされている――出血が少ないのでフェニィの仕業だろう。
僕が護衛の父さんを抑えている間に、無防備な将軍にやりたい放題やっていたようである……。
……僕の中で怒りの感情が霧散していくのを感じる。
さすがにこの惨状を目の当たりにすれば、これ以上痛めつけてやろうという気にはならない。
将軍は見るからに酷い事になっているが、どうやら生きてはいるようなので万事解決としよう。……なにより、父さんが将軍を見る目にも怒りはないのだ。
あれほど色々な事があったのに、怒りどころか何の感慨も感じさせない。
さすがは僕の自慢の父さんだ。
――その場で佇む僕と父さんに、セレンが近付いてくる。
セレンは父さんの事を覚えてはいないだろうが、実に十二年ぶりの再会だ。
父さんからしても、赤子だった娘が立派に成長しているのだから、万感の想いがあることだろう。
「――セレンか」
「――はい、父さま」
……二人の会話はそれだけだった。
だが、それだけの会話で通じ合っているのか、父さんもセレンも共に満足しているように見える。……二人が情に薄いわけではない事は、他ならぬ僕がよく知っている。
情が薄いどころか、家族に対する情愛の強さは、二人共に相当のものだ。
父さんの胸の内は覗いてしまったことであるし、セレンのことも僕はよく知っている。
この二人には、言葉を並べる必要性すらないということだろう。
僕が寂しいような嬉しいような複雑な心境を抱えていると、レットとシーレイさんもこちらへとやってくる。
洗脳術の支配下にあったとはいえ、レットとシーレイさんの父親は……僕の父さんに殺されている。
バズルおじさんに瓜二つであるレットと、副軍団長の娘さんであるシーレイさんの存在に、父さんも気が付いたようだ。
父さんは二人に口を開きかけるが――
「――――俺は、友人の為に死ぬなら後悔なんかしません。……きっと、親父も同じです」
父さんは謝罪の言葉を出そうとしたかもしれない。
――だが、レットはそれをさせなかった。
むしろ、父さんが謝罪することは親父への侮辱だと言わんばかりの、はっきりとした口調だ。
レットの意見に同調するように、シーレイさんも薄く微笑んでいる。
父さんは故人を想うような瞳で、静かに二人を見詰めていたが、何も言わないままに小さく頷いた。
しかし……レットの言う友人の枠には、僕は入っているのだろうか?
もしもそうなら嬉しいが、レットが死ぬくらいなら僕が死ぬ道を選ぶので、心中複雑な思いもある。
――――。
さて、父さんにはルピィたちのことも紹介したいが、それは後だ。
吉報を待ち望んでいる皆に、戦争の終結を知らせなければならないのだ。
ちょうどこの玉座の間からは、屋外に通じるバルコニーがある。
僕と父さんが並んでバルコニーに顔を見せると――眼下では怒涛のような歓声が上がった。
やはり僕と父さんの顔を見せるのが、何よりも瞭然とした勝利の証なのだろう。
父さん――武神が民衆の前に顔を晒すことは、十年以上も無かったことなのだ。
この歓声は、王都の外にいるナスル軍にも届いているはずだ。
時を置かずして、ナスルさんも王城にやってくることだろう。
これから先もやるべき事は山積みだが、僕は心配していない。
僕には父さんがいる、セレンもいる。
そして、いつも僕を助けてくれる――仲間たちがいるのだから。
一章【軍国~神捜し~】完。
今後は、一章→間章→二章……と進行していく予定です。
間章【神の女王と解放者~諸国漫遊記~】は独立した小説となっていますので、お手数ですがトップページ下部のリンクなどから飛んでいただければ幸いです。
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