百十六話 王子の策謀
「誰も……いないね」
王城の中に突入した僕らだったが、兵士たちが待ち構えているようなこともなく、敵の本拠地には静けさがあるのみだった。
王城玄関の扉が開けっ放しになっていた時点で予想出来ていたことだったが、いざ現実を目の当たりにすると複雑な思いがある。
ここに至るまでに、ナスルさんの協力を取り付けたり、あれやこれやと入念に下準備してきたつもりがこの有様だ。
どうやら、王城戦力が瓦解する最後の一押しが〔不落門の焼失〕だったようだ。
沈みかけの船から逃げ出すように、王城から人々が逃げ出していたが、その中には最後の一握りの兵士たちもいたのだろう。
使用人にしては多すぎると思っていたのだ……兵装に身を包んでいなかったから区別出来なかったが、武装解除した兵士たちもどさくさ紛れに脱出していたのだろう。
だが……正直なところ、僕からすれば逃亡した兵士たちについてはどうでもいい事だと言える。
重要なのは、王城内に人気がなくなったので探索がしやすくなったという一点だけだ。
おそらくは、最上階の玉座に将軍も父さんも存在しているとは思うが、がらんどうのこの王城にも、まだ人の気配はあるのだ。
もう軍国側の神持ちは弾切れのはずだが、なにしろこの局面でまだ城に残存している人間だ。
よほどの剛の者である可能性もある。
後顧の憂いを断つ為にも、確認しておく必要があるだろう。
「――ここだね」
二階のとある一室。
豪華な装飾がされたその部屋からは、たしかに人の気配がした。
部屋の外見からしても、普通の部屋ではないことは明らかだ。
「じゃ、まずボクが部屋の中を確認するよ」
「僕も行くよ。……多分、戦闘系の加護持ちが中にいる」
気配だけだからはっきりとはしないが、中にいるのは一般人ではない。
加護持ち、それも戦闘系の加護持ちである気がしている。
〔神持ち〕ではないとは思うが、迷神の迷術みたいな例もある。
そう、迷術のような罠を仕掛けてくるようなタイプかもしれないのだ。
……ルピィ一人に行かせるわけにはいかないだろう。
僕も行くと表明すると、皆もこぞって同行を希望したが――それは駄目だ。
全員で行こうものなら、それこそ罠でもあれば一網打尽にされてしまう。
――結局、テコでも動かなかったフェニィだけを受け入れて、僕とルピィとフェニィだけで部屋に突入することとなった。
他の皆には、少しだけ離れた所で待機してもらう。
部屋の扉をガチャリと開けて入ると――すぐに部屋の奥から叱責の声が飛んできた。
「――遅いぞ、何をしている! 侵入者だがなんだが知らぬが、いつまで片付けるのに手間取っていたのだ。早く女を連れて参れ。……ん? なんだお前たちは」
でっぷりと肥え太った豚のような男だった。
僕らのことを自分の付き人かなにかと勘違いしているようだったが、部屋に入ってきたのが侵入者そのものだったことにようやく気付いたようだ。
……だが、侵入者の存在にも男は焦った様子も見せず、好色そうな笑みを浮かべながら、僕らを舐め回すように睥睨しながら世迷言をのたまう。
「げぇへぇへへへ、お前らか侵入者どもは。中々良い女たちではないか――よし、朕の後宮に加えてやろう。第一王子たる朕の所有物となるのだ、感謝するが良い。男は邪魔だな……よし、その男を殺すことで朕への忠誠の証としてやろう」
何を言っているのだろうかこの男は? これが軍国の王子?
ことこの後に及んで、状況を理解していないのだろうか?
……きっと幼い頃から、自分が望んできたことは全て叶ってきたのだろう。
自分が害されることなど想像もしていないのかもしれない。
――そこで僕は違和感に気付く。
男が『その男』と呼んで指差しているのは僕ではない。
その指が真っ直ぐに指していたのは――ルピィだった。
「ぷっ……」
……こんな時なのに、不意に思わず笑ってしまった。
これはズルい。意表を突かれたので、ついツボに入ってしまったではないか。
さりげなく僕が女性としてカウントされており、この男のハーレム候補の一員となってしまっているのは業腹だったが……。
――瞬間。
ルピィから殺気が膨れ上がる。
僕は咄嗟に警戒したが、殺気を感知した時には――既に男の首からナイフが生えていた。
「ぐぶっ……」
肥えた男は声にならない声を上げて倒れ伏した。
……ナイフを投げる予備動作が全く無かった。
男はルピィに意識を向けていたはずなのに、手も足も出ないまま餌食になっている。
「……アイス君、なにか、可笑しいことでも、あったのかな?」
ひいっっ、まずいぞ……。
言葉の選択を間違えたら、僕の首からもナイフが生えかねない――僕にはナイフを育てる趣味なんかないのに……!
これは僕らを仲違いさせようというあの男の策謀に違いない。
あの豚男め。鈍重そうな見た目に反して、なんて巧妙な離間工作なんだ!
……考えろ、考えるんだ。
この場を切り抜ける最適解を見つけ出すんだ――
「……いえ、あの男がこの期に及んで世迷言を唄っていたので、滑稽だっただけですよ。それにしても見事な手腕でしたね、あれでは分かっていても避けられないことだったでしょう。ルピィさんは可愛らしいうえに、腕も立つとは全く恐ろしい人ですよ。こんなにも愛らしい人を男と見紛うなんて、頭がどうかしてましたね、あの男は」
僕は流れるように弁明した。
……つい敬語になってしまったのはご愛嬌だ。
「…………ま、まぁそれならいいけど」
よし! なんだかんだでルピィは褒められるのに弱い。
というより、褒められるのが嫌いな女性がいるだろうか? ――いや、いない!
さすがに見え透いた世辞は見抜かれるだろうが、僕の言葉には一片の虚偽もないのだ。
――それにしても、まだこの王城に居座っているからどんな人間かと思えば、ある意味ではとんでもないやつだった。
僕とルピィとを争わせようとは……ここ最近で、最も命の危険を感じたではないか……!
あんなやつでも軍国の王子だったので、捕縛してナスルさんに引き渡すべきだったのかもしれないが――
「――この国の王子とかいうヤツがいたけど、とんでもない極悪人だったから始末しておいたよ」
…………ルピィは後ろめたさなど全く感じさせない笑顔で皆に説明している。
レットがふむふむと違和感なく聞き入れているので、ルピィの言葉には虚言無しということだろう。
少なくとも、ルピィに嘘を吐いている自覚は無いのだ。
たしかに品行方正な人間には見えなかったが……いや、僕からは何も言うまい。
今の将軍も酷いが、次世代のトップ候補もあれでは、やはり体制の一新は正しいと言わざるを得ないというものだ。
独裁政権はトップが有能なら良いが、無能が頂点に君臨してしまうと下の人間にとっては悲劇でしかない。
そう考えると、ナスルさんに政権が移行しても危うさは残る。
なにせ次代はジーレになるのだ……。
ジーレは賢い子ではあるが、『今日は雨が降ってるからぁ――三人処刑しま~す!』とか、言い出しかねない危うさを秘めている――暴君ここに極まれり!
……いや、いくらなんでもそこまでの事はしないにしても、同じ体制が長く続くと腐敗してしまう、と過去の歴史が証明している。
あたかも熟れ過ぎた果実が腐り落ちるかのように、一つの例外も無くだ。
個人的には民主主義を推しているが、そうそうすぐに政治体制の舵は切れるようなものではない。
人々には政治に携われるだけの最低限の教育が必要であるが、軍国の現状では不十分と言わざるをえない。
何をするにしても、まずは国を安定させる事からか……ナスルさんも大変だ。
僕も出来る限り協力してあげることとしよう。
しかし――先の事より、まずは目の前の事だ。
父さんを救って将軍を打倒しない事には、何も始まらないし、始められない。
明日は、20:30頃と24:00過ぎの投稿となります。
夜中の投稿分で一章完結です。
次回、百十七話〔辿り着いた終着点〕