百十三話 然るべき報い
「お、お前ら、何をしたっ!? 神持ちを相手にこんな即効性のある毒は存在しないはずだっ!」
今や第五軍団最後の一人となった影神が、声を震わせながら詰問する。
わしにもこの男の心が折れかけているのが分かる。
手を出しちゃあいけない人間に手を出しちまったって事が、ようやく身に沁みてきたのだろう……。
ルピィの姐さんは質問に答えないまま、ひょいと部屋の大穴を飛び越える。
団長とシーレイの姐さんも無言でそれに続く。
影神は、自分が怯えて後ずさったことを自覚しているだろうか……?
だが……それは恥ずかしいことじゃない。
味方のはずの、わしや部下たちでさえ、これから起きるであろう惨劇に背筋が寒くなっているのだ。
……神獣のマカでさえ、三人に付いていくことなく、わしらの影に隠れるように小さくなっている。
「――ふふふっ、アイス君の前で恥をかかせてくれたお礼をたっぷりさせてもらうよ。アイス君もよく『お世話になったらお礼しなきゃ駄目だよ』って言ってるしね」
絶対に意味が違う……!
……しかしシーレイの姐さんは別のことが気に掛かったようだ。
「ルピィさん、ずっと気になっていましたが……貴方、坊っちゃんの声真似がお上手ですね。……ふむ、ちょっと坊っちゃんの声で『シーレイさん大好きです!』と言ってもらえませんか?」
「イヤだよ! なにが『ふむ』だよ、真面目な顔してホント何言ってんの!!」
なんちゅう人だ。緊張感が欠片もありゃしねぇ……!
「はぁ……気が削がれるなぁ。――――で、影に潜らなくていいの? もう殺しちゃうよ?」
気が削がれると言いながらも、殺意が有り余っている姐さんが問い掛ける。
「……っ! 上等だ。もう生け捕りとは言わねぇ――皆殺しにしてやる!」
影神は激情を宿して影に沈み込んでいく。……これが影術か。
しかしこれはルピィの姐さんの悪い癖だ。
相手の心を折る為に、心の拠り所を徹底的に潰そうってハラだろう。
自分の影術にはかなりの自信を持ってるみたいだったから、それをやらせた上で蹴散らすつもりだ。
――ナスル軍の調練の時もそうだ。
アイスの兄さんは善意で兵士たちに稽古をつけてくれてるんだが、そうなると当然、女性陣も一緒に参加することになる。
なかでもルピィの姐さんは、まずは相手の心をへし折るところから始める人だ。
兵士には鼻っ柱の強いやつも多いが、その自信を粉々に砕いて従順にさせるところから始める人だ……。
見かねたアイスの兄さんが、間に入って注意することもあるが……残念ながら、アイスの兄さんは無自覚にもっとタチが悪い。
両肩を砕かれても笑って許せるようなアイスの兄さんだ。
骨折を軽い打ち身ぐらいに考えてる人だから、兵士たちはたまらねぇ……!
しかしそれでも生命を失うわけではないから、フェニィの姐さんやジーレ嬢よりずっと良心的なんだが…………待てよ?
なんてこった、そう考えてみるとルピィの姐さんは一番まともじゃねぇか……!
「――よっと」
ルピィの姐さんの後方、床の影から〔腕〕だけが出てきて、姐さんを斬りつけようとするが――難なく躱す。
姐さんがどうやって察知したのかは不明だが、こいつぁ厄介だ。
おそらく影神の持っているナイフには毒が塗ってあることだろう。
ナイフでの攻撃を躱されたら、影神はすぐにまた腕を影に沈めている。
見えない場所から、毒ナイフでの一方的な攻撃だ。
あちこちから次々にナイフが襲いかかる――姐さんたちは視認出来ているかのように危なげなく躱していく。
……いや、実際に団長には視えているんだろう。
団長は人の魂が視えるって話だ。
わしなんかとは、まるで違った世界が視えていることだろう。
そしてルピィの姐さんは知覚が抜群に鋭敏な人だ。
目に見えないぐらいじゃ障害にはならないだろう。
……さすがにシーレイの姐さんには見えていないらしく、二人に教えてもらいながら回避を続けている。
だが、このままじゃジリ貧だ。
これじゃ手も足も出ない。姐さんたちでも防戦一方じゃねぇか……!
「メンドくさいなぁ……。マーキング消しても良いし、出てくる腕を切り落としても良いんだけど、そのまま王城から逃げちゃいそうなんだよねぇ」
……どうやら逃げられる心配をしていたようだ。
まぁ、あの人たちが負けるだなんてことはある訳がねぇんだが。
「フフッ……飛び回る小虫を捕まえるのは得意なんですよ。私がやります」
器用とは対極の位置にいるシーレイの姐さんの言葉だ。
まさか……影神が出てくる床どころか、この西塔を丸ごと破壊して捕まえるつもりなんじゃ?
……それこそ王城から逃げ出しそうなもんだが。
わしは不安を煽られたが、姐さんの行動はわしの予想を越えていた。
――ザクッ。
シーレイの姐さんはおもむろに、自分のナイフで自分の腕を刺す!
ドバドバと勢いよく流れる血……。
――何考えてんだっ……!
出血量からして動脈が切れてるじゃねぇか、早く止血しないと。
わしにはこの部屋の大穴は飛び越えられねぇから、団長たちに任せるしかねぇ。
……だが団長たちは動揺することもなく、興味深そうに床面へと広がっていく血溜まりを見ている。……なんてぇ人たちだ!
わしも釣られて血溜まりに視線を奪われていると、おかしなことに気付く。
血の動きがおかしい。
まるで意思を持っているかのように、血が薄く広範囲に――ひとりでに広がっていっている。
止血をしたわけでもないのに、腕の出血も止まってるみてぇだし、こいつはいったい……?
「――次、ソコね」
もはやルピィの姐さんは影神の動きを完全に見切っている。
出現場所を知らされたシーレイの姐さんは、冷たい目でその場所を見下ろす。
ずっ、と影神の腕が血溜まりからナイフを出した。
これまではナイフを持った腕が地上にいる時間は一瞬だったが――今回は違う。
影神の腕は血に掴まれたように、手をじたばたとさせながら戻れなくなっている……!
「へぇ〜、これが〔血術〕かぁ。使い勝手はイマイチだけど、今回はうってつけだったね」
ルピィの姐さんは侮辱しているのか褒めているのか分からない感想を漏らす。
血術――つまり姐さんは〔血神の加護〕を持ってるってことか。
身体能力特化の加護と聞いていたが、なるほど納得だ。
血液を硬化させられるなら、姐さんの異常な打たれ強さも説明がつく。
フェニィの姐さんに蹴り飛ばされても痛痒を感じさせないってのは、神持ちにしたって異常だった。
あの蹴りの一撃に耐えるくらいだ、血液を固めた際の硬度は相当なものだろう。
団長とルピィの姐さんは、影神にとって天敵のような相手だと思っていたが、これはシーレイの姐さんの方がよっぽど天敵だ。
血液を操るってことは、おそらくは毒を受けても問題が無いんじゃないだろうか……?
強力な〔血術〕に捕らえられた影神が、腕だけで逃れられるはずもない。
影神は手だけを出したまま暴れていたが、やがて全身を影から晒す――まとわりつくように全身に襲いかかる血液。
……もはや影神は陸に打ち上げられた魚だ。
寝返りはおろか、後ろを振り返ることすら出来ない状態で固結している。
「ま、まってくれ! 降参だ、降参する!!」
神持ちの軍団長としてのプライドをかなぐり捨てて、影神が必死の形相で懇願している。
――だが遅ぇ、遅すぎる。
団長たちは影神の言葉なんざ耳に入れてすらいねえんだ。
「ふぅ、ようやく……坊っちゃんに手を出した愚か者を処断出来ますね」
「ふふ……まずは『みっつ』くらいで試してみましょう」
「ダメだよ〜、セレンちゃん。コイツ『みっつ』だとすぐ死んじゃうよ。アイス君以外は生き残ったヤツいないんでしょ?」
――なんてこった、アイスの兄さんは『みっつ』を経験済みだったのか……!
再会した時のやつだろうか?
アイスの兄さんなら大丈夫だと信頼してたのかもしれねぇが、その信頼は重すぎるな……。
それにしても、若い娘さんたちが和気藹々と談笑している姿は、本来ならばもっと華やかな印象を与えるはずだが、ここにあるのは〔陰惨〕……その一語に尽きる。
あの三人は〔捕まっていた神持ち〕たちのことなんかすっかり忘れていそうだ。
三人の話を聞く限りでは、影神に対する恨みは〔アイスの兄さんを暗殺しようとした〕、その一点に集約している。
そしてルピィの姐さんがニコニコしながら影神に近付いていく――
――――。
――長い時間が終わった。
そこにある死骸は生前の面影を留めていない。
その死骸が眼帯をしていなければ、〔影神〕その人だったと分かる人間はいないことだろう。
なにしろ見た目が完全に別人と化している。
白く染まってしまった髪の毛が全て抜けて、辺りに散乱しているのもあるが、影神の顔は〔老人〕そのものとなっているのだ。
顔中が皺だらけで、絶望、恐怖、苦痛、あらゆる負の感情を顔に張り付けていて、とても正視出来たものじゃねぇ。
――豪胆な熊の姐さんでさえも、腰が引けてるように見受けられる。
むしろ一般的な感性を持っているということで好感すら覚えるが。
気になるのが、抜け殻のようになっていた三人の娘たちの反応だ。
ルピィの姐さんが言うところの〔お仕置き〕の最中、影神の悲鳴を聞き洩らさないように聞き耳を立てて、激痛に顔を歪めているところを食い入るように観察していたように見えたのだ……。
……これは、眠っていた感情が揺り動かされたので、良かったと言って良いのだろうか?
そして終わりの時――影神が最後を迎えた時には、三人の娘たちは何かから解放されたような、ホッとしたような空気を醸し出していたような気がした。
わしの〔そうあって欲しい〕という願望がそう見せただけかも知れねぇが、影神たちの無残な死に様をその眼で確認するってことは、確かに意味があったような思いがある。
「――さあて、お仕置きも終わったし、早いトコ撤収しようか」
目の前に転がる凄惨な死体を見えていないように、ルピィの姐さんはひと仕事終えた顔で皆に提案する。
もちろん逆らう理由なんてないし、あったとしても、この場でルピィの姐さんに逆らえるヤツがいる訳もねぇ。
『お仕置き』だなんて優しい言葉を使ってはいるが、あれはそんな生優しいものじゃなかったのだ……!
――それからわしらは西塔の前まで降りてきて、熊の姐さんたちとはそこで別れることとなった。
熊の姐さんはアイスの兄さんに会いたがっていたが、団長たちは聞く耳すら持っていなかったのでさすがに諦めたようだ。
「アンタたちはたしかにアイスちゃんの仲間って感じだねぇ。まったく、並外れてるよ」
「ふふっ、当然でしょ。――そうそう、言い忘れるとこだった。研究所の関係者はボクらが追跡調査して狩っておくよ。……ふふふっ、気にしなくていいよ、悪人退治は趣味だからね」
ルピィの姐さんの頼りになるような恐ろしいような言葉に送られて、熊の姐さんたちは礼を言いながら去っていった。
もちろん、部下たちに王城の外まで送らせている。
「これでよし、っと。あとはこの研究所の存在を闇に葬ろう。マカ、よろしくね――アイス君の為に」
「にゃぁ」
そうか。
今回珍しくもマカが大人しく付いてきていたのは、アイスの兄さんの為と聞かされていたからか。
マカは臆病に見えるが、実のところ団長たちに脅されても中々素直に従わない神獣だ。
だがもはや完全にマカが懐いていると言える――アイスの兄さんの為となれば話は別ということだろう。
……レットの兄さんにも懐いているように見えるが、レットの兄さんには決して自分の身体には触らせない。
なにかしらマカの中では線引きがあるみてぇだ。
――実際のところ、この研究所の存在がアイスの兄さんの心に影を落とすことになるのは確かだ。
この研究所の存在そのものを無かったことにしようってのは、解放された神持ちたちにとっても良いことだと、わしは思う。
あの娘たちには国に対して賠償金を請求するぐらいの権利はあるだろうが、将軍はもう終わりだ。……それも難しいだろう。
だがナスル王なら、あの娘たちを悪いようにしねぇはずだ。
だからここで、あの娘たちを縛りつける過去もろとも、研究所ごと掃滅してやって――ここで全てを終わらせるべきなんだ。
「ニャッ!」
――ズドォン!!
マカの鳴き声とともに、西塔を呑み込むような巨大な雷が落ちる。
いやはや……話には聞いていたが、こいつはとんでもねぇな。
昨晩、宿屋に雷が落ちた時も肝が縮み上がるかと思ったが――今回のやつはさらにデケぇ。
これだけの暴威なら、西塔の地下まで跡形もなく焼き尽くすことだろう。
……研究所も、第五軍団の連中の遺体も一緒に、綺麗サッパリこの世から消し去ってくれることだろう。
明日も夜に投稿予定。
次回、百十四話〔陰謀のピクニック〕




