百十二話 風前の灯火
塔の上階へと登る階段は長かった。
途中の階層は存在せず吹き抜けになっていて、延々と壁に沿うように螺旋階段が続いている。
この塔の造りは、研究所というよりは〔展望塔〕だ。
研究所らしさがあったのは一階と地階だけだったから、むしろ既存の展望塔に後から研究所を作ったのだろう。
ルピィの姐さんは文句を言いながら階段を登っているが、捕まっていた神持ちたちは無言で黙々と足を進めている。
体力的にも衰弱しているようだったから心配だったが、その足取りは意外にもしっかりとしたものだ。
救出直後と比べて元気そうに見えるのは、一階で話し合っている時に〔水と食料〕を摂取したおかげだろうか……?
元々神持ちは基礎体力が高い。
三日も飲まず食わずでも平然としている熊の姐さんほどじゃなくても、他の三人も少し休んで栄養を取るだけで、わしなんかよりよっぽど動けるということだろう。
……長かった階段は終わりを告げ、ようやく終点へと辿りついた。
塔の屋上に着く可能性も考えていたが、わしらが到着したそこは外からの光も差し込まない、家具の一つも無い、ただ広いだけの部屋だった。
わしらは部屋に入らず、階段の踊り場で足を止めた。
踊り場からでも部屋の中はよく見える。……もちろん、部屋の中からもこちらが丸見えになっている。
「――へへっ、ようやく来たか。やっぱりお前たちなら将軍様のところに行くより俺たちを優先すると思ってたぜ。もっとも将軍様のところに行ったとしても、あの怪物、〔武神〕に返り討ちに遭うだけだがな」
それでなくとも人相の悪い顔に、片目に眼帯をした男。
……こいつが〔影神〕だろう。
隣に立っている、脂ぎった顔に薄汚い笑みを浮かべている男、こいつが〔迷神〕だろうか?
というのも、その二人だけが広い部屋の奥にいて、部屋の手前側には第五軍団の兵士らしき連中が武器を構えて立っているからだ。
数は八人、どいつもこいつも辛気臭い、笑い方も知らないような連中ばかりだ。
「へっへっ、わざわざアイス=クーデルンの敵討ちに、雁首揃えてご苦労なことだ。地下のオモチャ共も連れてきたみたいだが、雑魚を何人揃えたところで結果は変わりゃしねえのによ――バカな奴等だ。後でお前たちも地下のオモチャに入れてやるよ」
敵討ち……?
何を言ってやがるんだ、この男は?
――そうか。
アイスの兄さんを傷付けたナイフには、毒が塗ってあったって話だ。
よほどの猛毒だと自信を持っているのか、アイスの兄さんが亡くなったと思ってやがるんだ。……間抜けな野郎だ。
死んでるどころか――今朝もモリモリとカツ丼食ってたぜ……!
「はぁ? なにバカなこと言ってんの? アイス君にあの程度の毒が効くワケ無いじゃん。軍団長だとか言っておきながら、神持ち二人がかりで両腕の使えないアイス君の寝込みを襲っても、掠り傷を負わせるのが精一杯……ハッ、笑っちゃうよ。ザコ同士が協力し合ったところでザコのままなんだよ!」
相手を煽ることにかけては天下無双の姐さんが痛烈にあざ笑う。
影神は怒りに顔を歪めて、残った片目を充血させている。
……神持ちってのは、プライドが高くて煽り耐性が低い人間が多いが、この男も例外じゃ無いみてぇだ。
「……へっ、強がりは見苦しいぜ。あの毒は神持ちを実験台にして調合した特製の毒だ。たとえ神持ちだって五分と持つ訳がねぇ」
姐さんの言葉を虚勢だと思っているのだろう。
だがこの男は、アイスの兄さんを見くびりすぎだ。
あの常識が欠如している人に常識を当て嵌めようなんざ、愚の骨頂よ!
朝っぱらから重い朝食を提供されても、笑顔を崩さずトンカツをおかずにカツ丼を食う人なんだ。
あの人が毒に苦しんでるだなんて、ちゃんちゃらおかしいぜ……!
「はん! アイス君は料理のスパイス代わりに毒を使うような子なのに、そのアイス君を毒で害そうなんてのはとんだお笑い草だよ」
な、なんだってぇ!? そいつはわしも初耳だ……!
よくアイスの兄さんに料理を頂いているが、わしも知らない間に毒を摂取してたんだろうか……確かめるのが恐ろしいな。
いつもの涼しい笑顔で『ええ、毒入りですよ。食べすぎると死んじゃいますから、気を付けてくださいね!』とか言われそうだ。
「影神だかなんだか知らないけど、現実が見えてないんじゃないの? 片目だからよく見えないのかな? どうしたのその片目?」
ルピィの姐さんはニヤニヤ笑いながら煽る!
片目を奪った張本人の露骨な挑発に、影神は脳の血管が何本か切れてそうなぐらいに憤怒した顔をしている。
その顔からは当初の余裕が欠片も感じられない。
「てめぇっ……!」
影神が怒りに任せて一歩を踏み出そうとして、隣にいる迷神に慌てて制止されている。
迷神が何かを話し掛けてるようだが、ここからでは聞こえない。
「ふふっ……シーレイさん、お願いしていいかな?」
「ええ、坊っちゃんのおっしゃっていた通りということですね」
階段の踊り場で立ち止まっていたわしらだったが、シーレイの姐さんが踊り場のギリギリのところ、部屋の手前でしゃがみ込む。
何をするかと思えば、姐さんは踊り場から――部屋の床を殴りつける!
――ゴッッ!
「うわぁぁぁー!」「あぁぁぁっ!」
突如として床に空いた大穴に飲み込まれていく兵士たち。
部屋の端を叩いたはずの姐さんの拳は、部屋の床半分を崩落させていた。
――そうか。
これがアイスの兄さんの言っていた〔落とし穴〕か!
『迷神の能力からすると、落とし穴があったり天井が落ちてくるぐらいの事はありそうだから、気をつけてね』なんて言っていたが、本当にあったのか。
部屋の中には第五の兵士たちがいた。
だから無意識の内に忠告が頭から抜けていたが……まさか部下を囮にしてやがったとは。
ルピィの姐さんたちは最初から察していたんだろう。
部屋に入らずに影神を挑発していたのはその為だ。
「わざわざ部下の為に落とし穴を作ってあげるなんて気が効くねぇ〜。……あれ、まさかとは思うけど、こんなバレバレなやつで罠を仕掛けてるつもりだった? まっさかね〜」
いや……姐さんが挑発してたのはただの趣味だったんだろう。
もう罠に引き込む必要もないのに活き活きとして挑発している。
――その挑発に激昂したのは迷神だ。
「ぼ、ぼ、ぼくの迷術はこんなチャチなものが全部じゃない! お、お前らが昨日王城にこなかったのがいけないんだ! ぼくの最高傑作の迷宮を台無しにしやがって!」
脂ぎった顔から汗を飛び散らせながら叫んでいる。
迷術ってのはなんのことだか分からなかったが、どうも〔迷宮〕を造り出す術ってことみたいだな。
落とし穴なんかはその副産物ってことだろう。
とんでもない術だが、話から察すると、造るのに時間と魔力がかかるのではないだろうか。
おまけに昨日は、魔晶石まで使って造ってたって話だ。
身勝手な話だが、怒るのも分からなくもない。
まさか王都に攻め入っておきながら、宿屋で一泊してから王城にやってくるなんて予想出来る訳もねぇ……!
興奮している迷神を、ルピィの姐さんは興味なさそうに観察していたが……ややあって団長に話し掛ける。
「もう迷神はタネ切れみたいだね。セレンちゃん、いいかな?」
「いつでも構いませんよ」
謎めいた会話をしていた二人だったが――その答えはすぐに分かった。
「――っ、ぎゃあぁぁっっっ!!」
魂が千切れるような絶叫を上げたのは迷神だ。
知らない間に、その胸にはナイフが突き刺さっていた。
……ルピィの姐さんだろう。
団長の方を向いて会話をしていたはずだが、姐さんなら苦もなくやってのける程度の芸当だ。
そしてその反応は〔胸に刃物が刺さっている〕だけではないのは明らかだ。
この世の終わりを覗いたような絶望と苦痛の表情を浮かべながら、迷神はどたりと倒れる。
倒れた拍子に、男の髪がごっそりと抜けて床に散らばる。
――刻術。
団長の刻術だ、それは間違いねぇ。
だが、いつもより輪をかけて酷い有様に見える。
髪の毛まで抜け落ちてんのは、過度のストレスによるものだろうか……?
さっきまでは怒り心頭だった影神も、あまりの事態に絶句している。
影神ばかりか、熊の姐さんたちも驚愕に硬直しているようだ。
だがルピィの姐さんたちは――そんな場の空気を気にも留めない。
「おっ、これは『いつつ』くらいかな?」
「正解です。神持ちなら死を免れるかと思っていましたが、そうでもなかったようですね」
「フフッ、セレンさんは随分と器用なことが出来るのですね、感心しました。坊っちゃんが手放しでセレンさんを褒めるわけです」
シーレイの姐さんは〔刻術〕による惨たらしい死に様を見るのは初めてのはずだが、普段と変わらず平然としたものだ。
むしろ迷神を残酷な形で葬ったことに、機嫌が良さそうですらある。
そして団長を『器用』と称賛しているが、シーレイの姐さんは溺愛しているアイスの兄さんの両肩をうっかり砕いてしまうぐらい不器用な人だ。
姐さんと比べれば大抵の人間は器用なことだろう。
――にしても、『いつつ』か。
『みっつ』でも生き残った人間はいないのに、団長は言葉の内容とは裏腹に完全に殺しにかかっているな。
連中がこれまでやってきたことを考えれば、同情する必要はないんだろうが。
明日も夜に投稿予定。
次回、百十三話〔然るべき報い〕