十一話 葛藤
「あの、フェニィ、さっき……」
酒場を出た後、さすがの僕も文句の一つも言い掛けたが……フェニィの目を見て、僕はその言葉を止めた。
その瞳に浮んでいたのは、僕が想定していたどの感情とも異なっていた。
申し訳なさそうでも無く、開き直っているわけでも無く――どこか誇らしげな瞳だったのだ。
まるで親に褒められることを期待している子供のような、純真無垢な心で、輝かしい未来に期待しているかのような瞳がそこにあった。
――ま、まさか、今度は殺さずに対応したから褒めてくれ、というわけなのか?
たしかに問答無用で三人を即殺したことに比べれば、今回は一人も殺していないから格段の進歩ではあるが、しかし、しかし…………僕は葛藤した。
「目立たないように行動しよう」と言い含めた矢先に、時の人へと躍り上がってしまった彼女を素直に褒めて良いのだろうか?
今回の行動を褒めることで、これから先、彼女のエキセントリックな行動に拍車がかかってしまうのではないか?
……いや、待つんだ。
僕はフェニィを褒めて伸ばすと決めたではないか。
聞くところによれば、凄腕の交渉人は常に相手の言葉を否定せず、肯定しつつ、自分の望む方向へ会話を誘導していくという……これだ!
僕は全力で自分に暗示をかける。
オーケイオーケイ、フィニィ、君は間違ってない。
間違っているのは――この世界だ。
「凄いよフェニィ、今度はちゃんと殺さなかったね! しかも切り口を焼いて血が飛散するのを防ぐなんて、お店のことも考えてるね!」
ちゃんと殺さなかった、という謎の多い言葉に自分でも疑問を覚えつつ、突然人の手が転がり落ちる店には行きたくないなぁ、と思いつつ――僕はフェニィの様子を窺った。
フェニィはいつも通りのニコリともしない顔を保っていたが、その瞳の奥では、僕には飛び上がって喜んでいる小さな子供の様子が幻視できた。
フェニィは嬉しそうな、少しだけ上ずった声で、僕に応える。
「……当然だ」
ぐっ、こいつめっ……。
僕は突っ込みを入れたい衝動を抑える為に、気付かれないようにゆっくりと深呼吸をする。
落ち着け、落ち着くんだ。
フェニィに悪気は全く無いんだ。
悪気が無ければ良いというものでは無いが、たしかに成長はしている。
急いては事を仕損じる。
焦ってはいけない。
一歩ずつ、一歩ずつ前に進むんだ。
さしあたっての問題は、酒場での傷害事件も問題だが厄介なのが――路地でのバラバラ殺人事件だ。
酒場での〔ロケットパンチ事件〕がイージスの耳に入れば、同時期に発生した〔バラバラ殺人事件〕が連想されて、そちらの事件も僕らが容疑者扱いされるのもごく自然な流れだ。
むしろ二つの事件の関連性を疑わない方がどうかしている。
そして事実として、僕らが本当に犯人なのだから始末が悪い。
証拠不十分を理由に、のらりくらりとイージスの詰問を躱す手もあるが、僕はともかくフェニィには難しいだろう。
イージスの尋問官をうっかり殺めてしまう可能性も充分に考えられる。
……これ以上罪を重ねてはいけない。
このまま泰然自若に構えていたら、僕らにイージスの手が伸びるのは必然だ。
ここからは迅速に行動する必要がある。
「フェニィ、予定を変更してすぐにこの街を出よう」
このまま街に滞在していると、僕たちがイージスに捕まる懸念がある事をざっと説明した。
「……イージスを、やっつけるのは、駄目なのか?」
たしかに僕とフェニィならば、たとえ相手が〔戦闘系の加護持ち〕であってもむざむざと捕らえられる事はないだろうが、しかし……。
「イージスの人たちは、べつに悪い人の集まりじゃないからね。それに組織力が高いから、他の街に行っても追いかけ回されちゃうよ。現状なら、僕たちが三人を殺害した明確な証拠は無いから広域手配まではされないと思うよ」
……そう信じたい。
酒場での一件だけなら、酔っ払い同士の過激な喧嘩として処理されるはずだ。
こちらも状況証拠はともかく、物的証拠は無いのだから。
完全に思考が犯罪者のそれであることを気に病みつつ……僕はフェニィと宿に荷物の回収に向かった。
イージスは悪い人たちでは無いが、彼らに追われる僕たちは完全に悪い人ではあるまいか?
どこで道を間違えてしまったのだろう?
悩みつつ思索しながら歩いていると、フェニィに尋ねられた。
「……仲間と、合流するのは、いいのか?」
もっともな話だ。
僕らはその為に、二、三日この街に滞在する予定だったのだから。
「大丈夫だよ。コベットの次の目的地も伝えてあるし、情報収集が得意な人だから色々と察して、次の街に来てくれるはずだよ」
僕とフェニィの目撃情報。
特に長身で見目麗しいフェニィの姿は、多くの人々の記憶に焼き付いているはず――そして同時期に発生したバラバラ殺人事件と、酒場での一件。
あらかじめ仲間には死滅の女王と合流する可能性も示唆していたので、これだけヒントが転がっていて答えの出せない鈍い人間ではない。
「次はここからずっと北にある街、ハロに行こうと思っているんだ。コベットより何倍も大きな街らしいよ。コベットでは慌ただしかったけど、向こうに着いたらしばらくのんびりしよう」
コベットでは結局半日も滞在していなかったことになる。
美味しい食事も宿のベッドで眠るのも、まだしばらくお預けだ。
「……そうか、ここより、大きな街か」
フェニィは珍しいおもちゃを見て心を弾ませている子供のような瞳をしていた。
思えば、人生の大半を研究所と森で過ごしてきたフェニィにとっては、この小さなコベットの街でさえ、新鮮で目新しいものばかりの刺激的な街だったのかも知れない。
僕にとっては別の意味で刺激的な街であり、あまり良い思い出が無いのだが……フェニィに楽しんでもらえたのなら良かったと思う。
今回の失敗を教訓にして、次の街こそつつがなく過ごしたいものだ。
まだイージスに手配されている可能性は低かったが、念の為に僕らは乗り合い馬車を避けて、その足でコベットを出発した。
僕はコベットを離れることを惜しむかのように、来た道を頻繁に振り返りながら歩いていた。……実際には、追っ手がかかるのでは無いかと不安に駆られていた。
そんな時、フェニィがぽつりと尋ねる。
「……アイスの、仲間は、どんなやつなんだ?」
「そうだね…………」
賢くて器用だけど、いつも貧乏くじを引いてしまう不器用な仲間のことについて、僕は思いを馳せる。
あの人と出会ったのは僕が村を出てすぐの頃だったから――もう二年の付き合いになるのか……。
第一部終了。