百七話 心得ているツボ
「にぃさま、怪我を!?」
「大丈夫だよ。けど、セレンは触っちゃ駄目だよ? 毒が塗ってあったからね」
僕の掠り傷を心配してくれたセレンに忠告する。
僕はともかく、下手に触れれば第三者に毒の影響が出かねないのだ。
「ど、ど、毒!? すぐに治癒士を連れてまいります!」
「シーレイさんも心配はいりません。僕に毒は効きませんので」
心配するシーレイさんだったが、いつも通りの僕の様子を見て安心したのだろう、次第に心配は――怒りの感情へと変化していった。
「坊っちゃんに毒を使うとは……あの下種がっ……!」
シーレイさんは第五の軍団長の顔は知っていたようだが、能力等は知らなかったらしい。
影神持ちや迷神持ちについて説明すると、皆と一緒になって驚いていた。
「影神か……影術は知ってたけど、こんな事が出来るとは知らなかったよ……ゴメンね、アイス君。ボクが気付かなきゃいけなかったのに」
自分の索敵網を掻い潜られたのを失態と考えているのだろう。
ルピィにはいつもの元気がなく、しょんぼりとしている。
「今回は敵に運が味方したんだよ。ほら、ここ見てみて。……分かるかな?」
僕が足で指したのは、男が消えた床だ。
あの男が、わざわざ部屋の隅まで移動してから影に潜った事が気になっていた。
そして調べてみると……案の定、隅の床には〔魔力の痕跡〕があったのだ。
「あの男の影術は、事前にマーキングした場所に転移する事が可能なんだと思うよ。ここは王都で一番の宿で、僕の部屋は一番良い部屋だからね――要人暗殺用にでもマーキングしてたんじゃないかな?」
ルピィは、男が消えた床を仇敵のように睨んでいる。
「……うん、なんとなくだけど、変な気配がする」
ルピィにも分かったようだ。
というか、本来なら魔力を視認出来る僕が気付くべきだったのだが――肩の激痛で気を回す余裕が無かったのだ……!
「一度ルピィが感覚を覚えたなら、もう大丈夫だよね? ……明日にはあの男も命を失いそうだから、活かす機会は無いかもしれないけど」
「うん。……アイツはボクが地獄に叩き落としてやるよ」
やはりルピィのプライドを傷付けた代償は大きかったようだ。
そもそも双方の被害を比べると、僕が掠り傷なのに対して、相手は片目を失明している訳なのだが。
だが、ルピィの声がまだ暗い。これは良くない。
……よし、ここはナスルさん用に練習していた〔あの技〕を使う時だ。
僕は、しゃがみ込んで床を検分しているルピィの背後に立つ。
そして「ちょっと動かないでね」と声を掛け、顎をルピィの頭に乗せて、ぐりぐりと刺激する――そう、頭部マッサージだ!
これは〔頭痛持ち〕らしいナスルさんの為に練習していた技だ。
本来は手でやるのだが、今は腕が動かないので仕方がない……!
「あ、あ、アイス君……!?」
ふむ、ルピィは戸惑っているようだが、嫌そうな印象は受けない。
――ここは攻めの一手だ!
「……っぁ、あ、アイス君、ちょ、ちょっと待って……」
ナスルさんを元気にする為に練習した甲斐あって、ルピィも元気になってきた気がする。
レットを相手に練習した成果が出ているようだ。
そう――手は使えずともツボは心得ているのだ!
「…………にぃさま、ルピィさんは嫌がっていますよ」
セレンが僕の首筋を掴んで引っ張る――体勢の崩れた僕の足をすかさず払う!
「うぐっ……」
またもや背中を強打する僕。
腕が動かない僕に足払いは止めてほしい……ルピィにせよセレンにせよ、後ろに引っ張るだけならともかく、何故わざわざ足払いを仕掛けるのだろう……?
……それにルピィはそれほど嫌がってはいないのだ。
「もう……アイス君は、まったくもう……」などと文句を言ってはいるが、頭部へのマッサージ効果で血行が促進されたのだろう、顔を真っ赤にしているが表情はほころんでいる。
身体の健康と心の健康には密接な関係がある。
僕のマッサージにより、ルピィは心の安定を取り戻したのだ……!
しかし、セレンはともかく……シーレイさんにまた憤怒の気配がある。
「坊っちゃんが、坊っちゃんが……」と危険な眼でぶつぶつ呟いているのだ。
相変わらず僕が人と仲良くすることを許せないようである。
――ここは速やかに話題を振って空気を変えるべきだろう。
「そういえば、ジーレとレットはどうしたのかな?」
この場には二人がいないのだ。
理由は薄々分かっているが、確認の為と、話のタネの為に利用させてもらうとしよう。
「ジーレちゃんはまだ寝てたから、そのまま寝かせてるよ。レット君はその付き添いだね」
復調したルピィが、当意即妙に応えを返してくれる。さすがだ。
ジーレは呪術に侵されていた期間が長い影響で、劣悪な環境でも動じずに寝続けることが出来るのだ。……そして、明らかに成長が足りていない、睡眠が足りていない体付きをしている。
そこで僕らは、仲間同士協力して、よほどの事がない限りはジーレを寝かせたままにしておく事にしているのだ。
――しかしジーレも大したものだ。
マカの雷術は、二階の部屋から一階の床までブチ抜くほどのものだったのに、この状況でもまだ寝ているとは大物ではないか。
そして、寝ているジーレを護衛しているレットも、今回はわざわざ起こすほどの緊急性はないと考えたのだろう。
マカの雷術で周辺住民を飛び上がらせるほどの轟音が鳴り響いたはずなのだが……レットの感覚が段々麻痺してきている気がするのが気懸りだ。
このパーティーでは僕とレットだけが常識人なのだから、一般的な感性を失ってほしくないものである。
場が落ち着いたので……大穴の開いた壁の境を見分してみると、本当に部屋の壁が鉄に変化している。
厚みは三十センチぐらいだろうか、簡単に破壊出来そうなものではない。
ルピィの話では上下左右、天井から床まで変化しているらしい。……鉄製の箱という訳だ。
僕の安否が不明な状態で――フェニィが焦れて炎術を行使しようとしているのを皆で止めていたところ、マカの雷術で穴が空いたということらしい。
密閉空間で炎術を使われたら、鉄板焼きになるか蒸し焼きになるかの危険性を孕んでいたことだろう……皆が止めてくれて良かった!
しかし、この環境変化の術には時間制限があるようだが、それを加味しても強力な術だ。
なにしろ、対象に直接魔力干渉をしないので気付くのが困難なのだ。
……しかも影術との組み合わせが厄介だ。
あの男は自分に自信があったのだろう、直接僕を殺傷しようとしてきたから逆に良かった。
もしも部屋を密閉空間にした後に、爆弾だけ置いて逃げられでもしたら、打つ手が無かったのだ。
部屋にあった影術のマーキングを見つけておかないと、それだけで詰んでしまうと言えるだろう。
今回は油断してしまったが、結果的には望外の幸運だった。
男に手傷を負わせただけではなく、相手側の手の内も判明したのだから。
「今回はマカがいなかったら危なかったよ。……ありがとうね、マカ」
僕の枕の上でゴロンとしていたマカに、顎で突いて謝意を示す。
「んにゃん」
顎で突かれたマカは、迷惑そうに身体をよじらせているが、お礼を言われた事には満更でも無さそうだ。
今回ばかりは、皆のマカを見る視線に敵意が無い。
さすがにマカの活躍を認めているのだろう。
マカの株も急騰しているようだし、今晩の襲撃は僕らにとっていい事尽くめだ。
――そう、宿に大穴を開けたことぐらい小さなことではないか……!
明日も夜に投稿予定。
次回、百八話〔不落門攻略〕