百五話 蠢く殺害計画
「――はい坊っちゃん、あーんして下さい」
食事を取ろうにも腕が動かない――ということで、僕はシーレイさんに食事の世話をしてもらっていた。
今は食堂で晩御飯の最中だ。
結局、シーレイさんはナスル軍には戻らずに、なし崩しに僕らへ合流していた。
僕としても、打ちひしがれたようなシーレイさんを放っておけなかったので否やはない。
しかし、いつもは僕が皆の食事を作ったりして〔お世話する側〕なのだが、たまにはこうしてお世話をしてもらうのも悪くない。
手抜きして店屋物で済ます主婦のような思考回路だが、普段やっている事はだいたい似通っていると言えよう。
――だが、王都宿泊を決めた時は機嫌が良かった皆の様子が妙だ。
今は何故か、ギスギスした居心地の悪い空気を醸し出しているのだ。
「どうしたの皆? 王都名物の牛肉とソラマメの煮込み料理、嫌いじゃなかったよね? ……あ、シーレイさん、次はソラマメが食べたいな」
僕が以前に野営で作った時は好評だったのだ。
ここの煮込みも、ソラマメにしっかり味が染み込んでいて中々の物だ。
皆が不機嫌になるような質が低い料理ではないはずなのだが……。
「…………アイス君、ボクが食べさせてあげるよ――ほらっ!」
「ごっ! げほっ……き、急に投げ入れるのは止めてよ、喉の奥に直撃しちゃったじゃないか。セレンも刻術でアシストしないでよ……」
見事な連携プレーに、腕の動かせない僕は直撃を受けてしまった。
箸で摘まんで正確に僕の口内を狙う技術も見事なら、ほとんど見えないくらいの刻術でソラマメを加速させた手腕も凄い。
シーレイさんから食べさせてもらう一瞬の隙を突かれたので、回避も出来なかった。
……まったく、高い技術の無駄使いだ。
僕が苦しむ姿を見て溜飲を下げたのか、場の空気が和らいだ気がする……最近のセレンは、ルピィの影響を受けて悪い方向に向かっている気がしてならない。
放置してはならない由々しき事態ではないだろうか。
「大丈夫ですか坊ちゃん……? 実に乱暴な人たちですね、坊ちゃんが同行を許している理由が分かりませんよ」
――この面子でも屈指の乱暴者であるシーレイさんの言葉だ。
ルピィを筆頭に、皆が反論したそうにしているのが見て取れるが、ここは抑えてほしい。
シーレイさんの心は、煮込みすぎたソラマメのように脆いのだ……!
「それにしても……本当に坊っちゃんは、今晩お一人で寝られるのですか? 大きなベッドでしたし、私も――」
「いえいえ。最近は治癒術を行使しながら睡眠出来るようになりましたし、夜に退屈することもないので大丈夫ですよ」
そうなのだ。
フェニィと初めて出会った時、両腕両脚を潰されてしまった際には、一晩中起きたまま治癒術に専念しなくてはならなかった。
だが、また同じ状況になった時の為に、常日頃から睡眠中の治癒術行使を練習していたのだ。……本当にまたこんな事になるとは思っていなかったが。
そして今晩の僕は、治療に専念するとの名目で――ついに念願の〔個室〕を勝ち取ったのだ……!
僕ら一行は、リビングルームがあるような富裕層ファミリー向けの部屋を取っているのだが、今日の僕はキングサイズのベッドを一人で使わせてもらうことになっている。
部屋がたくさんあるナスル城でさえ相部屋だったのだ。
実は個室で一人寝は生まれて初めてである。
腕が動かないとはいえ、なんとも言い知れない解放感を覚えてしまう。
「にゃぁ〜」
おっと、マカも一緒だから厳密には一人ではないか。
以前にマカ用のベッドを作ったのだが、人肌が恋しいのか、いつも僕のベッドに潜り込んでいるのだ。
寝返りで潰れるような子ではないので、そこは良いのだが……ますますセレンの反感を買っているのが困ったものである。
そんなマカは現在、堂々とテーブルの上に座って食事中だ。
シーレイさんが食堂に姿を見せた直後、あっという間に食堂は貸し切り状態になったので遠慮はいるまい。
……シーレイさんの普段の行状が気になるが、恐ろしくて聞けないのだ。
「坊っちゃん、お会いした時から気になっていましたが……ソレは、もしかして〔神獣〕ですか?」
――鋭い。
特に神獣らしさを出していなかったはずだが、見る人が見れば分かってしまうようだ。
動物も嫌いなシーレイさんだから期待はしていなかったが、『ソレ』などと言っている時点で、やはりマカと良好な関係を築くことは絶望的であろう……。
「そうですよ、マカと言います。……可愛がって下さいとは言いませんが、イジめちゃ駄目ですよ?」
僕は最初から〔プラス〕を諦めて、〔マイナス〕を回避する道を選択した。
……これは仕方がない事なのだ。
「やはり神獣でしたか……神獣を戦力として飼い慣らす計画は、昔から何度も失敗に終わっていると聞いていましたが――大丈夫なのですか? 加護は分かっていますか?」
この流れはまずい気がする、早く話題を転換しよう。
――僕の思考は刹那のことだったが、一手遅かった。
「〔雷神〕ですよ、シーレイさん。この畜生は、もう何度も、にぃさまの命を危険に晒しています」
くっ……セレンの悪意ある説明に、シーレイさんが顔色を変えている……!
マカが戦闘系の神持ちである事は伏せておきたかったのに、最悪の形で暴露されてしまったではないか。
……まずい、まずいぞ。
僕がレットに視線を送ると、レットは「分かっている」と言うように小さく頷く。
そう――〔第二次マカ殺害計画〕が発動している!
現状はかなり危険だ。
なにせ僕の両腕が使えないのである。
僕の為などという〔大義名分〕の元に、全員がマカを襲ってきたら、頼りになるのはレットだけなのだ。
それをレットも分かっているのだろう……レットの顔色は優れない。
「それだけじゃないよ、シーレイさん。コイツとアイス君は、お風呂に入る時も、夜眠る時も、ず〜っと一緒なんだよ?」
ルピィがさらに燃料を投下する!
――読めたぞ。
ルピィたちは、シーレイさんを煽って暴発させることで、自分たちの手を汚さずしてマカを始末させる気だ……!
なんて悪辣なやり口なんだ。
……しかし、悔しいが効果的だ。
既にシーレイさんは立ち上がり、血走った眼でマカを睨み付けているのだ。
これは一刻の猶予も無い。……今のシーレイさんは、自分の腕にとまっている蚊を叩き潰す寸前の人のようだ。
テーブルの上に座っているマカを、今にも叩き潰しそうじゃないか……!
やる。シーレイさんは――きっとやる!
それを察しているであろうレットは前傾姿勢で構えている。
レットはシーレイさんが動くと同時に、マカを掠め取るつもりなのだろう。
まるで――〔かるた取り大会決勝戦〕のような緊張感だ……!
シーレイさんを刺激しない為に、レットは待機態勢に全霊を傾けているらしい。
……しかし相手はシーレイさんだ。
後の先の行動で間に合うのだろうか……?
視線に射すくめられて固まっているマカでは、自力で回避するのは難しいだろう……ここは僕がなんとかするしかない。
――僕は立ち上がり、シーレイさんに僕の身体を正面から押し当てる。
そしてそのまま、シーレイさんの耳元でそっと囁く。
「シーレイさん……ベッドに、連れていってもらえませんか?」
そう、面倒見が良いシーレイさんなら快く引き受けてくれるはずだ。
これで違和感無く、シーレイさんをマカから遠ざけることが出来るのだ。
しかもごく自然な形で、シーレイさんの暴挙を僕の身体で止めているという寸法である……!
「ぼ、坊っちゃん……! はい! 行きましょう、すぐに行きましょう!!」
予想以上の食い付きだ。
もうマカのことは完全に眼中に無い。
これは我ながら見事な作戦と言えるだろう。
マカは標的から解除されて幸せ、僕は一人で扉も開けられないので助けてもらえて幸せ、世話好きのシーレイさんも幸せ……という、まさに皆が幸せになる〔幸せ仲間計画〕だ!
「――水臭いなぁ、アイス君。ボクらを忘れてもらったら困るよ。本当にアイス君は困った子だね……ふふっ」
ルピィはそう言って、後ろから僕の首をぐいっと引っ張る。
同時に――流れるように僕に足払いをかける!
「……っう、げほっ!」
受け身の取れない僕は背中を床に強打する。
当然、肺の空気が押し出されて激しく咳き込む。
やれやれ……僕を助けてくれようという気持ちは嬉しいが、もう少し気遣いの心がほしいものだ。
「じゃあ、運んであげるよ。……セレンちゃんはアイス君の脚を持ってね、ボクは腕を持つから」
んんっ!?
僕が肩を粉砕骨折していることを忘れているのだろうか?
……これは気遣いが足りないというレベルではないな。
「はははっ、何を言ってるんだよルピィ。腕なんか持たれたらとっても痛いじゃないか。もう少し人のことを思いやらきゃ駄目だよ?」
女性らしい気遣いが足りないよ、とまでは言わないが、苦言を言う僕。
――これもルピィの為なのだ!
「……ふふふっ、アイス君なら少しぐらい痛くしても大丈夫だよ!」
大丈夫じゃない!?
駄目だ、この人は駄目だ。
本気で拷問のようなことを実行する気でいる。
シーレイさんはどうしたんだ? と見てみると、何故かフェニィと取っ組み合いをしている!
なんてことだ、二人が暴れると食堂が大変なことになってしまうのに……!
そうだ! レット、レットはどうしたのか?
……いない。マカと共に食堂から消えている。
マカを連れて逃げ出したのは英断だが、どうして僕も連れていってくれなかったのか……。
明日も夜に投稿予定。
次回、百六話〔夜の襲撃者〕