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神の女王と解放者  作者: 覚山覚
第六部 終焉への始まり
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百話 過去との決別

「――久しいな、カルドの息子よ」


 ネイズさんは相変わらず、僕をカルドの息子と呼ぶ。

 初めて出会った時から終止一貫して、ネイズさんは僕の事をカルドの息子と呼ぶのだ。

 しかしそれは、僕自身の存在を尊重していないという事ではない。

 それよりは、ネイズさんの中で僕の父さんの存在が大きいと言うべきだ。


〔武神の加護〕〔盾神の加護〕〔剣神の加護〕

 これらを所持する第一から第三の軍団長は、父さんも含めて皆無骨な武人といった様相で交遊関係の狭い人たちだったが、何故か三人は馬が合ったらしく軍務以外でも親しくしていた。

 むしろ、自分にも他人にも厳しいネイズさんだが、僕のことは自分の息子のように可愛がってくれていたように思う。

 僕が剣の稽古をお願いすると、ネイズさんはむっつりしたまま朝から晩まで文句も言わずに僕に付き合ってくれたのだ。


「お久し振りですネイズさん。…………やっぱり、引いてはもらえませんか?」

「――愚問」


 そうだ……愚かな質問だった。

 誰よりも分かっていたが、聞かずにはいられなかった。

 ネイズさんは手加減が出来るような相手ではない。

 間違いなく――殺し合いになるのだ。


 仮に腕を切り落とすなりして、ネイズさんの戦闘能力だけを奪うことが出来たとしても、僕はそれをやらない。

 それはネイズさんへの侮辱以外の何物でもないからだ。

 将軍が倒れる時は自分も死ぬ時だと、かつて数えきれないほどに交わした剣が、そう語っていたのだ。

 そんな不器用で、要領が悪いネイズさんを――僕は好きだった。


 ――感傷はここまでにしよう。

 ここから先では、邪魔になるだけだ。

 ネイズさんに続いて僕が剣を構えると、戦場の空気が張り詰める。

 僕の研ぎ澄まされた感覚は兵士の息遣いすら知覚させるが、自分の剣だけに集中する。

 先日、レットに剣を使っての模擬戦に付き合ってもらったが、僕は剣を忘れていなかった。

 ……それも当然だ。

 剣はもう、僕を構成する血肉のようなものなのだから。


 僕とネイズさんは声も交さず、互いの距離を急速に縮め――挨拶代わりに剣をぶつけ合う。


 ――ガンッ!!


 剣同士のぶつかり合いとは思えないほどの轟音が響き渡る。

 まるで巨岩同士がぶつかり合ったような、耳を塞ぎそうになる衝突音だ。

 僕もネイズさんも、自分の剣に潤沢な魔力を循環させている。

 だからこれぐらいで刃こぼれするようなことはない。


 だが……一合、剣を交わしただけで、僕は気付いてしまった。

 ネイズさんは――()()()()()()()()()()()()()()


 ネイズさんは言葉よりも剣で語る人だ。

 幾千、幾万ものネイズさんの剣を見てきた僕には、ネイズさんの意志が雄弁に伝わってきた。

 周囲の兵士たちにとっては恐々とするようなぶつかり合いだったかもしれないが、ネイズさんはこんなものではない。

 闘う気はあるが、剣に想いが乗っていない。

 ネイズさんらしくもなく隙だらけで、「早く斬ってくれ」と言っている言葉が聞こえてくるようだ。


 ……それは、変わってしまった父さんを黙認した事の贖罪だったのかもしれないし、或いはもう、軍人で居続けることに疲れてしまったのかもしれない。


 ――だが、このままではいけない。

 このまま続けて僕が勝てば、僕はきっと後悔する。

 ただでさえ僕には後悔している事柄が多い。

 もう、これ以上増やす訳にはいかないのだ。

 何度も何度も思い出し、その度に後悔に襲われる……そんなことは、もうごめんだ。


 僕は剣戟を止めて後ろに飛び退く。

 訝しげなネイズさんに、ゆっくりと挑発するように語り掛ける。


「――ネイズさん、本気でやってくれませんか? 僕も、()()()()()()()()()


 手加減しているネイズさんを倒せば、この先僕は必ず後悔する。

 ネイズさんが全力でないということは、本気を出せば僕を殺すかもしれない、という可能性を危惧しているのだろう。

 だから、僕は伝える――ネイズさんが死力を尽くしても、僕がそれを上回ってみせる、と。


 僕の言葉が聞こえた兵士たちは、何を言っているのか分からないという顔で面食らっている。

 今のは本気では無かったのか? ということだろう。

 特に若い兵士たちに多く見られる反応だ。

 ……彼らはネイズさんの全力を知らないのだろう。

 今の軍国で、ネイズさんが全力を出せる機会があるとは思えない。

 かつて僕の父さんやバズルおじさんが健在だった頃は、ネイズさんは活き活きとして模擬戦をしていたのだ。


 だが〔三神〕と呼ばれた軍団長たちも、今や実質ネイズさん一人だけだ。

 僕の父さんは自由意志を失い、バズルおじさんは亡くなった。

 さぞネイズさんは鬱屈していたことだろう。

 ネイズさんは、呆れるほどの――()()()なのだから。


「――ッハハハ! ッハハハハハハ! 言うではないか、カルドの息子よ! 面白い……面白いぞ!!」


 どこかつまらなさそうだったネイズさんは、もういない。

 ネイズさんは獰猛な笑みを浮かべて、野獣のように襲い掛かってくる。

 豹変した軍団長に兵士たちは戸惑っているようだが、僕は安心していた。

 ――これでこそネイズさんだ。


 初めてこのネイズさんを見たのは――子供の頃、模擬戦で両腕を切り落とされた僕が、蹴技で戦闘を継続した時だ。

 その時は楽しくて堪らなさそうなネイズさんに、両腕だけではなく両脚も切り落とされるという、堪らない目に遭ってしまったのだ……。

 そしてこれまた嬉しそうな母さんが腕と脚を繋いでくれたので、僕の身体は事なきを得た。

 ……そう。当時、周囲の大人たちの非常識ぶりは酷かった。

 だが、同じように非常識に育てられていた僕はもういない。

 今の僕にはあらゆる点で死角は無いのだ。


「――ッハハハ!!」


 気持ちの乗ったネイズさんは、少し前までとは完全に別人と化している。

 その感情的な態度だけではない。

 踏み込む速度が、剣を振るう膂力が、段違いに強力となっているのだ。

 思わず気を呑まれそうになるが、怯えて大きく回避すれば体勢が崩れ、次の攻撃に捕まってしまう。

 いつも通り落ち着いて、紙一重のところで躱していけば何も問題は無い。

 ……だが、それだけでは勝利は覚束ないのも事実だ。


 今のネイズさんは〔攻撃は最大の防御〕を体現している。

 次の動作、その次の動作を常に読み続け、僅かな隙にこちらも積極的に手を出していかねばならない。


 ――――いつしか僕の視界には、ネイズさんしか見えなくなっていた。

 ネイズさんは昔と同じ様に強い――そう、昔と同じだ。

 今日ほど自分の成長を実感出来たことはなかった。

 過去の僕にとっては遥か高みにいたネイズさんを……今の僕は脅威に感じない。


 僕らの違いを決定付けたのは、これまでの〔環境〕だろう。

 剣で語りあっていれば分かる、ネイズさんは久しく強敵と戦っていない。

 自己研鑽で剣を磨き続けていても、格下の相手とばかり戦っていれば大きな成長は見込めないのだ。


 対して僕は、高い水準の技量を持つ仲間と、数え切れないほどの戦闘訓練を行ってきた。

 ネイズさんと会っていなかった、この十二年間ずっとだ。

 ……この違いは大きい。

 剣を持つのは久し振りでも、僕は常に実戦に身を置いていたのだ。


 剣の応酬が千を超えた時、僕は後ろに軽く飛び退いた。

 戦闘中ではあるが、気になっていた事があったのだ。


「ネイズさん、愛剣の〔天穿(てんうが)ち〕はどうしたんですか?」


 この後に及んで投降を呼び掛けるような無粋な真似はしない。

 だが僕は、ネイズさんの全てを受け止めて終わらせるつもりなのだ。

〔鍛冶神の加護持ち〕が打った剣〔天穿ち〕は、ネイズさんの代名詞のような剣だ。

 僕に手加減するつもりで置いてきたのなら、持ってくるのを待つぐらいのことはするつもりだ。


「……ハッ! 貴様には関係が無いことだ、剣を止める必要は無い。それとも怖じ気付いたのか、カルドの息子よ?」

「……いえいえ、ほら、負けた時の言い訳にされたらアレだなと思いまして」

「クッハハハ! 相変わらず小癪なヤツよ! 剣が変わったくらいで俺は変わらぬ――来い!」


 僕の挑発を豪快に笑い飛ばすネイズさん。

 愛剣を所持していない事情は分からないが、ネイズさんは『来い』と言っている。

 ならばこれ以上の言葉は無用だ。……決着をつけよう。


「――――行きます」


 ネイズさんの行動の先、そのまた先を読みながら、僕は自分の行動を次々にイメージしていき、動きに澱みを作ることなく流れるように対処していく。

 今の僕はネイズさんを凌駕していた。

 その事実は嬉しくもあり――それ以上に寂しかった。


 …………長く続いた闘いは、あっけなく終焉を迎える。

 ネイズさんの剣の軌道を僕の剣で逸らし、そのまま首筋の頸動脈を断ち切ったのだ。

 ネイズさんは一瞬だけ驚いた顔をして、致命傷を負った痛みを顔に出すこともなく――むしろ爽快そうに笑って、そのまま地に倒れ伏した。

 その笑みが、僕の成長を喜んでいるように見えたのは、僕の都合の良い思い込みだったのかもしれない。 


 ――ネイズさんは死んだ。僕が殺したのだ。

 僕の前に障害となって立ちはだかるネイズさんを、僕には倒すしかなかった。

 だから僕が泣く必要はないのだ。

 僕は自分の意志で、自分の剣で、ネイズさんの命を絶った。

 だから僕は悲しくなどないのだ。


 ――――――。

  

 僕がネイズさんの亡骸を腕に抱えていると、仲間たちが静かに歩いてきた。


「……やぁ、皆。時間は掛かったけど終わったよ。まったくネイズさんは、最後の最後まで僕のことをカルドの息子と呼ぶんだから困ったものだよ。殺し合いをしているのに嬉しそうな顔をして、本当に戦闘狂で――」


 話をしている最中に、僕の頭にフェニィの手が置かれた。

 ……どうしたんだろう?

 フェニィから他人に触るなんて、珍しい事もあるものだ。


「…………もう、いい」


 フェニィはそれだけを言った。

 フェニィの姿がぼやけている、僕の視界が滲んでいるのだ。

 ……これは、フェニィが無遠慮に置いた手の痛みによるものだろう。


「ホントに……アイス君はバカなんだから。……大事な人がいなくなった時くらいは、泣いてもいいんだよ」


 僕を馬鹿だと言うルピィの声は、優しかった。

 その声があんまり優しかったから、少しだけ、本当に少しだけ泣いた。

 これは、ネイズさんを喪ったことを嘆いているわけではない。


 ネイズさんは僕が殺したのだ。

 僕が嘆き悲しむことなど、許されるはずもない。

 ――――僕は、ネイズさんの亡骸を地面に横たえた。


「……フェニィ、お願いしてもいいかな?」


 フェニィは無言で頷くと、亡骸に手を翳す。


 ――ゴォッ!


 ネイズさんの亡骸は炎の箱に包まれた――()()()だ。

 戦場に生き、死闘を愛した、〔剣神〕ネイズさんに相応しい最期だと思う。

 骨を墓に埋められて、親しくもない人に弔われるのを喜ぶような人ではないのだ。


 僕はネイズさんの使っていた剣を拾い上げ、〔炎の棺〕の上に放り投げる――剣が炎に触れる前に、僕に出せる最高の剣速でネイズさんの剣を粉々に切り刻んだ。

 花弁のような剣の欠片が、ぱらぱらと炎に消えていく。

 最後に、ネイズさんの命を奪った剣――僕の使っていた剣を炎に投げ入れた。


 ……これでいい。

 ネイズさんの死に関わった物は、跡形も無く消えた。

 あとは僕自身ぐらいだが、僕にはまだやる事があるので勘弁してもらおう。


 ――ぎゅっ、と僕の服が掴まれた。

 セレンが僕の服の袖を掴んでいる……僕と似たような思考を辿ったのだろう、僕まで消えるのではないかと不安になったに違いない。

 僕はセレンを安心させるように優しく頭を撫でる。

 普段は照れて嫌がるセレンも、今日は何も言わずに、動かなかった。


 ――炎の棺が消えた後、第三軍団から一人の男が歩いてきた。

 見覚えがある――第三の副団長で、生産系の神持ちだ。

 所持している加護もその性格も、およそ戦闘には不向きな人だったはずだ。

 組織運営に不向きなネイズさんを上手く補佐していた、優秀なサポート役だったと記憶している。


「――ご無沙汰ですねアイス君。団長がお世話になりましたね……ありがとう。こんなに嬉しそうな団長を見たのは、本当に久し振りですよ。当然ですが、我々第三軍団に戦闘の意志はありません。降伏を申し入れます」

「はい、受け入れます。ナスル軍で悪いようにはしません」 


 僕が勝手に受け入れてしまったが、ナスルさんも拒否する事は無いだろう。

 第二軍団の時とは違い、ネイズさんが団長だったのだ。

 素行に問題がある兵士の存在をネイズさんが許すとは思えない。

 今回の受け入れはスムーズに行われることだろう。


「ありがとう。……それから、団長から君に預かり物だよ。受け取って貰えるかな?」


 副団長さんに渡されたのは、ネイズさんの愛剣〔天穿ち〕だった。

 …………僕には関係無いなどと言っておきながら、形見の品として残すなんて、ネイズさんは……嘘吐きだ。

 ネイズさんがこの剣を使って闘っていたら、僕が勝った暁には剣を粉々に砕いて処分していたことだろう。

 勘の鋭いネイズさんのことだ、そこまで見越していたのかもしれない。


「――――」


 僕にこの刀を受け取る資格があるとは思えなかったが、他の誰にも渡したくない気持ちもあったので……ただ黙って受け取った。


あと二話で、第六部は終了となります。

明日も夜に投稿予定。

次回、百一話〔幼馴染との再会〕

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