一話 始まり
初投稿です。序盤は重めですが全体的には気軽に読める話になるかと。
一章【軍国~神捜し~】
「本当にここでいいのか? この辺りは〔排斥の森〕くらいしか無いぞ?」
御者のおじさんは心配そうに僕にそう言った。
僕らが出発したアズの町と荷馬車の目的地であるコベットの町は、馬車で約二週間といったところだが、アズから一週間ほど荷馬車に揺られて着いたこの辺りには、遠くに森が見える以外は見渡す限りの平原が拡がっている。
そもそもアズから荷馬車に同乗させてもらう際、大まかな目的地を伝え相場の半額程度の金額しか支払っていない。
だから、おじさんが気にする必要はないのだが、このおじさんはきっと人が良いのだろう。……或いは、ここまでの一週間の道程で少なからず情が湧いたのかも知れない。
「大丈夫です、ありがとう」
僕はおじさんに安心させる事を意識しつつ、精一杯の笑顔を作った。
「運賃が足りないなら、向こうに着いてから金を工面しても良いんだからな」
「森の近くに用があるのでここで良いんです」
本当は森の近くどころか、排斥の森の中に用があるのだが、それを伝える訳にはいかない。
この人が良いおじさんを、万が一にも巻き込む訳にもいかないからだ。
ある程度信用がおける人間は貴重であり、失うのは惜しい。
とくに「金は要らないから乗ってけ」と、言わないあたりが個人的に好ましい。
自分にメリットの無い提案をする輩は、どうにも不信感を覚える――僕には人間不信のきらいがある事は自覚しているが、いかんともし難い。
「そうか……間違っても排斥の森の中に入るなよ。〔死滅の女王〕に殺されるからな」
死滅の女王――僕らの住む軍国と、その西に位置する帝国との境界線上には、東西に広がる深い森が存在するが、森を抜けて密入国を試みると〔死滅の女王〕に命を奪われると言われている。
事実、十年程前から軍国より幾度となく多数の兵が送られたが、そのことごとくが一人の女に殲滅されたそうだ。
いつからか森には誰も近づかなくなり、国の境界線上にある森は、侵入者を拒絶する〔排斥の森〕と呼ばれ、森の番人である女は〔死滅の女王〕と呼ばれ恐れられている。
「もちろんです。女王に謁見するなんて恐れ多いですよ。それでは、おじさんも道中お気をつけて」
「おう。まぁ、そのうちコベットの町に来ることがあれば、うちの店に寄ってけよ」
その後、おじさんと別れた僕は森の方角へと足を進めた。
森の近くに着く頃には夜が近くなっているはずだから、今日は森の入り口前で野宿して――明日、日が昇ってから森に入るとしよう。
森に入らなければ死滅の女王に襲われる事も無いから、今夜は安心して眠れるはずだ。
――そう、森に入らなければ死滅の女王に襲われないのだ。
この一事が、森への侵入者が殲滅されているにも関わらず、女王の情報が伝えられている理由だ。
過去に軍国の小隊が森を抜けようとした際、先頭集団が女王に襲われ、陣形を敷く間も無く殲滅された。
だが、その凄惨な光景に恐怖で震え、森の手前で動けなかった後続の兵には、危害を加える事無く去っていったと言われている――素手で首をもぎ取っていたとも聞くので、軍国の兵が怯えて動けなくなるのも無理からぬことであろう。
死滅の女王は、森に侵入した人間のみを虚ろな瞳に映し、刃向うものも命乞いするものも淡々と皆殺しにしたそうだ。
そしてその情報こそが、僕がこの排斥の森を訪れた理由に他ならない。
虚ろな瞳で、淡々と機械のように決められた作業を行う。
数歩離れたところにいる兵士には目もくれず、森の中に侵入したものは武器を持たぬものでもあっても無慈悲に殺害する。
僕の脳裏に刻み付けられている事象と完全に一致する事だ。
間違いなく女王は――〔洗脳術〕をその身に受けている。
それも、公的機関が尋問に使うケースのみ使用が認められているものでは無い。
女王がその存在を確認されたのが十年前だが、今に至るまでその効力が続いているとなると、これはもう尋常な洗脳術では不可能なのだ。
通常、洗脳術の効果は長くてもせいぜい数十分間であり、その強制力も決して強くはない。……それに、殺人のような心理的に強い抵抗を感じる行為を実行させる事は出来ないのだ。
しかし僕は知っている。
遥か昔の文献に記された洗脳術の存在を――存在の真偽すら疑われる〔悪魔〕と呼ばれる存在。
その悪魔が持つ膨大な魔力に加えて、ある一つの儀式を行う事によって洗脳術の永続的な効果をもたらす事を為していた、とされるものだ。
本来なら眉唾な話でしか無いが、僕はその儀式を他ならぬこの目で見ている。
その儀式とは【洗脳術を受けた人間が、愛する存在をその手で殺める事】であり――【僕の父さんが母さんを殺した事】でもあった。
僕の最終的な目標ははっきりしている。
洗脳術の支配下にある父さんを救うこと、ただそれだけだ。
父さんをそんな目に遭わせた人間への復讐心が無いとは言わないが、それは最優先ではない。
全ての運命が変わったあの日から今日まで、暗中模索の中で父さんを救う手がかりを探し続け、気が狂うほどの鍛錬を繰り返してきたのはその為だ。
幸いだったのは、父さんの洗脳を解く為に必要であろう術が〔解術〕と呼ばれるものであり、僕にその解術を使う素養があった事だろう。
――解術とはその名の通り、洗脳術や忘却術といった〔精神への干渉〕を解く術なのだが、そもそも精神操作系の術者自体が少ないのだ。
しかもそれを治療する術者となると、軍国の王都においても五人に満たないぐらいの希少な存在だ。
父さんの件では、諸事情あっていずれの術者も当てには出来ない状況なので、僕に解術の素養があったのは本当に望外の幸運だった。
僕は肉体治療術や精神安定術といった、使い勝手がよく需要も多いこれらの術は最低限に、対精神干渉術である解術を徹底的に磨き抜いてきた。
だから、僕はまだ十八歳と年若いながらも、解術だけなら王都の術者にも引けを取らないはずだ。
しかしながら……解術の練度を上げても、肝心の父さんに近付く事が僕ひとりの力では困難である状況なので、信用のおける力ある協力者を探していた。
――死滅の女王のことを知ったのは、そんな時だった。
明らかに洗脳術の影響下にある死滅の女王。
そんな女王を僕の解術で解放することが出来れば、治療の恩を売ることが出来ることに加えて、僕らには洗脳術の術者という共通の敵がいるのだ。
死滅の女王が協力者となってくれる――その可能性は決して低くはないだろう。
それに、死滅の女王には森から出られないという縛りがあるので、解術の成功も十分見込めるはずだ。
解術は行使中、常に対象に触れ続けていなければならないので、理想としては毒なり落とし穴なりの搦め手を用いたい。……愚直に正面から挑む必要はないのだ。
女王の自由を奪った状態で、安全に解術を行使するのが望ましいだろう。
相手が予想以上に手強そうなら諦めればいいだけなので、試してみて損はないはずだ。