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曖昧身舞

作者: 如月一月

とある女子高生の独白

 ――私は、かわいそうな人であるらしい。


朽木旅館、という名はそれなりに有名である。創業から十七代、三百年ちかい老舗、というとその理由もなんとなく察せられる。そうした家で私は生まれ、そうした家で私は育った。


そのきっかけがなんだったのか、私はよく分からない。景気が悪くなって旅行そのものの需要が少なくなったことなのか、天災の影響で建物に被害が出たことなのか。ああ、先代の板長を務めていた祖父が急死したことも一因になるかもしれない。この旅館が時代というものの変化に対応しきれなかった、というのは言い過ぎかもしれない。まあ、なんでも構わない。今、正確な原因が分かったところで、当時どうすることもできなかったことは変わらないのだから。


所詮は、と言っては言い過ぎかもしれないが、一地方都市の老舗旅館が、一度に対応できる限界を超えてしまっただけの話だ。急激な減収と、突然の出費が重なり、対応が間に合わないほどの短期間に積み重なった「損害」によって旅館の経営が傾きかけた――それだけが、変わることのない事実である。


減っていく常客を越えるほど、新しい客を増やせなかった。


一度ずれた歯車は、そのまま全てをすこしずつ崩れていく。



それだけの、話である。




「お久しぶりです、舞さん」


そう言って、その人は嬉しそうに笑った。私は、それに小さく会釈を返す。前回に会ったのが、約二か月前。それから電話もメールもしなかった。この人は電子的な連絡方法が好みでなく、今日のことも手紙で伝えられたぐらいである。私にいたってはそもそも、携帯電話のようなものを所持していない。これが『恋人』であれば耐えらなかったりするのかもしれないが、幸か不幸か、そういった関係とは少しだけ違った。


そんな普通とは少し変わった人が、私の婚約者であった。


いい人、である。都会の一流大学を出て、県内有数の銀行の若頭取という立場にいる。一回り以上歳は離れているけれど、会話がうまく、気遣いというものが上手だ。容姿が秀でていれば、さぞかし浮名を流したのではないだろうか。

そこだけが、なぜか平凡で、そのために人としてうまく調和がとれている――そんな奇妙な説明が相応しい人だった。


「……久しぶりですね」


声を出す。挨拶を返す、というそれだけの行為で、この人はひどく安心することができるらしい。案の定ほっとした表情を浮かべ、そのまま贈り物、と渡されたのはどこかのブランドの、アクセサリーのようだった。疎い私でも聞いたことだけはあるブランド名だった。礼を言ってしまっておく。

……こういうものを貰っても、使うような機会はないのだが。いや、次に会う時につけてくればいいのだろうか?


冬珈琲、というこの季節限定の少し酸味が多くなるようにブレンドされた商品を味わいながら、婚約者の近況を聞き、反応を返し、時に尋ねる。目の前にいる彼との関係は、悪くはない、という感じだった。けれども良いものか、と言われると少し考える。もっとも、私は同世代に私たち以外の婚約関係にある人々を知らないので、判断しづらいものではあるのだが。感覚的には頻繁に会う親戚のひとり、というのが近いのかもしれない。将来的なことを考えなければ、ではあるのだけど。


そうして過ごした時間は、それほど悪いものではないのではない、と思わなくもなかった。こうして、私の休日は消費されていった。



合理化、という魔法の言葉と、経営戦略、という奇術染みた言葉。左前ではあったけれど、それはあくまで一時的なもの、と父は主張し、ついにはそのほとんどを銀行側に認めさせた。結果的に考えるならば、父の読みは正しく、多少の時間はかかったものの、一度傾いた状態だったにもかかわらず、立ちなおしてみせた。いや、これ以上ないほどの差別化によって、数少ない勝利者になってみせた。


表にならなかった、私が当時の副頭取の息子――つまりは今の若頭取――と結婚する、という条件を呑んで、だが。


ひどく前時代的であると思い、同時にそれほど先方にとって魅力があるがあるのか、という疑問のもと、私の未来は、私の関与できないうちに、用意された軌道から逸れようのないものになってしまったのである。



未来、というものは一本道だ。そこに横道、脇道などは存在していない。いや、していないのと同義であると言えるほど意味がない、というべきなのかもしれない。この考え方が絶対に正しいとは決して思わない。むしろ、少数派なのではないか、と感じることもある。たとえ、それが綺麗事であったとしても、人々は未来というものは幾つもの選択肢の中から、自分で選び取って進んでいくものであると口にする。しかし、だ。


私、という存在の未来は既にそのほとんどが決まってしまっている、といってもなんら問題はない。そして、その未来が変わることは、まずありえない、ということも。それに対して、大人達は悲劇のように語り、友人達は悲しそうな表情する。



はて、とそこで思う。私の、私の未来が悲劇だというのであれば。そこに至る道筋が、不幸であると評するのであれば。



では、その道を進むしかない私は一体何なのだろうか、と。



帰宅して、夕食の支度のために台所へと向かう。冷えきったその空間の中で、水道の蛇口を捻り、そこから流れ出る水に手を浸す。そのまま、献立について考えてみる。決めてさえしまえば、あとはなにも悩むことなどない。赤く色付いた手で必要な食材を取り出していく。年に数回ある繁盛期のため、両親に代わって、小さい姉弟の面倒をみるようになったのは、いつのころからだっただろうか。本当にピークであれば旅館の手伝いにも出されたりもするのだが、今はシーズンも終わりに近く、自由な時間が多い時期となっている。


トントントン、という規則正しいリズム。無意識に行えるまでに繰り返した作業を淡々と続けていく。私の「予定」が計画通りに進んでいくのだとすれば、こうした日々も、あと三年あまりだ。その三年とて、とってつけたような時間だ。あくまで私の経歴を「普通」に近づけるための時間に過ぎない。

それでも、この辺りで一番歴史のある場所を選択できる程度には、私も多少の努力はしてみたのだけど。あの人は「もう少しあとでもいい」と困ったようにいうのだろうが、そこから二年、あるいは四年、と猶予を渡されてもこちらが持て余してしまう。




ふと両親のことが脳裏に浮かんだ。


よい父親だ。

よい母親だ。


二人ともそうあろうとして努力し、そしてそのように思われている。そういう人達だ。


弟のことを思う。

妹のことを思う。


二人とも、私より余程いい未来を歩んでいくことができるだろう。その道にある街灯の一つぐらいにはなれる存在として生きていけるだろう。




ふむ、と思わず呟く。


そんなものだろうか、と問いかけて。

そんなものだろうな、と声に出した。


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