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第四章 脱走! 脱走! 大脱走!! (その四)

自室で縛り倒されているショコラ。そんな彼女の脳に誰かが話しかけてくる。

一方、金星地表ではタルトが航空機に追い回されていた。


        *ネフェリット*〈ショコラ〉


「ミルのアホ! ぼけ! ブス! 年増!」

あたしの罵声は、虚しく狭い室内に響き渡った。

「縄ほどけぇ! 行かず後家ぇぇ!!」

 ああ! もう、こんな事やってる場合じゃない。

 早くミルを止めないと……て……いくら、もがいても縄が解けるわけないか。

 縄抜けの術ってどうやるんだっけ? たしか、あれは関節を外して……痛そうだな。やだな。でも、なんとかしないと。

 ……何をしたいの?……

「だから、縄を解きたいのよ!」

 ……縄? それって、今、君の動きを拘束している物体?

「当たり前じゃない!! 何言って……」

 ………………………………………?

 え? なに? 今の? 今、人の声が聞こえたような気がしたけど。もしかして、教授? いや、教授とは感じが違ったな。気のせいかな?

 ……気のせいじゃないよ。

「わ!! まただ!! だ……誰よ?どこにいるのよ?」

 あたしは唯一自由になる首を動かして周りを見回したが、狭い室内には誰もいない。

 ……ここにいるよ。

 まただ。でも違う。これは、声じゃない。

 あたしの頭に直接話しかけているんだ。

 ……そだよ。

「『そだよ』って、あんまし、軽ノリで言わないでくれないかなあ。あんた……これって、けっこう凄い事だと思うけど……」

 ……じゃあ、もったいぶって言えば良かった?

「いや……それも、困るけど……て、結局誰なのよ!? あんた! どこにいるのよ」

 ……僕の名はモル。君達の言葉で言うと異星人てところかな。

「異星人!? ……つまり、地球外知的生命体って事?」

 ……そだよ。

 ず……ずいぶんと軽く言ってくれるわね。

「でも、なんであたしのところに?」

 ……だって、君が僕を連れてきたんだよ。

「え!? あたし、そんな覚えないわよ」

 ……ちょっと待って、君の頭から単語を検索するから……分かった。気密ボックスだ。 その中に僕はいる。

「気密ボックス!?」

 真空に触れさせたくない物、あるいは空気に触れさせたくない物を入れておく、宇宙生活の必須アイテムだけど、それならさっから床の上に……でも、その中ある物っていったら……

「ああっ!! あれって、救命カプセルだったの!?」

 ……そう、君が拾ってくれたときは、てっきり助けに来てくれたかと思ったよ。

「ごめん、ごめん。てっきり、遺物かと思っちゃって」

 それにしても、これまでに、人類が遭遇した地球外知的生命体は五~六種類いるけど、そのほとんどは第二太陽系のエルドラド人のように、アヌンナキの時代に地球を離れた人類の子孫ばかり。

 例外は二種類だけ。 ε エリダヌス星系第三惑星の恐竜人と第三太陽系第二惑星〈イーハ・トーブ〉のリスそっくりなネリュート族。

 だが、それらの中に直径三十センチのカプセルに入れるような小さな種族はいなかったはず。と言う事は、彼は……彼女かもしれないけど……はまだ人類の遭遇していない種族。じゃあ、これはあたしがファーストコンタクトしたって事になるじゃない。

 やりー! これであたしも有名人だ。

 未知の異星人とファーストコンタクトを果たした美少女なんて事になったら、マスコミに追い回されるわ。

 これから町を歩くのにサングラスがいるわね。

 あ! うちには変装用具が揃っているから、そんな物いらないか。

 あれ? でも、待って。未知の異星人ということは……

「ひょっとして、侵略にでもいらっしゃったの?」

 ……違うよ。船が遭難して、困ってたんだ。

 いかん、いかん『異星人を見たら侵略者と思え』という考え方は、地球人の悪い癖だわ。「それは、お気の毒に……」

 ……それより、出してくれない。僕のカプセルは呼吸可能な大気を検出すると、自動的に開くようになっている。気密ボックスを開けてくれたら僕は出られるんだ。

「そうして上げたいのは山々だけど、あたしも、この様だし……」

 両手は後ろで縛られ、足首も縛られ完全な芋虫状態。

 まず、これをどうにかしないと……

「ねえモル。あなたカプセルの中にいるのに、どうして外の様子が分かるの?」

 ……僕の肉体はカプセルの中で冷凍睡眠状態になっているんだ。だから、幽体を分離して、外の様子を探っているんだよ。

「ふうん、そっか。ところであなた念力とか使える?」

 ……念力? ああ、それはできない。

「無理か。テレパシーがあるなら、念力もと思ったんだけど。残念。念力で縄を切ってもらえると思ったけど」

 ……そんな事できたら、とっくの昔に自力で外に出てるよ。

「それもそっか。じゃあ、しょうがない。なんとかして気密ボックスを開けないと」

 あたしはベッドの上をズルズルと芋虫のようにはい回った。

 不意に体が軽くなったのは、なんとか体をボックスに向けた時だった。

「わわわ!」

 どうしたんだろう? なんで、重力制御を切ったんだろう?

 まあ、いい。今のうちに……

 再び、重力が戻ったのは、あたしが大きくベッドから乗り出した時だった。

「わ!」

 あたしは顎から気密ボックスの上に落ちる。

 ガン!

「いったーい。なんなのよ? もう」

 ……どうやら、船が動き出したみたいだ。

「そうなの」

 ……大変! キラー衛星が攻撃して来る。

「うっそお!?」

 ……嘘じゃないよ。ほら。

 船体が揺れた。

 ……この船、力場障壁があるから、大丈夫だと思うけど……

「冗談じゃないわ! こんな縛られたまま攻撃されたら」

 あたしは思いっ切り首を延ばした。顎で、ボックスの開閉スイッチを押そうとする。

 うう……今一歩でとどかない。

 ズルズル。ベッドの上をはって前進。カメさんと競争しても負けそうなくらいの速度だが、それでも何とか進んでいる。

 もうちょい、もうちょい。

 と……とどいたあ!!

 プシュー!

 空気の抜けるような音と共に、ボックスが開き始める。

 あたしは芋虫のように後退りした。

 中をのぞき込んで見たい気分もあるけど、ここから出てくるのは未知の異星生物。用心に越した事はない。

 ……あのねえ。もし、僕が凶悪な生物なら、今更、顔をひっ込めても無駄だと思うけど。「そりゃあ、まあそうだけど」

 しばらくして、ボックスの蓋がパカッと開いた。

 と、同時に何かが中から飛び出す。

 何かは放物線を描いてあたしの方へ飛んで来た。

「あわわ!」ベチャ! ゼリーの様なスライムの様なネチャっとした物体があたしの頭に張り付く。「うそつきぃ! やっぱり、凶悪な異星生物じゃないの!!」

 ……驚かしてごめん。それは『メ』と言って何も害はないから安心して。じっとしてればすぐはがれるよ。

「まさか、これで、あたしの体に卵を生み付けているんじゃないでしょうね!?」

 ……僕らは胎生生物だよ。だから卵は生まない。ほら、終わった。『メ』はあたしの頭から離れると、瞬く間に収縮して胡桃ほどの大きさの玉になった。

 カプセルから細長い触手が飛び出し『メ』を回収する。

 カリカリカリ。

 カプセルの中から、咀嚼するような音が聞こえてくる。

「ねえモル」

 それっきり返事はなかった。

 咀嚼音が収まってから待つ事十五分、彼は現れた。


              *金星地表*


轟音が鳴り響き、辺りの地面が激しく揺れた。

 続いて衝撃波が襲ってくる。ちょうどその時、ゴーダとタルトは小さな窪地の中で、金星服を地面にへばりつかせて爆風をやり過ごしていた。

 金星服は、一般的な宇宙服と全く違う代物だ。普通の宇宙服で金星の地表に出ようものなら、五秒であの世に行く。

 九十気圧、四百℃という地獄のような環境に耐えるための装備は、只でさえ重い気密服をさらに重くしていた。

 さらにそれを使用する環境は、〇・九一Gという地球とほとんど変わらない重力下。とてもじゃないが、人間の力ではそんな物を着て動く事はできない。

 だから、金星服には、関節部に補助動力が組み込まれ、装着者の動きに合わせて動くようになっていた。

 ちょっとした、機動歩兵のような物だ。

 爆弾を落としていった航空機が頭上を通り過ぎたのは、それから五分後だった。

「行ったか?」「行った」

 二人は窪地から這い出した。

「う!」

 窪地から這い出したタルトの目に映ったのは、累々たる死体の山。

 もちろん、死体と言っても、すべて金星服の中にあるので本当に死んでいるかは分からないが、ここでは気密服が破損すれば中の人間はほぼ確実に死ぬ。

「ここまでやる必要があるのかよ?」

 込み上げてくる吐き気をこらえながら、タルトは呟いた。

 その呟きに、ゴーダが答える。

「もちろん、必要があるからやったんだ。分かっていないようだが、お前は凶悪犯罪者達と行動を共にしているんだぞ」

「でも……」

「時間がない。急ぐぞ」

 ゴーダは歩き出した。

 タルトも、その後を追いかける。

「なあ、ぼうず」

 前を歩いているゴーダが不意に話しかけた。

「タルトって呼んで下さい」

「分かった。じゃあタルト、おめえ、本当に教授の子供なんだな?」

「そうですよ」

「じゃあ、おめえもあれができるのか?」

「あれ? あれって、なに?」

 タルトには、ゴーダが何を言いたいのか分からなかった。

「そう……なんて言ったかな? そうだ! テレポーテーションだ」

「瞬間移動? なに言ってるの?」

「だってよお、教授はやってたんだぜ」

「まさか」

「嘘じゃねえ。そうでもなけりゃ、どうやって俺に脱走話を持ち掛けれるんだ」

「ばかな!?」

 実はタルトも、ずっとその事を疑問に思っていた。父が、何度もこの男と面会した事は知っていたが、囚人との面会は当然監視付きである。看守の前でヤバい話を、できるはずがない。

「教授は、何度も面会に来たんだ。もちろん、面会室は監視付きだ。当然、脱走話などできるはずがない。ところが、面会時間が終わって、俺が部屋に戻ると、決まって教授が俺の部屋に先に入って待っているんだ。どうやって、入ったか聞いても教えてくれなかったが、おかげで脱走の打ち合わせができた。そして、話が終わると、決まって教授はいつのまにか消えてるんだ」

「………」

タルトはどう答えていいか分からなかった。

 正直、混乱しているのである。

 ゴーダの話、思いあたるふしはないと言い切れない。

 つい最近、自分達も経験した事だ。もちろん、タルトは生前の父に、そんな能力があるなど聞いたことがない。

 生前の父には……しかし、父がこの男と会ったのは、生きてる時である。幽霊ならともかく、生身の人間にそんな事が……

 あれから、航空機は現れなかった。

 一度、無線で投降を呼び掛けて来たが、それっ切りである。

 歩いている間、タルトの脳裏に疑問がわいてくる。

 脱獄囚がいきなり攻撃を受けるなんて、思っていなかった。

 その理由は簡単。金星自体が巨大な監獄だからだ。

 だから、刑務所自体の警備は手薄で、出て行こうと思えば簡単に出て行ける。

 看守達も脱走者を追跡するなどという無駄な事はしない。

 そんな事をしなくても、脱走者は自分から刑務所に戻って来るか、さもなきゃ金星服のエネルギーが切れて動けなくなったところを捕まえれば良いのである。

 なのに、今回に限り攻撃してきた。

 それと、もっと分からないのはゴーダだ。さっき、航空機が現れた時、誰も攻撃されるなんて思っていなかった。

 航空機に手を振っている奴までいた。

 ただ、一人、ゴーダを除いて。あの時、彼だけが窪地に隠れた。

 タルトは爆撃の寸前にゴーダに引きずり込まれ難を逃れたのである。

「遅いな」

 ゴーダは時計を見た。

「ゴーダさん。僕はシャトルには、あんたを入れて三人しか乗れないって言ったはずだけど、覚えてる?」

「ああ」

「じゃあ、なぜ三十人も仲間を連れてきたのさ?」

「別に連れて来たわけじゃない。ただ、あいつら、俺が脱走する計画をどっかでかぎつけてきやがって、勝手についてきたんだ」

「で、説明したの? あの人達に……」

「言えるわけないだろう。『俺も混ぜろ』と言ってくる奴に、『済まねえが、もう席がないんだ』なんて言ってみろ。監守にチクられるぞ」

「そ……それって……」

 タルトの言葉をゴーダは遮った。

「分かってる。黙ってたってシャトルが来れば、ばれる事だ。そうすると、少ない席を巡って争いになる。ところが、幸いな事に、その心配はなくなったわけだ」

「幸いって、あんた……人が死んだんだよ! それを……!」

「なに。気にする事はない。あいつらは死んで当然のクズ供だ」

 ゴーダは吐き捨てるように言う。

「だって……仲間だろ」

「仲間なもんか! あんな……おい、ぼうず。聞こえないか」

「え?」

 タルトは耳をすました。聞こえる。空気を切り裂く音が。

「シャトルかな?」

「違う! この音は……」答えは山の稜線から現れた。さっきの航空機が。「隠れろ!」

 だが、隠れられるような場所はなかった。まごまごしているうちに、機銃掃射が襲ってくる。

「アブねえ!!」

 ゴーダがタルトを押し倒した。その脇を機銃掃射が通り過ぎる。「な……なんでだよ!? なんで撃ってくるんだよ!?」

 遠ざかる航空機に向かってタルトは叫んだ。

「落ち着け!! ぼうず」

「だって、変だよ! 撃つ必要なんかないだろ!」

「いいから、落ちつけ。奴等が撃ってくるのには理由がある」

「どんな理由があるんだよ!?」

「俺達が、金星からの脱出手段を持っている事を、知っているからさ」

「そんな馬鹿な」

「馬鹿なことはないさ。なにせ」ゴーダは少し勿体を付けた。「なにせ、俺がばらしたんだからな」

「うそ……だろ」

「うそじゃない。逃げる前に、書き置きを残しておいた」

「なんで……そんな事を……」

「考えてみろ。あの人数をぞろぞろ連れて行ったらどうなるか。シャトルに三人分しか席がない事がばれたら、殺し合いになるぞ。そして、殺し会いが収まるまでシャトルは待ってくれん。おそらく、全員置いてきぼりだ。余分な人数を減らすにはあれしかなかった」「そんな……それじゃあ、あんたは最初からあの航空機が攻撃して来る事を知っていたのか!?」

「そうさ、だから俺だけ隠れたんだ。あの時、お前以外に生き残った奴がいたら、俺の手で始末するつもりだった。それとも、何かい? お前も、一緒に死にたかったか?」

「それは……」

 タルトは答えに困った。

「いいか、タルト。人が他の生物を殺すのが許されるのは、二通りある。一つは食べるため。もう一つは身を守るため。俺は悪党だが、少なくともこれだけは守っていた」

「今回は?」

「身を守るためだ。俺達が助かるためには、あいつらを殺すしか方法がなかった。もし、他に方法があったと言うなら、教えて欲しいくらいだ」

「それは……」

「俺だって、できれば殺したくはない。今までも、俺は人を殺した事があるが、それが楽しいと思った事は一度もない。いつも後悔が付きまとっていた。例えそれが合法だとしても、生き物を殺す事を楽しむ奴は本当のクズだ。そして、この刑務所に来る奴等は、本当のクズばかりだった。どいつもこいつも、シャバでいかに人を殺したかの自慢ばかりをしていた」

「クズなら、殺しても良いって言うのかい」

「そうは言ってねえ」

「まあ、それはしょうがないけど、現実問題として、あの航空機が戻って来たら、どうするのさ? もう、死んだふりは通じないよ」

「ああ、それなら心配ない。あの手の機体には、そんなに弾丸は積めないはずだ。さっきの射撃で、もう撃ちつくしたろう」

「なるほど」

 再び爆音が聞こえてきたのは、ちょうどタルトが頷いた時だった。

「うそつきぃぃぃ!!」

 金星服の運動能力を最大にして、タルトは走った。

 その背後から、土煙の列が迫る。

「ど……どうやら、新型だったようだな」

 同じ様にゴーダも走っていた。

「どうすんのさ!?」

「走れ!! とにかく、全力疾走だ。奴が俺達に追い着くのが先か、奴の弾が尽きるのが先か勝負だ」

 勝負は目に見えてるような気がする。

 タルトがそう言おうと思ったとき、目の前の空で硫酸雲を突き破ってそいつが現れた。「シャトルだ!!」

 タルトが叫んだ時、シャトルの機首からバルカン砲の火線が伸びた。

 火線は真っ直ぐ、航空機に突き刺さる。

 落ちて行く航空機から、パイロットが脱出するのが見えた。

『やっほー・向かえに来たでぇ!』

 金星服の無線機から、若い女の声が流れた。

「お……遅いじゃないか! ミルさん」

 タルトは、シャトルに向かって叫んだ。

 久し振りに聞いたミルの声に、思わず目頭が熱くなる。もう、何年も会ってなかった様な気分だ。

『すまへんなあ。実はうちらの隠れていた彗星に、キラー衛星が攻撃をかけてきてな。そのせいで少し遅れたんや。堪忍な』

「攻撃!? ネフェ……船は無事なの!? ショコラは!? モンブランは!?」

『二人ともピンピンしとる。もっとも、ショコラは少々拗ねとるけどな』

「そりゃあ、そうだろう。しかし、なんで見つかったんだろう?」

『どうも、どっかで、情報漏れとったみたいなんや』

「ほう」

 タルトは、金星服ごしにゴーダをにらみ付けた。

「どこのどいつだ。情報を漏らした奴は」

 わざとらしくつぶやくゴーダ。

「あんただ。あんた」

 ゴーダの背後で、タルトはぼそっとつぶやいた直後、突然ゴーダが呻いた。

「ぐ!」

「どうしたの?」

「ぼうず、すまねえが背中を見てくれ。妙に熱いんだ」

「背中?」

 タルトは背後に回り込む。

「どっか、穴が開いてないか?」

 タルトは広い金属の背中をくまなく捜した。

 そうしている間にも、ゴーダの灼熱感はますます強くなる。

 一方シャトルも、二人から百メートル離れた場所に着地した。

 その時タルトは見つけた。バックパックに着いた弾痕と、その近くの金星服本体に走る小さな亀裂を。まだ、外気が侵入するところまでいっていないが、すでに断熱材まで亀裂が入ってる。

「あったよ。亀裂だ」

「ふさいでくれ」

 タルトはポーチから補修テープを取り出した。

 だが、テープを貼るより一瞬早く気密が破れる。九十気圧の熱気が、鋭いナイフのようにゴーダの皮膚を切り裂いた。

「ぐおお!」

 ゴーダは絶叫し、苦しそうに地面を転げ回る。

「ゴーダ! しっかりして」

 タルトはゴーダに飛び付き、服の非常停止ボタンを押した。

 暴れ出す前にテープを貼れたので、熱気の流入は止まっていたが、すでにゴーダは虫の息だった。

『どないしてん!? ゴーダはん』

 ミルが心配そうに聞いてきた。

「バチが当たった……ようだ」

 ゴーダは声を絞り出すように言った。

「ゴーダ! 喋っちゃだめだ! 今、シャトルまで担いでってやる」

「よせ……無駄だ。今の俺には、シャトルのGには耐えられん。……ねえちゃん。聞いての通りだ。済まないが……お宝の在処を……教えてやるわけにはいかなくなった」

『なんやて!?』

「だが、心配しなくても良い。少々……捜しにくくなるが、お宝の在処はメモに書いてあんたの仲間に……に持たせてある」

 それが、ゴーダの最後の言葉だった。


             *〈ショコラ〉


 その姿は、お世辞にもかっこ良くはなかった。でも、不気味でもない。ゆるキャラというのが、適切な表現かも……

「んしょ。んしょ」

 赤ん坊の頭ぐらいの、フサフサしたクリーム色の毛の塊。なんか、生きてるヌイグルミって感じ。それが短い二本の足でちょこんと立ち、細長い触手のような手で、あたしの戒めをほどこうとしていた。

「どう? ほどけそう?」

「難しい。結び目が固くて」

「そっか。結び目が固いか……ん!? ちょっと、モル! 今、あなた日本語を喋らなかった!?」

「喋ったけど」

 モルはさも当然のように言うけど、さっきまでこの子はテレパシーで喋ってた。いつの間に日本語を覚えたんだろう?

「あなた、地球人と会った事があるの?」

「あるよ」

 ちっ! あたしがファーストコンタクトじゃなかったのか。

 ……それほど、残念がることでもないけど。

「でも、あなたみたいなタイプの異星人を、見るのは始めてなんだけど……」

 あれ? 急にモルが硬直したみたいな。

「そうか? やっぱり、君も僕の仲間は見てないんだね?」

 なんか、モルの声が悲しそう。

「ねえ、モル。あたし、何か悪い事言ったかしら?」

「ううん、君が悪いんじゃない。ただ、怖かったんだ。現実を知るのが」

「現実?」

「うすうす、分かってはいたんだ。でも、認めるのが怖かった。僕は、僕の種族の最後の一人なんだって事を……」

「ええ!?」

 そうだとしたら……モルかわいそう。

 もし、あたしが人類最後の一人になったとしたら、きっと悲しみに耐えられないと思う。どうやって、慰めたら良いんだろう?

 こういう時、ミルやモンブランならどうするかな?

「ねえ、モル。あきらめるのは、まだ早いわよ。宇宙は広いんだから。まだ、仲間がどこかで生きてるかも知れないじゃない」

「だめだよ。この世にはもう、僕の仲間はいない」

「どうして、そんな事分かるのよ!? やりもしないで、あきらめるなんて情けないわ!!」

「分かるさ。僕のカプセルにはタキオンパルス発信機があるから、もしアヌンナキが生きていれば、きっと助けに来てくれたはず。今まで、誰も来なかったって事は……」

「発信機がなによ!! 向こうにだって、助けに来れない事情かあるかもしれないじゃない。 もし、あたしが同じ立場なら、諦める前に……ん?」い……今、この子、凄い事、言わなかったかしら?

「ねえ、モル。今、アヌンナキとか言わなかった?」

「言ったよ」

「会った事、あるの?」

「会ったも何も、僕はアヌンナキ族さ」

「ドシェー!!」

 脳天を十トンハンマーが直撃したようなショックだった。

 ア……ア……アヌンナキだって!?

 かつて、太陽系を訪れ、人類に超古代文明をもたらしたのは、異星人アヌンナキだと言われている。その事が、分かったのはシュメールの粘土板文書からだった。

 だが、その後、彼らがどうなったかは謎となっている。

 戦争で滅びたとか、ただ単に地球を去っただけとか……いろんな説があったが、彼らの行方に関してはずっと謎となっている。

 いや、謎となっていたのかな。たった今の今まで……

 なぜなら、あたしの目の前に、その生きた答えがあるからだ。でも……

「ねえ。どうかしたの? ショコラ」

 怪訝な声でモルが質問する。

 信じらんない。アヌンナキの姿は、諸説プンプンだった。

 人間と同じ姿だという説もあったし、半魚人説もある。

 また、巨人じゃないかと言う説もあった。

 だけど、こんなゆるキャラみたいな姿だという説はなかった。

 単に、あたしが知らないだけかもしれないけど。それにしても、こんなヌイグルミもどきが、あの偉大なアヌンナキ族だなんて……かつて、太陽の四つの兄弟星に覆いをかぶせて、五連星世界を築き上げ、そして地球を訪れ人類に最初の文明をもたらした種族にしては、随分と威厳に欠ける姿ね。

 ヌイグルミもどき達が寄ってたかって、ピラミッドやスフィンクスを作ってる様子を、あたしは頭の中で想像してみた。

 現実感が湧かないなあ。メルヘンチックだけど……

 ハッ! そうか、夢で教授が言っていたことって、これだったんだ。教授はあの時、ネフェリウムに会えと言った。

 ネフェリウムはヘブライ語で『天から降りて来た者』という意味。

 一方、アヌンナキもシュメール語で『天から降りて来た者』という意味になる。つまりアヌンナキをヘブライ語に翻訳したのがネフェリウムというわけだ。

 しかし、それならそれでもったいぶらずに、アヌンナキと言ってくれりゃあいいのに……あれ? という事は……

「ねえ。あなたさっき地球人に会ったことがあるって言ったわね。それっていつの事?」

「僕がカプセルに入る前、地球時間で一万二千年ほど前かな」

 やっぱし! さっき、地球人と会った事があるといったけど、それは現代の地球人じゃなかったんだ。

「じゃあ、現代の日本語をどうやって覚えたの?」

 少なくとも当時の日本語は、現代とはまるっきり違うはず。

 当時の日本人の祖先に当たる人を、現代に連れて来ても、まず言葉は通じない。

 仮に、モルが当時の日本語を知っていたとしても、今のあたしと会話できるには、かなりの学習期間が必要となる。

「なんでって聞かれても……あ! そうか。君の記憶の中に『メ』という単語があったから、てっきり知ってると思ったけど、どうやら君は『メ』が現実に存在したものと認識していないね」

 あたしの記憶って? なんでモルにそんなものが……?

「『メ』? さっき、あたしに張り付いたスライムみたいな奴の事? そんな物知らないわよ。それに、その事となんの関係があるの」

「君はすっかり忘れているようだけど、昔読んだ本や古文書の中にその記述があるんだ」

そういえば、題名は忘れたけど子供の頃に読んだゼガリア・シッチンの著書に『メ』の事が載っていた。

 そこにはこうある。

『……『メ』とは文明の構築に必要な知識ないしデータを意味する。ただし、けっして抽象的な概念ではなく、持ち運びができる物体とされる。現代風にいえば、データやプログラムなどを記憶させたコンピューター・チップといったところだろう』って。

 それに、あたしがこれまで翻訳したシュメールの文献にも、時々『メ』という言葉が確かに載っていた。

 でも、内容が荒唐無稽なので今まで無視していたんだ。だってねえ、シュメールの文献には『メ』の事をコンピューターのメモリーディスクやメモリーカードみたいな記憶媒体のように書いているのに、それを読み込むのにコンピューターを使ってない。

 どうするかっていうと、なんとアヌンナキはそれを食べていたりしている。『メ』を食べてから『これで神聖知識は我がものとなった』なんて言ってる記述もあったけど……記憶媒体……?

 もしかして、それってコンピューターの記憶媒体なんかじゃなくて……

「モル……写しとったのね? あたしの記憶を……」

「そうだよ」

 そうだったんだ。コンピューターのデータをカードやディスクに写しとるように、人間の記憶を写しとる物。それが『メ』なんだ。

 アヌンナキは『メ』を食べる事によって、知識を得ていたという。

 さっき、カプセルの中で聞こえた咀嚼音。

 あれはモルが、あたしの記憶を写しとった『メ』を食べていた音なんだ。

 でも……

「人間の記憶を写しとるなんて、できるはずないわ」

「どうして?」どうしてって……「人間の記憶だって、しょせん電気信号なんだからコピーを取るぐらいできるよ。方法さえ分かればね。君達が今までできなかったのは、脳の出力装置がどこにあって、どう使うのか分からなかったからさ。もし君達の使っているコンピューターでも、カードスロットやディスクドライブなどの出力装置の事を知らない人が見たら、コンピューターのデータを他に移せるなんて、思い付かないんじゃないの?」

「そ……そりゃそうだけど……地球人とフォーマットの違う異星人じゃ、データを開く事ができないんじゃないの?」

「そうだよ。フォーマットが違ったら、データは開けない。だけど、僕らアヌンナキと地球人はフォーマットが同じなんだ。そういうふうに作ったんだから」

「作ったって!?」

 アヌンナキが人間作ったという説はあったけど……本当なのかしら?

「作ったというのは誤解を招くね。正確には元々地球にいた君達のDNAを書き替えて、僕達の脳と互換性があるものに作り替えたんだ。もちろん『メ』だって、出力装置のない脳から情報を読み取れないから、ちゃんと出力装置も付けた」

 そうだったのか……でも……

「モル。それじゃあさっき、あたしの記憶を根こそぎ写しとったのね」

「うん」

「ひどいじゃない! それってプライバシーの侵害よ!!」

「あ……いや、別にそんなつもりは……こうでもしないと君と言葉を交わせないし……テレパシーは幽体離脱中しか使えないし……大丈夫だよ。君のプライバシーは守る。大事な事はだれにも言わないから」

「本当にい?」

「うん。君が七才の時にオネショしたとか、十一才の時の初恋の事とか……」

「わあ!! カット! カット!」


            *金星上空*


 高度七万二千。

 硫酸雲を抜け、視界が開けた。すぐ下で雲海が渦巻いている。

「こうして見ると、物騒な硫酸雲もええ眺めやな」

 呑気な口調とは裏腹に、ミルの目はレーダーディスプレーを油断なく見つめていた。

 地表でタルトを拾ってから、かなり時間が経っている。

 もう、キラー衛星が集まって来る頃だ。

「タルト。しばらく、慣性飛行になるで。今のうちに金星服を脱いで、こっちに来てや」

 後ろのカーゴにいるタルトに無線で伝えた。

『はい』帰ってきた返事は、あまり元気がない。

 ……ゴーダはん、あかんかったやな。

 タルトが、ゴーダをカーゴの中に連れてきた時にはまだ息があった。だが、重傷の体にシャトルのGはきつかったようである。

 レーダーに六つの光点が現れたのは、シャトルが大気圏を離脱した時だった。現在、距離五千。相対速度十八。間もなくレーザー攻撃圏内に入る。

「タルト! はよ来てんか」

 レーザー攪乱幕を張りながら、ミルは言った。

「すみませえん! 遅くなりました」

 タルトはようやく操縦室に現れた。

「うわあ! なんやねん? その顔」

「変装、解く暇がなくって」

「まあ、ええ。さっそくで、悪いけど、こいつらを頼むで」

 ミルはレーダーディスプレーを指差す。

 キラー衛星は四千八百キロまで近付いていた。

 さっきから、レーザーを撃ちまくっている。

 宇宙では普通、レーザーは目に見えないが、攪乱幕のために、ある程度その火線を見る事ができた。

 衛星のレーザー砲出力や周波数が、以前に手に入れた資料通りだったおかげで、それに合わせて調整しておいた攪乱幕は効率良くレーザーを防いでいる。

 それでも、何発かは攪乱幕を突破しシャトルの装甲板を叩いていた。

 もっとも、オリハルコン・コーティングを施したタングステン・カーバイド装甲に穴をあけるほどの余力はなかったが……

「大丈夫かな?」

 タルトが不安そうに良いながら、コパイシートに腰掛けた。

「なんとも言えん。今は、レーザー攻撃だけやが、キラー衛星が運動効果兵器を使ってきたらヤバいで。その前に〈ネフェリット〉に回収して貰わんと……」

「〈ネフェリット〉はどこです?」

 タルトは火器管制システムを立ち上げた。

「無事なら、後、五分で回収に来るはずや。ただし、こっちから、〈ネフェリット〉の位置を探れん。今の〈ネフェリット〉は新型の対探知システムを作動させとるから、レーダーでも視覚でも見つけられん」

 キラー衛星は相変わらずレーザーを撃ってくる。

 今のところレーザー攪乱幕に阻まれているが、攪乱幕を構成している気体や微粒子はあと数分で拡散してしまう。

 タルトの正面のディスプレーに武器選択の表示が現れた。

「化学レーザーと、無反動電磁バルカンか。レーザーは攪乱幕で使えないな」

 タルトはバルカンを選択した。左手に水晶振り子、右手にトリガーを握る。シャトルに搭載したバルカンの発射速度は秒速三〇キロ。 一発でも当たれば、キラー衛星ぐらいは破壊できる。

「発射」

 約一分後。六つのキラー衛星は、ことごとく残骸となっていた。 タルトはおもむろに目を開いて言う。

「取りあえず、一掃しました」

「あいかわらず、大した腕やな。そや! 言い忘れてた」

 精一杯おどけた口調でミルは言う。

「お勤めご苦労さまでした」

「はあ」

 それに対してタルトは、気の抜けた返事で返す。

「もう! 男の子なら、もっと元気な返事せんかい!!」

「す……すみません」

 とはいうものの、とても明るい気分にはなれない。

 ゴーダの死顔が脳裏に焼き付いて離れないのだ。

 俯いていると、突然、頭を両側からミルにガシッと掴まれた。

「え?」顔を上げる間もなく、タルトはミルに抱きしめられる。

「え!? え!? え!?」

突然の抱擁にタルトは混乱した。

 ……ミ……ミルさん? もしかして、僕の事を……いや、違う……これは、そんなんじゃない……でも、もしかすると……

 しばらくして、ミルはタルトを放すと、観察するような目でタルトをジッと見つめた。「ふむ。ドキドキしとるな」

「え?」

 タルトはミルの言った意味が分からず、しばし呆気に取られる。

「いや、なに。男ばかりの刑務所に入れられとったから、もしかして変な趣味でもうつったんやないかと、心配しとったんや。まだ、女への興味は無くなってなかったな」

 頭にカーっと血が上った。

「な……なにを心配してるんですか! そんな分けないでしょ!」

「やれやれ、やっと元気が出たか」

「え?」

「ゴーダが死んだのは、タルトのせいやない。気にするなっちゅうのは無理やけど、今は沈みこんどる場合やないで。悔やむのは生き延びてからにせい」

「はい!」さっきよりは元気のある返事が返ってきた。「あ! そうだ」タルトはポケットから紙切れを取り出した。「刑務所を出る前に、ゴーダから渡されたんです。お宝の有りかだって。でも……」

 ミルは紙切れを受け取ってさっと目を通した。

 紙切れには『雷神のベルト。東へ一六〇・〇八〇九一。南へ〇・〇〇八一』とだけ書いてある。

「なんの事だかさっぱりでしょう」

「いや、これに該当する場所は分かるで」

「え!? どこなんですか?」

「詳しくは後で話す。ところで、無理や思うけど、レアメタル横流しの件、何か分かったか?」

「いや、分かったも何も、ダグー刑務所の看守長が犯人でした」

「なんで分かった?」

「最初からゴーダが知っていたんです。どうやって手に入れたか知らないけど、あいつ、裏帳簿とか裏取引の証拠写真とか、隠し持っていたんですよね。ゴーダの奴、それを使って、自分の待遇を良くするよう、看守長を脅していたみたいですよ」

「教授もその事を知っとったんか?」

「ええ。話したって言ってました」

「なるほど」

「でも、その事が、逆に仮出所をやりにくくしていたみたいですよ。仮出所の話が出たとたんに、看守長があっちこっちに手を回して、阻止していたらしいんです」

「当然やな。そんなヤバい事知ってる奴、出すわけにはいかんやろ。おっと! いかん」

 ディスプレーに目を戻すと、ちょうど金星の地平線から新手が現れるところだった。

 距離六千。相対速度十二。数一。

「まあ、心配ない。こっちには射撃の天才がおる。ほな、もういっちょ頼むで」

 だが、タルトは首を横にふった。

「駄目です。あれには人が乗ってる」

「なんやて!?」

 レーダーの反応を良く見ると、確かにキラー衛星よりも大きい。

 明らかに有人の戦闘艇だ。

 甘い事を言ってる余裕はないが、人殺しは可能な限り避けなければならなかった。今回に関してはミルも百パーセント逃げ切れる自信はない。万が一、捕まった時の事も考えて、殺人罪を犯す分けにはいかない。

 だが、例えそうでなくても、タルトもミルも血を見るのは嫌だった。

「この前みたいに、中の人間を傷つけないで機能だけ破壊する分けにはいかんか?」

「難しいですね。相手があの大きさじゃ。バルカン砲だと威力が強すぎるし、向こうも攪乱幕を張ってるから、レーザーは利かないでしょう」

「いっそ、撃ち落としたろか?」

「駄目ですよ。『物は盗っても、命は取らない』のが怪盗ミルフィーユでしょ」

「そやな。殺しはあかん。それに、シャトルはすでに高度百二十キロに達している。まもなく、邂逅点や。これなら、レーザーの射程に入る前に〈ネフェリット〉と合流できる」

 だが、戦闘艇はレーザーなど使わず、いきなりミサイルを放った。

「レーザー、もう使えますね」

 タルトが言った。良く見ると、シャトル周辺の攪乱幕はとっくに拡散してしまっている。

 タルトはレーザーのトリガーボタンを押した。

 光の槍がシャトルを飛び出し、加速中のミサイルに突き刺さる。

 ミサイルのコースは大きく逸れた。

 そのまま、大気圏へ落ちて行く。

「なんだ! あれは?」突然、タルトが叫んだ。彼の指差すディスプレーでは、何かが星空を遮っていた。「あそこに、何かいる」

「心配せんでええ。あれは〈ネフェリット〉や」

「ええ!?」

「タルトが逮捕された後で、新型の対探知システムを装備したんや」

「でも、あれが〈ネフェリット〉なら、もう一キロと離れていないはずですよ。なのにレーダーにも映らないし、赤外線も感知できないなんて」

「実はな、この前、第二太陽系に行った時に、星系を覆っている球殻の一部を切り取って持ってきたんや」

「い!? じゃあ、新型の対探知システムっていうのは!?」

「そや。電磁波の九九・九九九九九パーセントを吸収してしまう球殻の構成物質で、ネフェリットを包みこんである」

「そ……それって……ちょっと、ヤバくないですか?」

「心配ないって、引退宣言を出す前にやった事や」

「そうじゃなくって! 球状構造物に、穴なんか開けたりして大丈夫なんですか!? あれが壊れたりしたら、地球の気候に悪影響が出るんですよ」

「アヌンナキが、そないヤワなもん作るかいな。大丈夫やとっくに穴は埋まっとるって」

「本当に?」

「たぶん」

「た……たぶん……?」

 もっと、いろいろと聞きたかったが、その暇はなかった。

 ミサイルの第二波が来たのである。

 タルトが迎撃に勤しんでいる間に、ミルは通信機をオンにした。念の

 ために、通信には盗聴されにくいレーザー通信を使う。

「こちら、ミルフィーユ。ケーキ屋さん応答せよ」

『こちら、ケーキ屋。ミルフィーユどうぞ』

 モンブランの返事が返って来た。

「こちら、ミルフィーユ。小麦粉二袋を手に入れた。ガレージを開けて下さい」

『こちら、ケーキ屋。了解』

 宇宙に穴が開いた。

 隠れていた船の格納庫を開いたのだ。

「モンブラン! 緊急発進や。一Gでここから離脱する」

 ミルはシャトルを格納庫に滑り込ませるなり通信機に叫んだ。

『了解』

 加速が開始された。

「僕、ゴーダの様子を見てきます」

 タルトはハーネスを外してカーゴへ入った。

「やれやれ」

 ミルがおもむろにハーネスを外しているとき、突然エアロックが開けられた。


        *〈ネフェリット〉*ショコラ


「ミルぅぅぅ!!」

 エアロックを開くなり、あたしは怒鳴った。オーラを見れる人が今のあたしを見れば、怒りの赤いオーラに包まれているのが分かっただろう。ミルにそれが見えないのが残念だ。

「あら? ショコラやない?どないしてん?」

 思った通り、ミルは呑気そうに答える。

 あたしの怒りに気付いていないのか、それとも気付いてとぼけているのか分からないが。

「どないもこないも……それが、人をいきなりロープで縛り倒した奴の言う事か!!」

「あらあかん。すっかり、忘れとった。堪忍な」

 こ……この女は……!!

「堪忍な、じゃないわよ! おかげでおなかは空くし、トイレにもいけないし……」

「ひょっとして……お漏らしした?」

「するかああ!! 今一歩のところで、モンブランにロープを解いて貰ったのよ」

 あたしは真っ赤になって怒鳴る。

 結局あの後、モルにはロープを解けず、インカムを操作してもらって、モンブランを呼び出してもらった。

 しかし、キラー衛星を躱すのに必死で、モンブランもすぐには来てくれない。解放されたは今から三分前の事。

「なら、良かったやない」

「よくなあい! とうとう、やっちゃったのね!? 脱走幇助」

「うん。やっちゃった」

「ああああ……何て事を……これで、警察はあたし達を本気でツブしにくるわ。今までは大目に見てくれたけど……もう、おしまいよおぉぉぉ!」

「大丈夫、大丈夫。今回も大目に見てくれるって」

「どうしてよ?」

「レアメタル横流しの犯人とその証拠を掴んだんや。後は、これを公安当局にチクってやれば、うちらの事はチャラにしてくれるはずや」

 まあ、たしかに、偉い人と、そういう取引がしてたというから大丈夫だと思うが……

「それは良いとしてよ」あたしは、ちらっとカーゴの出入り口に目をやった。「あたしは嫌よ。脱獄囚と同じ船の中で過ごすなんて」

「そない、毛嫌いせんでも……」

「冗談じゃないわよ! 金星刑務所に入ってる囚人っていったら、並の悪党じゃないわ。 ギャングとか、宇宙海賊とか、テロリストとか、悪徳宗教団体の教祖とか、悪の秘密結社の幹部とか、連続幼女誘拐殺人犯とか、そういう悪人の中の悪人ばかり。それこそ、歩く災厄、百害あって一利無しのゴキブリ以下の奴よ。そんなのが、同じ船の中にいたらコワいじゃないの」

「あのなあ、ショコラ。コワいと思うなら、そういう事を、ここで大声で言わない方がええで」

 ミルはそう言って、カーゴへと続くをハッチを指差す。

「え?」しまったあ!! 今の聞かれてたあ!「あわわわわ!!」

 あたしは慌てて、キュロットのポケットを探った。

 ない! ない! ない! スタンガンがない。

 あった!

 あったけれど、これって飛翔タイプじゃなくて、相手の肌に直接押し当てる格闘用スタンガンだ。

ええい! これでも無いよりましか。

 あたしはスタンガンのスイッチを入れて身構えた。

「ミルさん」

 突然、ハッチが開いた。

「いやああああ!」

 その瞬間にパニックったあたしは、ハッチから出て来た顔中ひげだらけの男に、スイッチの入ったスタンガンを投げ付けていた。だって怖かったんだもん。

「うわ!?」

 あたしの投げ付けたスタンガンは、あっさりと躱された。

「来ないでえ!!」

 あたしは男に飛び掛かった。

「誰かあ!!」

 あたしは男の鳩尾に膝蹴り叩き込んだ。

「助けてぇ!」

 アッパーカットが決まる。

「殺さないでぇ!!」

 背後に回りスリーパーホールド。

「うああ!! 殺さないでくれえ!!」

 男は叫んだ。

「ええかげんにせんかい!! アホ娘」

 ミルのパンチが、あたしの頭上に叩き込まれた。

「いったあい!! 何すんのよ。ミル」

「人に、いきなり殴りかかっておいて、何するもへったくりもあるかぁい!」

 ミルは、腹を押さえて呻いている男の側によった。

「大丈夫かい。すまへんなあ。乱暴な妹で。堪忍な」

「何よ! あたしが、悪いみたいに。だいたいそいつは脱獄囚よ。いつ、突然暴れ出すか分からないじゃない」

「突然暴れたのは、あんたやろが」

 そう言えば、そういう説もあるような……あら!? 男の顔から何かが垂れ下がっている。 ひげ……?

 男は顔に手を掛けた。

 ベリ! ひげを一気にはがす。その下から現れた顔は……

「タ……タルト?」

 横を見るとミルがニヤニヤ笑ってる。おのれ、最初っからタルトが出てくること知ってて、ひっかけやがったな!

「やだ! ごめん! タルト。あたしてっきり脱獄囚だとばかり……」

 あたしはタルトの元へ駆け寄った。

 怒ってるかな? でも、タルトは女の子に優しいから、殴り返したりはしないと思うけど。

「やあ、ショコラ。久し振りだね」

 さわやかな笑顔で、タルトは言った。

「タルト」

 心が広い……と油断した瞬間。

「この野郎! 痛かったぞ」

「キャ!」

 あたしは一瞬の隙を突かれ、ヘッドロックを掛けられた。ジタバタもがいたけど、ヘッドロックは外れない。タルトも手加減してくれてるのか、痛くはないけど……ん?

 不意にあたしの鼻腔を、ミョーな匂いがくすぐった。

 匂いは急速に強くなる。

 まさか!? この匂いって……

 あたしの脳裏を恐ろしい推測が過ぎった。

 いや、そんな恐ろしい事、あっていいわけがない。

 でも、それならこの匂いはなに? お願い、違ってて。

 あたしは、恐ろしい推測が外れていることを願いつつ、ヘッドロックを掛けられた状態のままタルトに質問した。

「タルト……あなた……まさか……」

「なんだい?」

「タルト………………………………お風呂には、入っている?」

 一瞬、あたりは沈黙した。

 なんか……コワい答えが返ってきそう。

「ハッハッハッ! ばかだなあ」

軽やかなタルトの笑い声が沈黙を破る。

そうよね。そんな分けないわよね。

「刑務所に、そんなものがあるわけないだろう」

 ほら、やっぱり……………………え?

「ひええええええええぇぇぇぇぇ!!」

 あたしの悲鳴が船中にこだました。

 もし、宇宙が大気で満ちていたら、隣の恒星系まで聞こえたかも……

 そのくらい大きな声だった。

「はなせぇ! バッチイ! エンガチョ!!」

 あたしは、もがいたがさっきの事を根に持ったのか、タルトはなかなか離してくれない。 

後で、分かったけど、刑務所にも当然お風呂はあって、囚人は一日一回入浴することが義務付けられていた。

入らない奴は、看守に無理やり浴槽に叩き込まれる。

 にも関わらず、タルトがこんなに汗臭かったのは、金星服のせいだった。

 宇宙服を始め、気密服という物は、それを着用する人間の安全性、快適性をとことん追及して設計してある。

 もちろん衛生機構も完備していて、気密服の中で雑菌が繁殖するなどという事はない。 普通は……

 金星服だって本来はそうなっているはずだが、囚人用の金星服はコスト最優先になっていて、取り敢えず中の人間が生きていればいい作りになっていた。

 事故が起きれば、その時はその時……衛生機構など有って無きのごとしだから、中では雑菌が繁殖しまくっている。

 アトラクションの着ぐるみ状態だ。

 だから、一日中金星服の中にいたりしたら、それこそ一か月は風呂に入ってなかったんじゃないかってくらい匂いが付く。

 こんなひどい物を使わされているから、金星刑務所の囚人達はバタバタと死んでいくわけだ。


               *


 〈ネフェリット〉から小さなカプセルが射出されたのは、その十数時間後、水星軌道のさらに内側での事であった。

 凄まじい勢いで太陽風が吹き付ける中を、公転方向とは逆の方に射出されたカプセルは、徐々に太陽の方へと落ちて行く。

 やがては、太陽上層大気に触れプラズマと化し、太陽風と共に宇宙全体に拡散していくであろう。

 カプセルの中には、造花や酒の瓶で埋もれた一人の男の亡骸が安置されていた。

 ゴーダ。かつて宇宙海賊だった以外の経歴を〈ネフェリット〉のメンバーは知らない。 知らないが、目の前で息を引き取った者を、せめて手厚く葬ってやろうという処置だったのである。

 たが、この時はまだ誰も気が付かなかった。

 この亡骸から離れていった存在がいたことに……


アヌンナキの姿をどうしようか考えたのですが、少女と一緒に行動するならやっぱヌイグルミっぽいのがいいかなと思ってゆるキャラにしてしまいました。この大きさで人類を上回る高度な知能をもてるか疑問ですが。


さて、この後〈ネフェリット〉は木星へ向かいます。

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