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パンドラム

作者: 白珀千黒

なんかパンドラムって単語を授業で見たんで何となく。

どうぞゆっくりと……。

 板崎大志は目の前のコンピュータとのにらみ合いを続けていた。今は五月下旬。しかし、ここら最近の異常気象の影響で気温は二十五度を悠々と超えるといった現状だった。大志は少し体を反らし、椅子にもたれて外の様子を見た。三時間ばかしずっとパソコンとにらめっこしていたものだから目が疲れてしまったのだ。外から入ってくる日光に顔をしかめながら見た外の景色は決していいものではない。セールスの中年や主婦といった様々な人間の誰もが暑さに生気を吸い取られたような顔をしている。この会社に就職して、三年が経つが、夏ほどエンジニアになって良かったと思う瞬間はない。コンピュータもといパソコンの温度管理のため、常に程よい温度に部屋が保たれているからだ。寒いのは大丈夫だが熱いのはどうもだめだ。大志は腕時計を見る。時間はすでに十二時を回っていたところだ。集中すると周りが見えない癖のために昼休憩に入っていることに気付かなかったのだろう。ちょうど、その時後ろから声をかけられた。

「あの、お昼ご一緒しませんか」

 遠藤襟子が立っていた。襟子は会社で後輩にあたる女性だ。髪をボブカットにしており、瞳は割と大きい。綺麗というよりは可愛いといったタイプの女性だ。同じエンジニアとして髪が目に入らないようにしているのは好ましい。大志は襟子の提案を快く受け入れると席を立つ。

「じゃあ、下の食堂でも行こうか」

「は、はい!」

 大志は生まれてこの方女性関係に困ったことはない。顔の彫が深いながらもさわやかさを感じさせる顔立ちに、短く切られた髪がさらに好印象を与えていた。エンジニアといっても運動は人並み以上出来るし、頭も悪くない。しかし、女性に困らないといってもところ構わず女性に手を出すタイプではなかった。恋愛においては受動態だった大志は話している内にいつの間にか付き合っていたという形になることが多かった。そんな性格もさらに女性に好印象を与えていた。大志は昼休憩になったついでに携帯電話の受信履歴を確認する。受信ボックスにある新着メールは三件。一つはサイトメール。もう二つは、『歌城鮎』、『朝鳥夕』と送信者名に表記されたメール。本文内容は二つとも『大志(さん)、今夜会えないか』といった内容だった。これが大志の最近の悩みだった。生まれて初めて大志は浮気していた。歌城鮎とは、今までと同じように成り行きで付き合うようになってしまった。順序で言うならば歌城鮎が先で朝鳥夕が後ということになる。鮎は大志の事を大志さんと呼び、夕は大志の事をそのまま大志と呼んでいた。大志はメールの返信に悩んだ末、両方に断りのメールを入れておく。目の前では襟子がふわふわした様子でエレベーターを待っていた。

 歌城鮎と出会ったのは会社の同僚に誘われて行った合同コンパでのことだった。偶然大志の目の前の席に座ったのが鮎だったのだ。人数は同じだった。当然のことながら目の前に座っていたので話をした。それがきっかけで、何度かプライベートで会うようになって付き合うようになっていた。

鮎は新聞会社に勤めているらしかった。理系の大志にとって文系の話というのは中々新鮮で面白かった。一回だけ大志は、鮎に「俺のどこがいいんだ?」とバカみたいな質問をしたことがあった。その時、鮎は「全部です。大志さんに一目ぼれして思わず前の席に座っちゃいました」とほほ笑みながら答えた。そんな笑顔も素敵だと大志は心から思ったのだった。

朝鳥夕にあったのはそれから数か月たった時だった。もちろん鮎の事を嫌いになったのではない。だが、恥ずかしながら誰にも倦怠期というのが訪れるのだろうと思う。それが大志にも来た。そこで見計らったように現れたのが朝鳥夕だった。夕はジャーナリストをやっているといった。しかし、ジャーナリストといっても夕は理系の出だった。本人曰く自由に動きすぎて、悪く言えば旅人と同じようなものらしい。ちなみに夕が追っているのは日本の隠れた軍事基地や実験場らしい。理由は「ただやりたいだけ」らしい。

 歌城鮎と朝鳥夕の容姿は似ていた、が、性格はあまりにも反対すぎた。鮎の性格は大人しい感じであまり行動的ではないタイプだった。対象に夕はクールな性格ではあるものの、ひどく活発的で、何かにつけては饒舌だった。まるで二人ともを熟知しているような、それほど正反対だった。それがどうしたか、というとどうもない。浮気の言い訳になるだけだ。


雨の日だった。季節は梅雨の六月下旬となり、ジメジメとした空気が肌をなめるようで気持ち悪い。こんな日にも仕事場は空調で快適に保たれているのだろう。会社に向かった大志は途中で意識が飛んで、目が覚めたら知らないところにいた。辺りを見回す。何やら部屋のようだ。あるのはモニターが天井から壁にもたれかかるように存在しているだけだった。それ以外は全くと言っていいほど何もない。

「どこだここ」

閉塞的な雰囲気から、この間夕が遂に日本軍の元実験場を見つけた、ということを思い出した。いつだったか。一週間くらい前だっただろうか。首筋にはやや火傷のような熱い感触があった。触ってみる。「っう」と呻いた。だが、状況を把握するためにもう一度触ってみる。傷の範囲からスタンガンがなにかだろう。雨が降っていたのが災いして傷ができたのか、スタンガンの威力が大きかったのか。

 ともあれ、手と足の自由はある。逃げる場所は一つのドアだけ。だが、おそらくはドアが開いていることはないだろう。改めて部屋の中を入念に探ってみる。すると、それが功を制して、大志は小さな紙きれを見つけた。紙切れの近くにはキーボードが置いてある。配線がないので無線のキーボードのようだ。紙切れにはひどく簡単なコマンドが書いてあった。このコマンドをキーボードで打て、という事なのだろう。罠かもしれない。が、そうするしか大志にすることはなかった。コマンドをキーボードに入力する。すると、ぶつんと音がした後に部屋に唯一設置されているモニターに画面が映った。

 画面に映っていたのは、これまた殺風景な部屋と、手足を縛られた遠藤襟子だった。続いて声が画面から聞こえる。

『大志、ごきげんよう』

「夕!」

  画面に向かって大志は怒鳴る。だが、返事はない。声が聞こえていないのだろうか。いや、そんなはずはない。昨日も遠藤襟子は会社に来ていたはず。誘拐されるとしたならば大志と同じ時間帯でなければおかしい。

「答えろ。どういう事だ」

『大志、率直に聞くがこの女と浮気しているだろう』

「……」

 違うとは言えなかった。五月下旬の、一緒に昼を食べたあの日、告白されてから付き合っているのだから。つまりは浮気だ。

『さっきわざと録画のふりをして無視したのに、それでも録画でないと思ったのはなぜだろうな』

「それは」

「そう、昨日の晩、彼女は大志の家で過ごしたからだよね」

 ぐうの音も出ない。完全に調べられていた。

『そんな大志にお仕置きだ』

 そういった夕の近くでカチリと小さく音がした。

『ほら、モニターを見てごらん』

 言われるがまま、大志はモニターを見た。画面の四分の一くらいの大きさで襟子が映っていた。悲鳴が聞こえる。

「おい、何をした!」

『何をしたって?見ればわかるだろう、大志』

 心なしかだんだん悲鳴が小さくなっていく。その代り、襟子の体が膨張しているようにも見えた。

「真空、実験……」

『ご名答』

 ならば、そう見えるのではなく、本当に襟子は膨張しているのか。

「やめろ。やめてくれ!俺が全部悪いんだ。殺すなら、俺を殺せ。頼むから、彼女は、襟子は何一つ悪くないんだよ」

 悲鳴がだんだん小さくなっていく。いや、もう悲鳴は上げていないのかもしれない。

『大志は殺さないよ』

 悲鳴が消えた。

『だって、大志さんの事が大好きだから』

 襟子は、遠藤襟子は、無音の中で赤く弾けた。

「大志、今日は疲れただろう。会社は休むといい」

 ふと、気配を感じた時には遅かった。首筋に熱を感じる間もなく、意識を失った。


 目が覚めた。大志はすぐさま警察に走った。雨が降っていたがそんなことはお構いなしに走った。事情を話すとすぐに警察は動いてくれた。大志のあまりの必死さに尋常ごとではないと察したのだろう。


 それから一週間、大志が聞いた調査結果はとんでもないものだった。

「全く冗談なら余所でやってくれよ。君が必死だったから捜査したけども。それがなんだ、どういう事だ。ねえ君、『朝鳥夕』なんて人間は存在しないじゃないか」

 大志は耳を疑い、すぐさま役場まで走った。戸籍ならここで調べられる。だがしかし、数日間近隣の町まで探しても、『朝鳥夕』はいなかった。存在しなかった。


 数日後、自宅に電話がかかってきた。表示される名前は『朝鳥夕』。

「お前は、『朝鳥夕』、お前は誰なんだ」

 すると携帯電話が振動する。表示される名前は『歌城鮎』。

「大志さん、元気にしてましたか。最近連絡もなくて、会う機会もなくて寂しかったんですよ」

「お前も、誰なんだよ。『歌城鮎』」

「へえ」

 短い返事が返ってくる。『朝鳥夕』を調べるときに、ついでに調べたのだ。『歌城鮎』の事を。なぜ調べたかはわからない。『朝鳥夕』と『歌城鮎』。似ていて、似ていないからだろうか、気になったのだ。そして、その結果は、

「『歌城鮎』なんて人間いないんだよ。合コンにいたやつに聞いても誰それって。あのときセッティングは男性の方が一人多かったって言ってるんだ。お前が俺と話していたことを知ってるやつはいてもお前が誰なのかを知るやつはいないんだよ!」

 大志は床に崩れ落ちた。携帯でない方の電話と携帯電話から交互に声が聞こえてきた。

「大志さん、知ってますか?」

「振り子ってあるだろう」

「あれっていつかは止まっちゃいますよね」

「でも、止まらないようにする方法があるんだ」

「真空状態にするんですよ」

「そうしたら空気抵抗がなくなってずっと左右に揺れ続ける」

「それってなんか面白いよね」

「左右に大きくなることもなく、小さくなることもなく。ずっと同じふり幅で揺れ続けるんだよ」

「まるで見えない知らない何かに止められているように」

「大志」

「大志さん」

 そう、思えばずっと振り子だったのだ。あの実験で空気を抜かれたのは、真空実験の中に入れられたのは遠藤襟子ではなく、板崎大志だった。

「大志さん」

「大志」

 揺れるように、テンポよく響く、名も知らない彼女の声。思えば、大志は最初から浮気など、


「「ずっと揺れていてくださいね」」


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