表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

温もり伝わる静かな家

作者: モンブラン

お久しぶりな短編です。

足し算よりも引き算を意識して書きました。

 物心ついたばかりの頃、私は姉を姉だと認識することができなかった。家族に覚える親しみから乖離した“それ”を、芽生えたばかりの自我に深く刻まれた。

 生まれた時からきっと、わたしは手遅れだったのだろう。





 家の中の空気は、季節よりも姉の機嫌で変化する。

 この家に住み始めてから十七年、わたしーー陽菜ひなは、その事実を誰よりもよく知っている。


 姉の深月みづきは、温度の低い人だ。

 淡々としていて、必要以上に感情を動かさない。

 けれど、家のどこにいても彼女の存在が分かる。気配が、空気をひっそりと整えるのだ。


 今日も帰宅すると、リビングには深月が座っていた。

 学校の制服のまま、本を読んでいる。髪を束ねた横顔は隙がなく、けれどどこか柔らかい。


「おかえり」


 視線を上げずに、彼女はそう言った。

 それがわたしたちの日常だった。


「ただいま」

 わたしは鞄を置きながら隣に座った。

 この距離を、深月は決して嫌がらない。


「今日、遅かったね」


「委員会。ちょっとだけ書類が残ってて」


「そう。……無理してないならいいけれど」


 深月はそう言って、本を閉じた。わたしの顔を見る。

 そのまなざしの静かさに、昔から微かに体温が上がる。


「陽菜、疲れてる?」


「ううん。いつも通り」


「なら、いい」


 深月の手が、そっとわたしの髪に触れた。

 指先がほんの少し動き、撫でるようにして離れる。その仕草にいつも胸がざわつく。


 そんな些細なことで爆ぜそうになる欲情は、家族に向けて良いものではない。





 深月は、生まれたときからわたしを守るように接してくれた。

 優しいけれど、特別甘やかすわけではない。

 必要最低限の行動がいつも正確で、それがむしろ安心感をくれた。


 ただし、彼女が唯一揺らぐ瞬間がある。


「陽菜、またお菓子食べてたでしょう」


「え、なんで分かるの」


「口元に欠片がついてる」

 灯はため息をついて、わたしの頬に指を伸ばして拭った。


 くすぐったい。

 でも、それよりも――近い。


「食べすぎると夕飯食べられなくなるでしょ」


「たまにならいいじゃん」


「駄目」


 そっけない声のくせに、わたしの頬を触る手つきは驚くほどやさしい。

 彼女はこういう矛盾をよく抱えていて、わたしはそれが好きだった。


 深月がわたしを見る時に時々見せる獰猛な目は、他の誰にも向けないものだ。

 それに気づいたのは、最近のことだった。





 ――深月はわたしを特別扱いしている。


 家族だから、で説明できない程度に。


 たとえば、わたしが部屋に入ると、深月はわずかに表情を緩める。

 わたしが誰かに話しかけられていると、深月はほんの少しだけ眉を寄せる。

 わたしが誰かを褒めると、彼女は静かに目をそらす。


 そんな微かな反応ひとつひとつを、わたしは拾えるようになってきた。


「ねえ、深月」


「なに」


「わたしのこと、過保護じゃない?」


「そう?」


「そうだよ。友達にも言われた」


「不愉快ね」


「なんで?」


「部外者は私たちに構わなくて良いのに」


 即答だった。

 わたしは言葉を失った。


「いけない?」


「……いけなくはないけど」

 むしろ嬉しいと感じてしまう自分がいて、もっと困る。


「あなたは、私だけ見ていれば良いの」


 深月はそう言って、わたしの髪をまた撫でた。

 その指先に、わたしは逆らえない。





 ある日、深月がわたしの部屋に入ってきた。ノックはしない。

 幼い頃からずっとそうだし、わたしも気にしていない。


「深月、ちょっといい?」


「どうしたの?」


「これ」

 深月は紙袋を差し出した。

 開けると、新しいヘアピンが入っていた。


「かわいい……」


「陽菜に似合うと思って。買った」


「ありがとう。でも、どうして急に?」


「つけてみてちょうだい」


 深月はそう言って、椅子に座るよう指示した。

 わたしが腰を下ろすと、彼女は自然な動作でわたしの髪を耳の後ろに流し、ヘアピンを留めた。


 彼女の指が触れた部分が、熱い。


「うん、かわいい」

 深月は満足そうに言った。

 わたしの頬を指でなぞりながら。


「……あんまりかわいいって言わないで」


「どうして?」


「勘違いするから」


「構わないわ」


 その言葉の意味を、深月は理解して言っているのだろうか。

 わたしは胸の奥で答えが膨らんでいくのを感じていた。





 その夜、寝る前に深月がわたしの部屋に来た。


「陽菜、まだ起きてる?」


「起きてるよ」


 深月は迷いなくわたしのベッドの横に座り、しばらく何も言わなかった。

 静かな呼吸が聞こえる距離で、ただわたしを見ていた。


「……どうしたの?」

 先に耐えられなくなったのはわたしのほうだった。


「あなたの顔を見たかっただけ」


「それだけ?」


「それだけ。……じゃない」


 深月は視線をそらした。

 珍しい。彼女が言葉に詰まることなんてほとんどない。


「陽菜」


「なに?」


「あなたが好きよ。……あなたが欲しい」


 その瞬間、時間が止まったように感じた。

 深月の頬はわずかに赤く、けれどその声は静かで、真剣だった。


「陽菜は?」


「……わたしも好きだよ」

 心臓が痛いほど高鳴っていた。

 でも、迷いなどなかった。


「姉妹だからとか、関係ないよ」


「そう」

 深月は小さく息を吐き、わたしの手を取った。

 その手は僅かに震えていた。


「じゃあ、陽菜はこれからもわたしだけ見てくれる?」


「見るよ」

 わたしは迷わず答えた。


「わたしも、陽菜だけ。ずっと」


 深月はゆっくりとわたしの額に唇を寄せ、軽く触れさせた。

 それは触れたか触れないか分からないほどやさしいキスだった。


 血が燃える。心臓が沸きそうだった。

 けれど、怖くはない。


 深月となら、どんな距離でも受け入れられる。





 次の日から、深月は一層距離を縮めてきた。


 学校ではわざと避けるようにしているくせに、家に帰るとずっとわたしの側にいる。

 夕飯を作るときも、勉強するときも、ソファに座るときも。


「陽菜、手」


「また?」


「触りたいの」


 彼女はそう言って、わたしの手をそっと握る。

 それは恋人同士のようで、わたしは毎回胸が熱くなる。


「陽菜は、私以外の人と仲良くしないでね」


「しないよ」


「本当に?」


「あなたが好きだから」


 その言葉を聞いて、深月はわたしの肩にもたれかかった。

 体重を預けるような甘え方は、姉らしくなくて、でもとてもかわいい。


「陽菜も、もっと甘えていい」


「甘えてるよ、充分」


「足りないわ。もっと欲しい」


 深月はわたしの首に軽く腕を回し、顔を寄せてきた。

 頬が触れ合う距離。

 心臓がまた早くなる。


「陽菜の全部、私にちょうだい」


「……うん」


 その答えは、本当の気持ちだった。





 夜、ベッドに入ると、深月がそっと隣に潜り込んでくる。


「ねえ、陽菜。隣で寝ていい?」


「当たり前でしょ。いつものことだよ」


「そうだけど……今日は違う」


 深月は布団の中で、わたしの手を握った。


「ひな……。あなたが可愛くて狂いそうよ」


 深月の甘い声に全身の肌が泡立つ。

 胸の奥が温かく、切なく、でも幸せだった。


「……わたしも、深月が好きで狂いそう」


「なら、いい」


 深月はわたしの頬にキスを落とし、静かな声で言った。


「陽菜は、私の世界だから」


「わたしもそう。深月が世界の中心だよ」


 そのまま深月はわたしに抱きつき、眠るように目を閉じた。

 彼女の体温が、わたしの胸の奥まで浸透する。

 縋りつかれ、撫でられ、捻られ、擦られ、吐息が交叉し、強い痺れからの弛緩。その夜は初めての夢を見た。


 



 この家の空気は、今日も深月によって支配されていく。

 呼吸の音が重なり、二人の世界だけが静かに続いていく。


 枠を越えても変わらない。

 深月となら、わたしは今日も生きていられる気がした。

読了ありがとうございました!

感想・レビューをいただけると励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ