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出会いの入学式 ③


 色々とありすぎて脳内処理が追いつかず、頭を抱えて俯いて何も言えないうちに、入学初日の予定は全て終了。

 色々と疲れたからすぐにでも帰って寝たいけど、虎沢さんの提案で互いのことを知るために話をしようと持ち掛けられ、近くにあるファミレスへ寄ることになった。

 できれば他にも誰かいてほしかったのに、クラスメイトの誰もが変な気を利かせて二人でごゆっくり、なんて言うものだから二人で行くことに。

 通学に使う自転車を押していくため一旦腕は解いてくれたものの、道路側の自転車と逆側に回って腕を抱き込むように密着されたため、学校の敷地内では別のクラスの生徒達や保護者達から注目され、移動中はすれ違う人々から時折視線を感じる。

 だけど、当てられている柔らかさや虎沢さんから漂う甘い香りに耐えているから、そんなことを気にしている余裕が無い。

 どうにか平静を保つため、虎沢さんは両親と合流しなくていいのかと尋ねたら、うちと同じで両親は仕事の都合で来ていないようで、この状況を何とかしてもらえず残念なような、逆に見られずに済んで助かったような気分になった。


「へー。ゆーき君のパパとママも、仕事で来ていないんだねー、じゃー、しばらく一緒にいても怒られないねー」


 ああそうだな、その通りだよ。

 要するにしばらくの間、俺といたいってことだな。

 でも嫌じゃないから、そうだなと同意の返事をする。

 だって放課後に女子と二人で過ごすことになったんだ、他の人はどう思うか分からないけど俺は嬉しい。

 そうこうしているうちに、目的のファミレスに到着。

 自転車を停めた途端にしっかりと密着する虎沢さんと共に入店。

 早い時間のため客はまばらで、対応してくれた店員も女性のため虎沢さんが不機嫌にならず、二人用の席へ通された。

 何も頼まないのは悪いし昼食には少し早いからドリンクバーを注文し、適当な飲み物を取って向かい合わせに座る。


「えー、では改めましてー。虎沢詩織だよー。詩織って呼んでねー」


 改めての自己紹介からの、名前呼びを求められた。


「えっと、虎沢さん」

「詩織だよー」

「あの」

「詩織だよー」

「……」

「詩織だよー」

「詩織……さん」

「詩織だよー」


 さん付けすら拒否された⁉

 仕方ない、諦めよう。今日会ったばかりの相手だけど。仲の良い同士が名前で呼び合うつもりで呼ぼう。


「……詩織」

「よろしいー」


 大人しくて隙だらけな笑みを浮かべておいて、なんて圧が強いんだ。少し怖い。


「にゅへへへへへへー。仲を深めるなら名前呼びがいいと思ったけど、ゆーき君に呼ばれると特別な気分になれたみたいで嬉しいなー」


 そういうことを嬉しそうにサラッと言われると、恋人いた歴が空欄のチョロい俺はコロッとなびきそうだよ。

 いや、虎沢――じゃなくて詩織が求める関係を考えれば、むしろそれは好都合か。

 うん? というと今の発言は狙った?

 でも、だらしのない蕩けた笑みを浮かべているのを見ると、狙っておらず天然か素での発言とも思えてきた。

 分からない、詩織の真意が分からない。

 かといって尋ねたところで、教えてくれないだろうな。

 なんかこう、ニコニコ笑うだけで答えてくれないイメージがある。


「じゃあ、ゆーき君。早速聞きたいんだけど――」


 持ってきたジュースを少し飲んだ詩織の主導で会話が始まる。

 趣味は何か、休みの日は何をしているか、自転車で通っているなら家はそう遠くないのか、なんていうありきたりな内容ばかりだけど、互いを知らない身同士だから割と話が弾む。

 詩織のふわっとして緩い雰囲気もあってか、密着されて緊張していなければ割と話がしやすく、放課後に友人達と喋っている感じで会話を交わせている。


「でねー。こういう嗅覚をしている私にとって、バスとか電車で学校に通うのは地獄なんだよー。だから、歩きか自転車で行ける範囲の高校しか受験していなかったんだ」

「昔に比べれば働く女性が増えたとはいえ、やっぱり辛いか」

「そうなんだよー。それにこれのせいで、やらしー視線とかも向けられるしねー」


 少し不機嫌な表情になった詩織が、自分の胸をポンポンと叩く。

 だろうな。今は不快にさせないよう、できるだけ視線を外しているとはいえ、俺だって体育館で初めて見た時はついそれを見ちゃったし。


「あー、ゆーき君はいくらでも見ていいよー。ここへ話しかけるくらいジロジロ見ても、ゆーき君なら許してあげるー」


 またポンポン叩いてそう言うけれど、さすがにそれはやらないって。


「そういうのを気軽に言うんじゃない」

「大丈夫だよー。ゆーき君以外に言うつもりは無いからー」


 だからそう言われると、チョロい俺はコロッとなびきそうになるんだって。


「というか詩織、本気で匂いだけで俺と付き合おうとしたのか?」

「にゅへへへへへへー。あれは本当にごめんねー。体育館で言った通り、良い匂いがする男の子と出会えた嬉しさで先走っちゃったー。ママからも、そういう人と出会ってもいきなり距離を詰めようとせず、ゆっくり関係を深めなさいっていわれていたんだけどねー」


 これに関して詩織の母親が正しい。

 ということは、見た目のせいで落ち着いているように見えるが、あの時の詩織はかなりの暴走状態だったということか?

 衆人環視の中で結婚前提の告白なんてやったんだ。暴走状態でも不思議じゃないか。


「あと、良い匂いがするからって良い人とは限らないから、十分に注意しなさいとも言われたよー」


 これまた詩織の母親が正しい。

 常識人な俺だったから良かったものを、もしもそうでなかったら詩織はどうなっていたことやら。


「良い奴ぶっている悪い奴もいるんだから。気をつけろよ」

「にゅへへへへへへー。りょーかいー」


 本当に分かっているのかと思う返事は、不安になるからやめてくれ。


「あー、でもゆーき君が良い人なのは今日だけでも、よく分かったよー」

「そうか?」

「うんー。だって悪い人だったら、今みたいな注意しないでしょー? 自分は悪い人かもしれないから、警戒するように言っているようなものだしねー」


 自分に対しても注意するよう促すことで、相手に安心感を与える手段、とも考えられるんだけどな。

 まあ、こういうことは言いだしたらキリが無いから、言わなくていいか。


「それにここへ来る途中も、自転車を道路側にして私を守ってくれていたでしょー。さりげなくああいうのをやるのは、ポイント高いよー」


 ごめん、それ偶然。意識的にやったことじゃない。


「なによりこれを見てもやらしー視線を向けてこないし、目に入ってもすぐ視線を外してくれるし、押し付けたり腕を挟んだりしても恥ずかしそうにするだけで、やらしー表情をしていなかったからねー」


 ニコニコ笑顔で胸をポンポン叩く詩織から、心当たりしかないことを告げられた。

 匂いを嗅いでだらしのない蕩けた表情をしていたのに、見るとこはしっかり見られていたのか。隙だらけかと思っていたが、意外としっかりしているんだな。

 いや、そういう視線を向けられていたからこそ、その手のことに敏感なのか?


「初対面の相手に、不快な思いはさせたくないからな」

「私が言わずとも表情に出さずとも、そういう気遣いをしてくれるから、ゆーき君は良い人なんだよー」


 なんか今までのことが、俺の善悪を見抜くためにやってきたことみたいに思えてきた。

 この隙だらけで油断している雰囲気で、実は意外と(したた)かなのか?

 ドリンクバーで取って来たウーロン茶を飲みながら、ジッと詩織を見る。


「そんなにジッと見られると、照れちゃうよー」


 朱に染まった頬に両手を添えて照れる姿からは、(したた)かさのようなものは感じない。

 うーん、分からない。

 この辺についても、後々知っていくことにしよう。


「あっ、そうだー。ねえ、ゆーき君。これからとても大事なことを聞くから、真面目にしっかり答えてねー」


 とても大事なことだって?

 表情から少しだけ真面目さが見られるとはいえ、ふわっとして緩そうな雰囲気の方が強いから緊迫感を感じなくて、大事な話をするようには感じないけど、本人が大事だという以上は大事なんだろう。一体、何を聞かれるんだ?


「ゆーき君は、どういう女の子が好みなのー?」


 ……うん、詩織にとっては大事なことだな。

 拍子抜けだけど、怒ったり呆れたりするのは筋違いだから口には出さず、緊張が無駄になった程度で良かったと思っておこう。


「どうかしたのー?」

「いや、なんでもない。それで、俺の好みだったな」

「うんー。無理じゃないことなら、できるだけ頑張って叶えてみせるよー」

「だったら詩織らしくしていてくれれば、それでいいよ」

「ほえー?」


 返事に対して、拍子抜けという感じの反応が返ってきた。

 表情もきょとんとしていて、どういうことかと言いたげに首を傾げている。


「俺は外見よりも内面を重視したい派だから、見た目に関して言うことは無い。で、その内面については、気になる相手や友人の前だからって猫を被らず着飾ることなく、素のままの自分を貫けている人が好みだな」

「なんでー?」

「気に入られたいとか嫌われたくないからと、猫を被ったり着飾ったりするのが悪いとは言わない。でもそれは、その人らしさを偽って自ら否定しているんじゃないかって、俺は思うんだよ。だから、付け焼刃でいつメッキが剥がれるかなんて気にすることなく、素のままの自分を貫ける人を、好ましく思えるんだ。たとえそれが変わった趣味や嗜好や性格だとしてもな。ああただ、悪い意味で自分を貫く奴は勘弁だな」


 要するに自分を偽らず、素のままの自分を堂々と晒してくれていれば、それでいい。

 本当に好きなことなら好きと言い、変わっている、変だ、なんて言われてもそれが自分らしさなら貫き続けられる人が俺の好みだな。

 まあ、それが人間的に好ましいで止まるか、恋愛に繋がるかどうかは別だけど。


「そっかー。良かったー。髪型とかならともかく、背丈とか顔つきとかの好みを言われたらどうしようかと思ったよー。特に貧乳好きなんて言われた日には、絶望的だしねー」


 ほらっ、と両手で胸を支えて大きさを示す詩織に、サッと目を逸らす。

 頼むからそういうことを突発的にやらないでくれ。

 確かにそのサイズで貧乳好きなんて言われたら、絶望的としか言いようがないな。


「にゅへへへへへへー。そうやってすぐ視線を外してくれるから、ゆーき君は良い人だって分かって信頼できるんだよー」


 それはどうも。


「ちなみに私の好みは、特に考えたことがないよー。良い匂いがする人が、優しくて良い人だったらいいなー、なんて思っていた程度だねー」


 見た目や性格以前に、目に適うあらぬ鼻に適うことが前提だから、好みどうこうはあまり考えたことがないのかな。


「その割には先走って、結婚前提とか言ったじゃないか」

「あれは失態だったよー。もしも、ゆーき君みたいな良い人じゃなかったらと思うと、少しゾッとするよー。でも頭が蕩けちゃいそうなほど良い匂いだったから、仕方ないよねー」


 まったく仕方なくない。一歩間違えれば、大変な目に遭っていたかもしれないんだぞ。

 そもそも、頭が蕩けそうになるほど良い匂いってどんな匂いだよ。


「一目惚れならぬ、一嗅ぎ惚れってところか?」

「おー、それピッタリー。じゃー、そーいうことでー」


 軽い気持ちで言ってみたことが採用されたよ。

 いいのか? それで本当にいいのか?

 疑問に思っても当の本人はニコニコするだけで、気にする様子が無い。

 ならいいかと割り切ってさらに話を続け、お客が増えてきそうな昼の少し前ぐらいで退店し、別れ際に連絡先を交換した。


「じゃーねー、ゆーき君。明日も良い匂いを嗅がせてもらうから、よろしくねー」


 明日も今日みたいに密着されて、匂いを嗅がれるのか。

 あの柔らかさと甘い香りを感じられるのなら、男子から向けられるであろう嫉妬や怨嗟の視線と、女子から向けられるであろう好奇の視線は甘んじて受けるとして、変な噂が流れないことだけを祈ろう。


「ほどほどに頼む……」

「たぶん無理だねー。ゆーき君の匂いを半日以上嗅げずに過ごすから、今日以上に匂いを嗅がないと落ち着かないって断言できるよー」

「断言してもらいたくなかった!」


 今日以上って、どんな嗅がれ方されるの、俺。


「というわけで、覚悟していてねー。虎の私は兎のゆーき君を狩るため、全力を尽くすからねー。がうー」


 教室でやったのと同じく、苗字に掛けた言い回しをして、両手を小さく上げて爪を立てるような形にした、獣ポーズと鳴き真似をした詩織が上機嫌に帰路へ着いた後ろ姿へ、心の中で叫ぶ。

 だからそれ、チョロい俺がコロッとなびきそうになるくらい可愛いんだって!


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