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出会いの入学式 ②


 再度の告白に対して、すぐに返事が出ない。

 異性の匂いが苦手な人という先入観、初対面、結婚を前提、告白された理由。

 それらのせいで生じた戸惑いに頭が働かずにいると、期待に満ちていた虎沢さんの表情に陰りが出る。


「ひょっとして、もう彼女とかいるのー?」


 ズイッと身を乗り出して問いかけられ、思わず軽くのけ反る。


「い、いや、彼女はいない。というか、いたことが無い」


 自分で言っていて悲しいけど事実だ。


「じゃあ問題ないねー。結婚を前提に付き合ってくださいー」


 まさかの三度目⁉

 だけどさすがに少し落ち着いてきて、考えをまとめる余裕が出来た。

 先入観、初対面、結婚前提、告白の理由、それらをポイッと遠くへ放り捨てて、単純に今ある情報でイエスかノーかを考える。

 タレ気味の目、ふわふわで緩そうな雰囲気、前のめりになったことでさらに目立つ服を撃つ側から押し上げる胸、ムチムチしていそうな脚、見た目通りのゆったりとして間延びした口調と喋り方。

 どこを取ってもノーと言える要素は無いけど、初対面で互いを知らない点がイエスと言うことに躊躇いを感じる。

 内面を何も知らないまま外見だけで判断するのは、どうしても気が引ける。


「ほら詩織、突拍子もないことを言っているから、彼が困っているじゃない」

「あー。やっぱりー?」

「やっぱりなんて思うのなら、いきなり結婚前提の交際申し込みは止めなさいよ」

「いやー、良い匂いがする男の子と会えた嬉しさでついー」


 友人達に諌められた虎沢さんは、少し恥ずかしそうに後頭部を掻く。

 それだけ俺との出会いを嬉しく思ってくれたのは、素直に嬉しい。

 さて、ここらでしっかり俺の意見も言っておくか。


「あのさ、匂い一つで決めていいのか?」

「大丈夫だってー。さっきも言ったけど、ママ達が同じ理由でパパ達を選んで結婚して現在進行形で幸せそうだからねー」


 そうだった、親類による実績があるんだった。

 だからといって、じゃあよろしく、なんて気軽に返事をしていいものか。

 見知らぬ相手からいきなり告白されたせいか、緩そうな雰囲気の虎沢さん相手でもどうにも警戒心が拭えないし、そもそも俺は外見よりも内面を重視したい派だから、内面も知らずいきなり付き合うのには抵抗がある。

 ここもしっかりと自分の意見を言うべきだな。


「えっと……虎沢さんみたいな可愛い子から告白されたのは嬉しいけど、互いに初対面で何も知らないから、まずは友人として互いを知り合うための期間を作らないか?」


 付き合いながら互いを知り合うこともできるけど、彼女がいたことが無い俺には無理。

 ヘタレと言いたければ言え。

 だって彼女がいたことが無いから、どうしても及び腰になっちゃうんだって。


「にゅへへへへへへー。可愛いだなんて、照れちゃうよー」


 独特な笑い方をした虎沢さんが嬉しそうにくねくねすると、存在感のある胸がポヨンポヨンと揺れる。

 思わず目が釘付けになりそうな光景とはいえ、凝視するのは失礼だからサッと顔を逸らしてみないようにする。

 ガン見している男子連中よ、付近の女子達が冷たい視線で睨んでいるぞ。

 それと虎沢さん、君が可愛いのは否定しないが返事はいかに?


「ちょっと詩織、ちゃんと返事しなさいよ」

「あー、そうだねー。いーよー。私も嬉しくて先走っちゃったし、お友達から始めよー」


 良かった、納得してもらえたか。


「でー、お互いを知っていって恋人になって、将来は結婚しようねー」


 将来的なところまで確約済みの友人関係⁉

 んー、でも虎沢さんみたいな可愛い子と将来一緒になれるなら、それもいいかな。


「ああ、よろし――」

「テメェこら悠希、この野郎! 羨ましいぞ、ちくしょう!」


 いてっ。やめろ、大河。喋っている最中に背中をバンバン叩くな。


「ゆーき君、その人は友達なのー?」

「こいつは――」

「俺はこいつの大親友、山村大河。よろしく、虎沢さん!」


 また俺が喋っているのを遮った大河が、俺と肩を組んで自己紹介。

 これを機にお近づきに、とでも考えているのか?

 だけど虎沢さんの方はさっきまでの笑みが消え、まるで乗り物酔いでもしているかのような表情を浮かべると、数歩下がって距離を取った。


「うん、よろしく山村君」


 ゆったりすることも間延びすることない口調で、会話を継続する意思が無いかのようにサッと挨拶を済ませた。

 どうしたんだ。しかも俺と違って、苗字で呼んでいるし。


「え、えっと? なんか塩対応?」

「ごめん、あなたの匂いは苦手。無理ではないけど苦手。だからこの対応が精一杯」


 戸惑い気味の大河の問いかけに、顔を逸らした虎沢さんが表情と口調を変えずに理由を告げた。

 そうか、これが虎沢さんの異性との会話における通常運転なんだな。


「二度も苦手って言われた⁉ 大事なことだから⁉」

「安心しろ。程度の違いはあれが、虎沢さんに声を掛けた男なら誰もが通る道だ」


 軽くショックを受ける大河に、理解を示す表情で肩に手をやる大島。

 おそらくはお前も、同じ道を通ったんだな。


「いや、訂正しよう。今日初めて、その道を通らなかった例外がいたんだった」


 こっちを見た大島が訂正を入れた。

 そうだな、俺は同じ道を通らなかったな。


「その通りー。だからゆーき君は、好意を込めて名前で呼ぶのー」


 俺がいきなり名前で呼ばれたのは、そういう判断基準があったのか。

 とはいえ、やっぱりいきなり名前で呼ばれるのはむず痒い。


「あっ、そろそろ入学式の時間。早く席着かないとヤバいよ」


 おっと、色々と起きている間にそんな時間になっていたのか。


「そうね……って、目星を付けていた席が座られているわ」


 虎沢さんの友人二人が急いで席へ向かおうとするが、既に誰かが座っているようだ。


「どうしよう。詩織、入学式の間だけ匂い我慢できる?」

「へーきだよ、良い方法があるからねー」


 友人からの問いかけに対して虎沢さんがそう言い切った以上は、きっと自信がある方法に違いない。

 どんな方法なのかと少し気になってから、およそ数分後。

 入学式が始まった時点で、さっきまで大河が座っていた席には俺が座って、その隣の俺が座っていた席には虎沢さんが座り、上機嫌に俺へ寄りかかっている。

 虎沢さんが思いついた良い方法、それは大河に別の席へ移ってもらい、俺が一つ横へ詰めて隣に虎沢さんが座ること。

 提案者の虎沢さん曰く、俺の匂いが傍にあれば周りが男子だけでも大丈夫、とのことだ。

 実際、何の問題も無いようだし、ちょうど空いていたからという理由で前の席に座った虎沢さんの友人達と、その隣に座る大島がホッとした表情を見せた。

 ちなみに虎沢さんとその友人達によって席を追い出された大河は、泣く泣く空いていた最前列に座っている。


「なあ、本当に大丈夫なのか?」

「だいじょーぶー。ゆーき君から漂う良い匂いのお陰で、全然気分悪くならないよー」


 式の進行の邪魔にならないよう小声で尋ねると、虎沢さんも小声で返事をした。

 強がっている様子は見られず、鼻歌でも奏でそうなくらい機嫌が良さそうだ。

 たださ、どうしても寄りかからないといけないのか?

 腕を組まれてはいないが、ピタリとくっ付かれてフワッとした甘い香りがするから、心臓が高鳴って落ちかない。

 おまけに周囲から妙な視線を感じるし。


「ゆーき君と同じクラスで、席も隣だったらいいなー」


 それはさすがに無理じゃないかな。

 同じクラスはまだあるとしても、最初の席順は出席番号順がお約束というもの。

 兎川と虎沢では、よほど苗字に偏りがあったとしても、席が隣になるとは考えにくい。

 そう思っていたのに……。


「やったね、ゆーき君。まさか本当に隣同士になれるなんてね」


 上機嫌な虎沢さんは同じ教室で、俺の隣の席に座っていた。

 経緯を説明すると、虎沢さんに寄りかかられていたのと、周囲の視線で落ち着かなかった入学式の終了後、クラス分けを確認すると俺と大河と大島だけでなく、虎沢さんとその友人達も同じB組だった。

 クラスは四つだから、これくらいならまだあるだろうと思いながら教室へ移動すると、黒板に豪快な文字でデカデカと、「教卓に置いたクジで引いた席に座れ BY担任」、と書かれていた。

 それに従って教卓に置かれたティッシュボックスで作ったくじを引き、見事に虎沢さんが俺の隣を引いたわけだ。

 これは本当に運命なのか、偶然が重なっただけなのか、神の悪戯なのか、虎沢さんに対して何かしらの補正効果が働いたのか。真実は誰にも分からない。


「隣にゆーき君がいれば、匂いを気にせず学校生活を送れるよー。というわけで、早速ひと嗅ぎするねー」


 そう言うやいなや、椅子ごと俺の方へ寄った虎沢さんは俺の右腕に両腕を絡ませて密着すると、顔を寄せて鼻をスンスンと鳴らしながら匂いを嗅ぎだした。

 待って、当たっているから、存在感抜群の柔らかい胸が押し当てられているどころか、腕が間に挟まって虎沢さんの両腕で左右から圧迫されているから!

 寄せられた頭からは甘い香りが漂ってくるし、間近で見る虎沢さんの気持ちよさそうな笑みが可愛くて、理性をしっかり保っていないとコロッと落とされてしまいそうだ。


「なんだ、あいつ。羨まけしからん」

「あの虎沢さんが嫌がらないどころか、自分から匂い嗅ぎたがる男子がいるなんて……」

「入学早々、爆発してほしい奴がいたぜ」

「これは詩織も本気ね。【詩織守護女子団】の皆に、情報共有しないと」


 周囲からはこの状況に対する様々な視線が飛んでくるし、俺はどうすればいいだろう。

 強引に振りほどくなんて乱暴なことはできない、説得するにしても冷静さを欠いている今の頭ではどう説得すべきか分からない、助けを呼ぶにしても誰を頼ればいいのやら。

 教卓の真ん前の席にいる大河は、羨ましそうな目を向けるばかり。

 廊下側後方の隅の席にいる大島は、頑張れと無言でサムズアップするだけ。

 だったらもう虎沢さんの友人達にと思ったけど、なんか別の女子を加えて真剣な表情で話し合っている。

 なるほど、この状況が孤立無援というやつか。


「にゅへへへへへへー。いくらでも嗅いでいられるこの匂い、たまりませんなー」


 独特な笑い方をする虎沢さんへ何気なく視線を向けると、口の端から涎が垂れそうなほど表情金を緩ませ、だらしのない蕩けた笑みを浮かべていた。

 おおう、これはこれで可愛い。

 個人的にはこうなる前の、ふわっとして緩い雰囲気での笑みが好みだけど、これもこれでありだ。


「あー、頭が蕩けてダメ人間になっちゃいそうだよー。クンカクンカ、スーハースーハー」


 なんか匂いを嗅ぐ勢いが増した。

 というか、匂いを嗅ぐ擬音を口にしている人は初めてだよ。

 それと、表情はとっくに蕩けて、ダメ人間になりかけているぞ。


「あっ、ゆーき君。私ばっかり嗅いでいるのは悪いから、私の匂い嗅ぐ?」


 表情をパッとふわっとした緩い笑みに戻して、なんという提案をしてくるんだ。

 これはどう対応するべきか。

 周りは俺がどんな返事をするのか注目しているし、返答次第ではクラス内の第一印象が変なことになりかねない。

 いや既に変なことになっているかもしれないけど、これ以上の悪化は避けたい。

 あと、やっぱり虎沢さんはそういった笑みの方が魅力的で、彼女がいたことがないチョロい俺の好感度が上昇中だよ。


「おーす、もう全員揃ってるか? 立っている奴は席に――なんだこの雰囲気、あとそこのバカップルは入学初日から見せてつけてくれるじゃねぇか」


 場の空気を読まないかのように登場したのは、やや声が大きくて荒っぽい口調で喋る、ヘアゴムで長い髪をまとめた飾り気の無い女性。

 担任と思しき人物の登場にバタバタと着席していくけど、虎沢さんは離れてくれない。

 バカップルって部分に反論したくとも、この状態じゃ否定できないから無言を貫く。


「せんせー、私達まだカップルじゃありませんー」


 反論するの、虎沢さん⁉


「マジで? じゃあ、昔から一緒にいる幼馴染とか?」

「違いますー。今日会ったばかりですー」

「なんだ、そりゃ。だとしたら、距離感バグってるな」


 俺もそう思う。どんな理由が有ろうとも、虎沢さんの距離の詰め方はバグっている。


「いやー、それほどでもー」


 褒めてない!


「まあいいか、騒がなければそのままでいいから、しっかり話は聞けよ」

「はーい」


 いやいいの⁉ 教師としてこの状況を注意しなくていいの⁉

 この担任は大丈夫なのかと思う空気が教室内に漂う中、鬼頭(きとう)一華(いちか)と名乗った担任に寄り、これからの流れが説明される。

 腕を挟み込み、少し体へ押し当てられている柔らかさ、降れている箇所から伝わってくる暖かな体温、微かに漂う甘い香り、匂いを嗅ぎ続けている微かな鼻呼吸の音、後方や横の席から感じる視線。

 これらに耐え、どうにか説明を理解して今日は終了。

 本格的な授業は明日からだと言い残し、鬼頭先生が教室を出ようとしたところで立ち止まり、こっちを向いた。


「最後に一言。そこのずっとくっ付きっぱなしだった、距離感バグったバカップルもどき」


 酷い言われようだ。でも否定できない。


「不順異性交遊はバレないようにやれよ」


 それが教師の言う事か! 良い笑顔でサムズアップするな!


「やったねー。バレなければ、虎の私が兎のゆーき君を食べていいんだってー。がうー」


 苗字に掛けたんだろうけど、さほど上手くないし変なこと言わない!

 あと、両手を小さく上げて爪を立てるような形にした、獣ポーズと鳴き真似が可愛い。

 天然でやっているのが狙ってやっているのかは、この際だから気にしないでおこう。


「ああでも避妊はしろよ。バレないように不順異性交遊やっていても、腹が目立ってくれば秒でバレるからな」


 だから、それが教師の言うことか! しかも笑顔で!


「だってさー。気をつけようね、ゆーき君」


 もう俺、何からツッコミを入れればいいか分からないよ!


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