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出会いの入学式 ①


 四月の頭、合格した清鳴(せいめい)高校の入学式に出席するため自転車を漕ぐ。

 両親は仕事の都合がつかず出席しないそうだけど、別に構わない。

 仲が悪いからそう思っているんじゃなくて、なかなか休みが取れない上に、土日祝日どころか年末年始やお盆も関係無い仕事なのを分かっているからだ。

 そんな両親のお陰で高校にも通えるんだから、文句を言うのは筋違いというもの。

 だから中学の入学式にも出席できなかったのにと悔やむ両親を昨夜に説得し、今日もいつも通りに出勤してもらい、一人で通学路となる道を行く。

 うちから清鳴高校の距離はそう遠くなく、自転車を漕ぐこと三十分ほどで到着。

 自転車は案内をしている教職員に教わった駐輪場に置き、入学式の会場となる体育館へ入って受付を済ませ、自由に座っていいと言われたから空いている適当な席を探す。


「おっ、悠希! こっち来いよ!」


 呼ばれた方を向くと、小中と同じ学校でクラスまで同じだった腐れ縁、山村(やまむら)大河(たいが)が立ち上がって手を振っていた。

 通路から二番目の列にいるようで、隣の通路側の席が空いているから、招きに応じてそこへ向かい通路側の席へ座る。


「もう来ていたのか、大河」

「まあな。今日は親父の車で来たけど、明日からはチャリ通だ」


 長い付き合いだからやり取りも砕けたもので、そのまま雑談を交わしていると、不意に大河が「おっ」と声を漏らす。


「おい見ろよ、悠希。あの子ら可愛いぞ。特に真ん中の子」


 指摘されて前の方を見ると、空いている席を探しているのか、周囲を見回しながら歩いてくる女子三人組がいた。

 一緒にいる二人も可愛いけど、大河の言う真ん中の子はそれ以上に可愛い。

 腰辺りまで伸びた薄茶色の髪、ややタレ気味の目、ふわっとして緩そうな雰囲気を纏うその子は、とびきり美人というわけじゃないけど、十分に美少女と言える容姿をしている。

 身長は百五十前半くらいなのに、服を内側から大きく盛り上げている立派な胸と、むっちりした脚も目を引く要素だ。

 とはいえ、そういう所をジロジロ見るのは失礼だから、すぐに視線をその子の顔へ移す。


「確かに」

「だろう?」

「ふっ、お前達。あの子はやめておけ」


 不意に前の方から声が聞こえ、大河の斜め前の席に座るスポーツ刈りの男子がこちらを向き、得意気な表情を見せる。


「なんだ? お前、あの子を知っているのか?」

「まあな。あの子は虎沢詩織といって、同じ中学だったんだ」

「なるほど。それで? なんでやめておけって言うんだ?」


 今まで彼女がいたことがないから、高校在学中になんとしても彼女を作る。

 なんて言うつもりは無いけど、俺だって健全な男子高校生だから、可愛い子と交流を持ちたいくらいの気持ちはある。

 それを止めるんだから、よほどの理由が有るんだろう。


「ひょっとして、あの子にはもう彼氏がいるとか?」

「いいや、違う。実は虎沢さんはな――」


 そいつの話によると、虎沢さんは少々特殊な嗅覚をしているらしい。

 体臭ではなく個々が放つ独特の匂い、例えるならフェロモンのようなものを嗅ぎ分けられ、どれだけ丁寧に体や頭を洗って歯を磨き、良い消臭剤や香水を使っても、個々が放つ匂いの違いを嗅ぎ分けられるとのことだ。


「フェロモンって、蝶とかが嗅ぎ分けるやつか?」

「ああ、その認識で間違っていない。だけどそういうものとはまた違ったものらしいから、分かりやすい例えと思ってくれ」


 俺の質問にそう返したそいつから話の続きを聞くと、そんな嗅覚を持つ虎沢さんにとって、異性の匂いは総じて受け付けられないものじゃないそうだ。

 少し不快になるぐらいならマシな方で、中には吐き気をもよおすほど耐え難い匂いの人もいたとか。

 しかもその人というのが同じ中学の男子生徒で、何の根拠も無しに自分の芳香なら受け入れられると豪語して虎沢さんへ告白し、青白い顔で小刻みに震えながらあなたの匂いは無理と言われても迫った結果、我慢が限界に達して嘔吐。

 幸いにもその場は野外で、直前で突き飛ばしたため相手の男子には吐瀉物が掛からず、念のために近くで待機していた女子の友人達がすぐさま掛けつけ、保健室へ連れて行ったことで事なきを得た。

 ちなみに虎沢さんをそんな目に遭わせた男子は、駆けつけた女子の友人達によって学校中に一連の出来事が広まったことで、女子からは軽蔑の眼差しを向けられて距離を取られ、男子からは虎沢さんを吐くほど苦しめた男として睨まれるようになり、肩身の狭い日々送ることになったそうだ。

 確かに拒否られても迫ったのは問題かもしれないけど、そんなことになるなんて……。


「わー、なんかすごいな……」


 大抵のことは笑って受け入れる大河が、苦笑している。

 匂いとかに鋭敏な人が周囲の香りに苦しむって話は聞いたことがあるけど、虎沢さんもその類か。

 しかも人の匂いに特化していて苦手なのが異性の匂いで、相手次第では吐くほどとは。

 なんか、近づくのすら怖くなってきたぞ。

 自分では問題無いと思っていても、虎沢さんにとってはどんな匂いなのか、こっちには分からないんだから。


「さっきから席を探しているのは空いている席を探しているんじゃなくて、周りに男が少ない席を探しているんだろう。でないと虎沢さんが辛い目に遭うからな」


 言われてみれば虎沢さんの顔色と表情は冴えず、匂いが気になるのか時折鼻を手の甲で擦っている。

 三人が並んで座れる場所はまだあるのに、そこへ行かないのはそういうことか。

 入学式って割と長いから、少しでも負担が掛からない場所を探しているんだな。


「なあなあ、話を聞いていると同性の匂いは大丈夫なのか?」

「ああ、大丈夫だと聞いている」

「じゃあ、あの子の父親とかは? あとは祖父ちゃんとか」

「聞いた話だと、親族の男の匂いは不思議と少し不快感を覚える程度らしい」


 大河の疑問に対する返答に、実の父親でもそんな感じなのかと思う。

 だったら食事や香料とかの匂いはどうなのかと尋ねると、あくまで人の匂いに対して敏感なのであって、他の匂いに関しては周囲と同じようなものとのこと。

 つくづく、不思議な嗅覚をしているものだ。

 でも、だからといって異性と交流しないというわけではなく、少し距離を取って話すぐらいはするらしい。


「というわけで、虎沢の嗅覚的にどう感じるか次第だが、下手をすればあなたの匂いは嫌だと言われ、距離を置かれるぞ。それは色々な意味で傷つくから、自分を守るためにもあいつに手を出すのは止めておけ」


 こいつの言う通り、耐えがたい匂いだと言われて距離を置かれるのは、虎沢さんにしか分からないものだとしても少なからずショックを受ける。

 もしも吐くほど酷いって言われたら、数日は落ち込むと思う。


「確かにそれは嫌だな。だけど、俺はどの程度なのかぐらいは試したいな」

「ふっ、好きにしろ。忠告はしたからな」


 大河の呟きに、そいつは何故か得意気な表情でそう返した。

 俺も自分の匂いを虎沢さんがどう感じるのか少し気になるけど、一番マシな匂いでも少なからず不快感を抱かせるのならやめておこう。

 ちょっとした好奇心を満たすため、僅かでも不快感を抱かせるのはよくない。

 相手が初対面なら、なおさらだ。


「そうだ、まだ名乗っていなかったな。俺は大島(おおしま)智彦(ともひこ)だ、よろしく」


 そういえば、こいつの名前を聞いていなかったな。

 自己紹介された以上は、俺達も返すのが礼儀というもの。


「兎川悠希だ」

「俺は山村大河。こっちの悠希とは小中でクラスがずっと一緒だった、親友であり相棒であり腐れ縁だ」


 自己紹介をして肩を組んでくる大河。

 三つも兼任している関係について、どれも否定する気は無い。

 でも暑苦しいから、早めに組んでいる肩は解いてくれ。

 そこから大島を加えて雑談をしていると、座る席が決まったのか虎沢さん達がこっちへ歩いてきて、俺達の横を通過。

 後ろの方の席に座るのかなと思っていたら、急に通路側から誰かが勢いよく現れた。

 驚いてそちらを見ると、すれ違ったばかりの虎沢さんが目を大きく見開き、驚きの表情で俺を見ている。


「し、詩織ちゃん? どうしたの?」

「その人、知り合いなの?」


 虎沢さんの友人二人が戸惑いを隠せない様子で声を掛けるけど、虎沢さんは一切の返事をせず、片時も俺から目を離さず凝視し続けている。


「な、なにか用か?」


 初対面のはずだけど、何かあるのかと思い俺からも声を掛ける。

 それでも虎沢さんは一切言葉を発することはせず、俺をジッと見続けるのみ。

 本当に何なのかと思っていると、虎沢さんが驚きの行動に出た。

 大島から聞かされた話では、虎沢さんは異性の匂いがとても受け付けられないはずだったのに、あろうことか自分から俺へ顔を近づけてその匂いを嗅いだ。


「「えぇっ⁉」」

「「「なぁっ⁉」」」


 虎沢さんの友人達と俺と大河と大島が、揃って驚きの声を上げる。

 それを聞いた周りの視線が集まり、なんだあれと首を傾げたり、状況を理解できず困惑したり、「あの虎沢さんが男の匂いを嗅いでいる⁉」と驚いたりしている。

 行動の意図が分からず、俺達も混乱する中で虎沢さんはしばし匂いを嗅ぎ続けると、そっと顔を離して熱っぽい目で俺を見つめながら、嬉しそうな笑みを浮かべた。


「……会えたー」


 虎沢さんの雰囲気にそのままのゆったりとして間延びした口調で、心の底から嬉しそうに呟かれたその一言。

 俺に会えて喜んでいるようだけど、本当に虎沢さんとは初対面だ。

 仮に忘れているんだとしても、異性の匂いが受け付けられないなんて特徴を聞いて思い出せないはずがない。

 そもそも、なんで俺の匂いを嗅いで笑っていられるんだ?


「初めまして、私は虎沢詩織っていいますー。あなたのお名前はなんですかー?」

「う、兎川悠希……」


 異性の匂いを嗅いだのに不快感を示すどころか、妙に上機嫌な虎沢さんから名前を尋ねられ、まだ戸惑いが残る中で答える。


「じゃー、ゆーき君だねー」


 初対面なのに、いきなり名前呼びされた⁉

 陽キャの中にはそういう人もいるが、虎沢さんもその類なのか?


「いきなりで驚くかもしれないけど、聞いてくれるー?」

「な、なんだ?」

「ゆーき君。私と結婚を前提に、お付き合いしてくれませんかー?」


 はっ? 結婚を前提? お付き合い?

 ということは、えっ、これって告白?

 はあぁぁぁぁぁっ⁉


「「えぇぇぇぇっ⁉」」

「「なあぁぁぁぁっ⁉」」


 俺の心の叫びとほぼ同時に、虎沢さんの友人達と大河と大島も驚き声を上げる。

 それは周囲にも広がり、こちらへ注目が集まる。


「ちょっと詩織、何を言っているの⁉」

「何もなにも、言ったままの意味だよー」

「言ったままの意味って、そもそもこの人の匂い嗅いで大丈夫なの⁉」

「大丈夫だよー。ゆーき君は他の男の人と違って、脳が蕩けて液状化しそうなくらい甘くて香ばしくて心も体も鷲掴みにされる、良い匂いがするんだー」


 えっ、俺って虎沢さんにとってそんな匂いなの?

 鼻に右手の手の甲を添えて嗅ぐけど分からない。

 付き合いが長く、何度も肩を組んだことがある大河も、「そうか?」と首を傾げている様子からして分からないのだろう。

 これが虎沢さんの嗅覚ってことか。


「あの、兎川君でしたっけ? あなた男装女子ってオチは」

「無い」

「そうよね……」


 虎沢さんの友人の一人からの質問に即答すると、分かってはいたけど確かめずにはいられなかった、みたいな表情をされた。


「それで、なんで彼に結婚を前提にお付き合いを、なんて言ったのよ」

「これはママから教わった話なんだけどねー」


 疑問を口にするもう一人の友人の質問に対し、虎沢さんは上機嫌に語る。

 自分の家系の女性は、総じて自分と同様に人の匂いに対してのみ鼻がとても利き、普通の人には嗅ぎ分けられないレベルで個々の匂い嗅ぎ分けられる。

 だが、男性の匂いだけは高品質な香水や消臭剤を使っても不快で耐えがたい。

 ここまでは大島から聞いた話と同じ。

 ただし虎沢さんにとってそれは前置きで、重要なのはこの先だという。

 なんでも男性の匂いは基本的に不快ではあるが、逆に不思議と心地良くて快感を覚える匂いがする男性もいるそうだ。


「その人と結ばれれば、とても幸せになれるんだってー。だから、自分と凄く相性が良い相手を嗅ぎ分ける鼻だって、ママは言っていたよー」

「……本当なの? それ」


 信じられない表情を浮かべている、友人の気持ちはよく分かる。

 俺だって信じられないぞ、そんなちょっとファンタジー要素が交じった小説みたいな話は。


「本当だよー。先祖代々、そうやって一緒になる相手を判断して結ばれて、相手共々すごく幸せになっているんだよー」


 先祖代々そうなのか⁉

 ある意味凄いとは思うけど、確認のしようがないじゃないか。


「実際、ママも伯母さんもお祖母ちゃんも大叔母さんも曾お祖母ちゃんも、先月婚約した親戚のお姉さんも、去年恋人ができた従姉のお姉さんも、皆そういう理由で相手を選んで凄く幸せそうだよー。勿論、パパとか伯父さんとか、相手の人もねー」


 確認できる実績がしっかりあるのかよ。しかも全員親族!

 運命とかを信じる質じゃないけど、運命の相手を嗅ぎ分ける鼻と言えそうだぞ。

 つまり俺はそんな目、じゃなくて鼻に適ったというわけか。


「さっきすれ違った時にゆーき君から良い匂いがして、脳天に雷が落ちて全身が痺れるような感覚に襲われたよー。もう一回嗅いで確認しても凄く良い匂いだから、私にとっての一緒になるべき相手はゆーき君なんだって、確信したんだー」


 嬉しそうに柔らかい笑みを浮かべる虎沢さんに対し、彼女の友人達や大島は未だに信じられず俺と虎沢さんを交互に見ている。

 これは俺、どう反応すればいい?

 恋は理論や理屈じゃないとも言うが、これがそうなのか?


「というわけでゆーき君、改めて言うねー。私と結婚を前提に、お付き合いしてくれませんかー?」


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