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プロローグ


 俺は今、美少女に正面から抱きつかれている。

 しかも服を内側から大きく押し上げるほど立派な胸が、二人の間で押し潰されているほどに。

 普通に考えれば嬉しい状況だろうし、当然ながら俺も嬉しい。ただし――。


「にゅへへへへへへー。この頭が蕩けそうな香り、何度嗅いでもたまりませんなー。クンカクンカ、スーハースーハー」


 美少女の方は激しく猫吸いをしているかのように、俺の胸元へ顔を押し付けて勢いよく匂いを嗅ぎ、口の端から涎が垂れそうなほどしまりがなく、だらしのない蕩けた笑みを浮かべている。

 そんな俺達に対して、クラスメイトは暖かな眼差しを向けるか、またやっているよって表情を向けるだけで、何もしようとしない。

 俺としては、だらしがなくともこの可愛い姿を見ていたいし、二人の間で押し潰されている柔らかい胸の感触と少女から漂う甘い香りを堪能していたい。

 だけど今は授業の合間の休み時間で、次の授業開始まで残り五分を切っている以上、対処しないとならない。


「……なあ。いつまで嗅いでいるんだ?」


 放っておくと永遠に嗅ぎ続けていそうな少女へ尋ねると、俺の胸元に埋めていた顔を上げ、だらしのない蕩けた笑みを消し、「んー」と少し考えてから普段のふわっとした緩い雰囲気の笑みを浮かべた。


「私が満足するまでー」


 見た目通りのゆったりとして間延びした口調での返答に、今度は胸が高鳴って体温が上昇して思考が一瞬停止して、脳内は少女が可愛いという思考一色に染められる。

 さっきまでのだらしのない蕩けた笑みも可愛いと思えるけど、こっちはもっと可愛い。


「満足するには、どれくらい掛かりそうだ?」


 思わずグラッときそうなのを堪え、気持ちを立て直して再度尋ねる。

 すると俺の背中に回していた右手を持ってきて、やや余った袖から指を一本立てて口元へ添える。


「んーとー。最速で一時間ぐらいだけど、できれば十時間は嗅ぎ続けたいかなー?」


 その仕草も可愛らしくてグッとくるけど、最速でも長すぎる!

 次の授業までに残された時間は、もうすぐ残り三分。

 移動教室じゃないから、まだ嗅ぎ続けるのは百歩譲って良いとして、席へ戻ろうとしているところでこんな状況になったから、着席して授業の準備をしなくちゃならないのに、向こうが求める時間と現実に余っている時間の差が大きく乖離している。


「もうすぐ授業だから、我慢してくれないか?」

「やーだ、我慢できないー。というより我慢したくないー。この匂いを直に堪能しながら、授業受けたいー」


 説得に応じる様子は全く無く、再度右手を俺の背中に回してしっかり抱きつくと、また俺の胸元に顔を埋めていやいやと首を横に振る。

 俺との間で押し潰されている胸が首の動きに連動して凄いことになっていて、どう表現すればいいのか分からない。

 しかも駄々をこねながらも「スハスハ」と擬音を声に出して、俺の匂いを嗅ぎ続けている。


「席は隣だから、匂いなら漂ってくるだろう」

「隣から漂う香りだけじゃ、物足りなくてやーだー。直にかーぐーのー」


 どれだけ俺の匂いを嗅ぎたいんだ。

 説得に応じないから周囲へ目配せをしても、男子は半数がサッと目を横に逸らして残り半数は我関せずとばかりに明後日の方向を向き、女子は全員が今後の展開に注目するように期待の眼差しを向けるばかり。

 残り時間はもう一分ちょっと、早くなんとかしないと。


「どうしても、っていうならー」


 おぉっ、ここで向こうが妥協の姿勢を見せた。

 これでなんとかなるか?


「午後の体育の授業が終わった後、汗がたーっぷりしみ込んだ脱ぎたて体操着を、一晩私に貸してちょうだいー」


 なんとかなりそうだけど、とんでもないものを要求された!

 そしてドン引きしている男子一同はともかく、なんで女子一同はキャーキャー言っているのか分からない!

 でも時間は理解が及ぶのを待ってくれない。

 残り時間は三十秒を切った、もう悩んでいる猶予は無い。


「……分かった」


 幸いなことに明後日は体育の授業が無く、時間が無い切羽詰まった状況に、これ以上の抵抗する気は失せて諦めた。


「わーい!」


 こっちは苦渋の決断だったのに、向こうは満面の笑みで大喜び。

 だけどようやく離れてくれたし、嬉しそうに離れた拍子にさっきまで俺との間で押し潰されていた胸が解放され、大きく揺れる光景が見られたから良しとしよう。


「あー、でも一晩だけのレンタルとはいえ、体育直後の汗だく脱ぎたて体操服は貰いすぎかなー?」


 改めて聞くとスゲェ物を求められな、俺。


「過剰分はお返しするねー。私が一晩使ったシーツと枕カバー、どっちが欲しいー?」

「なんでその二択⁉」


 ある意味で究極の選択になりうる提案にツッコミで返した直後、教師が現れて急いで席に着き授業の準備をする。

 これが俺、兎川(うかわ)悠希(ゆうき)が高校へ入学して僅か半月で過ごすことになった日常だ。

 全ての原因は高校に入って知り合った、ふわっとした緩い感じの雰囲気を漂わせ、出るところはしっかり出て、腰まで薄い茶髪を伸ばした隣の席の美少女、虎沢(とらさわ)詩織(しおり)にある。

 おそらく俺の高校生活――いや、最終的には押し切られて一緒に過ごすことになるであろう今後の人生は、こいつによって振り回されることになるんだろうなと、早くも押し負けて尻に敷かれる未来が見えた。

 ……体育で一緒に着替え、戯れに触れたことがある女子曰く、大きくて形も良くて柔らかいという尻に敷かれるなら、それも悪くないか。

 授業開始直後、思わず虎沢の尻へ横目を向けようとしたタイミングで、その虎沢から肩をトントンと叩かれた。

 教師は授業に使うプロジェクターとタブレット端末の接続が上手くいかず、首を傾げながら操作しているから大丈夫と判断し、そっと横を向く。

 まさかさっきの尻がどうこうって考えていた時、表情に出ていて気付かれたのか?

 若干の不安を覚えながらそっと横を向くと、「にこー」という擬音がしっくりくる笑顔を浮かべている虎沢がいて、両手を小さく上げて爪を立てるような形にして呟く。


「ゆーき君の匂いで食欲が刺激されたのか、お腹空いたよー。がうー」


 獣ポーズと鳴き真似をする姿があまりの可愛いく、俺の精神はノックアウト寸前。

 思わず連れ帰って両親から養う許可を得て、一生愛でたくなった。

 いや、そんなことをせずとも大丈夫か。

 初対面の時に結婚前提の告白をされた上に、今ではそれを受け入れているんだから。

 しかもこの場にはいない、他の風変わりな子達と俺を共有するという条件付きで。


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