8. 悪趣味の解法
厚い扉を閉めると、ざわめきは途切れ、蝋燭の火がかすかに揺れる音すら聞こえそうな静けさが訪れた。
木の壁は外の冷気を遮りきれず、隙間風が忍び込み、油灯の匂いに湿った夜気が混ざる。
リディアは外套を椅子の背に掛け、何気ない調子で口を開いた。
「……ああいう視線は、これからもついて回りますよ」
「慣れている」
トーシュは帽子を机に置き、車椅子ごと背を壁に預けた。
声音には嘲りも憤りもなく、ただ諦めだけが滲んでいる。今さら口にすることでもない、と言わんばかりだった。
「誤解しないでください。私は旦那様を憐れんでいるわけでも、救おうとしているわけでもありません」
トーシュは隻眼を細める。沈黙の問いかけを感じ取ったのか、彼女は続けた。
「私を突き動かしているのは好奇心と、魔女としての矜持です。解けない謎を抱えたままなんて、我慢ならない。だから旅に出た。ただそれだけのことです」
その声は冷ややかに澄み、慈悲を装う余地もなかった。
露わにされた率直さに、トーシュは深く息を吐き出す。鼻で笑うでもなく、ただ重い吐息。呆れか、皮肉か、あるいは諦観か――自分でも判然としなかった。
彼にとって呪いは、肉体を蝕む宿痾にすぎない。抗えぬ外からの災厄。
だが彼女にとっては――答えのない謎を放置することこそ、魂を腐らせる宿痾だった。
不老の身で停滞した永遠を生きる魔女は、その執着から逃れることなく、答えを追い続けるしかなかった。
「……最果てに戻る理由も、それか」
「はい。あそこは時間が停滞した土地です」
リディアは窓の方をちらりと見やった。外の夜は静かで、星さえ冷たく瞬いている。
「私のような不老の魔女にとっては、永遠に腐らない牢獄のような場所。でも、ホムンクルスを造るならば、あの土地でしか不可能なのです。素材も、術も、全部揃うのは最果てだけ」
「人形を造って、呪いを肩代わりさせる……か」
「言い方が味気ないですね。でも、そういうことです」
リディアは卓に肘をつき、炎に手をかざした。淡い光は彼女の笑みを仄暗く照らす。
それは慈悲から遠く、退屈を嫌う魔女の愉悦が滲む笑みだった。
そして、唇の端を吊り上げ、あえて冷酷な声で告げる。
「――もっとも、別の方法もあるでしょう。旦那様の血を残すこと。子をもうければ、呪いは押し付けられる。そうすれば、旦那様は晴れて自由の身ですよ」
「馬鹿げている」
その拒絶は鋭く、声音には嫌悪が混じっていた。
「その話は、もう断ったはずだ」
「承知しています。初めて言ったときの旦那様のお顔、忘れられませんから」
リディアはからかうように肩を竦めた。
「私は生に執着していない。ましてや、自らの血を引く者を生まれながらに呪うなど、悪趣味にも程がある」
「悪趣味――そうですね。まさにその通りでしょう。けれど、それが一番効率的で、確実な方法です。子を呪いに縛りつけ、あなたはその枷から逃れる。ずいぶん皮肉で、ずいぶん残酷で……けれど、生を繋ぐにふさわしい解法じゃありませんか」
「……」
「人形に託すのも、子に託すのも、結局は同じ押し付け。違いがあるとすれば――前者は虚ろな器、後者は血肉を分けた器だということ。どちらが重いと思います?」
魔女らしい、人の理を顧みぬ冷徹な見解だった。彼女はそれを罪悪感の欠片もなく言ってのける。
心の隅で恐ろしいと思う一方、今のトーシュの状況では抗えないというのが現状だった。
しかしそれは、この魔女の思惑に従うことではない。
「違うな」
トーシュの隻眼が細く光り、声は低く沈む。
「前者は物の犠牲、後者は人の犠牲だ。――私に、血を引く者を生まれながらに呪うなど冗談にもならん」
「生に執着しないくせに、妙に血の因果には潔癖なのですね」
「そんなもの、外道の所業だ」
その断言には、皮肉ではなく苛烈さが滲んでいた。
リディアはしばし彼を見つめ、やがて小さく笑みを零した。
「……そういうところ、嫌いじゃありませんよ」
トーシュはそれ以上応じず、ただ隻眼を伏せた。
呪いが解けようが死が遠のこうが、彼にとっては大差ない。
だが彼女にとっては――解答に辿り着くまでこそが、生きる理由だった。
部屋を満たす静けさの中で、二人を結んでいるのは愛情でも信頼でもない。
ただそれぞれの宿痾が、同じ旅路に重なり合っているにすぎなかった。