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6. 退屈しない街路

 

 石畳の道を馬車の車輪がきしませながら進んでいた。

 借り受けたそれは荷運び用を少し改造したもので、座席は固く、春先の冷気が隙間風となって吹き込む。


 トーシュは厚手の外套に身を包み、背凭れに寄りかかっていた。顔色こそ青白いものの、今は痛みに苛まれてはいない。片眼を覆う包帯の下から視線を隠しつつ、広つばの黒帽子を目深に被る。差し込む薄日を避けるためでもあり、何よりも威厳を保つための装いだった

 帽子の側面には深紅の羽根飾りが揺れ、馬車の中にひとつだけ鮮やかな色を差している。


 残る隻眼で窓の外を眺める。遠くに丘陵と森の稜線が広がり、その果てに見えぬ道が続いている。


 向かいに座るリディアは、深緑の外套のフードを外し、銀の髪を日差しに透かしている。彼女の眼差しは不思議と落ち着き、旅慣れた者のそれに見えた。


「途中の宿場まで半日ほど……少々揺れが辛いかもしれないですね」


 告げてリディアはトーシュの様子に目を向ける。彼はじっと目を瞑って黙していた。ガタガタと下から響く振動が身体を揺らして、彼の表情を険しくさせる。


「まあ、これも旅の醍醐味というものです」

「徒歩での移動の方が何倍もマシだ」

「我儘ですねえ」


 よほど不快なのか。内心苛立ちを抱えたトーシュの返答にリディアは素っ気なく答える。


「それでも徒歩での移動となると、宿場までは一日半はかかりますよ。旦那様、野営の経験はありますか?」

「そう見えるか?」

「いいえぇ。まったく」


 なら分かりきったことを聞くなと、トーシュは開いた目を外へと向けた。街道沿いの素朴な景色に目を遊ばせて小さく息を吐く。


「なんだか先が思いやられますね」

「面倒だろう。私も面倒だ」


 トーシュは目を細め、口元にかすかな皮肉を浮かべた。


「いいえ。そんなことはありません」


 リディアは彼の言葉にまっすぐ目を見て応える。


「旦那様と一緒なら退屈せずに済みそうです」


 トーシュは片眉をわずかに上げ、相手の声音を探るように視線を投げた。冗談とも本気ともつかぬ言葉に、隻眼の奥で一瞬だけ迷いが揺れる。


「物好きな女だな」

「魔女ですからね」


 リディアは肩を竦め、淡々と返した。どこまでが戯れで、どこまでが真実なのか、掴ませようとしない。


 馬車の車輪は、やがて乾いた石畳から土の道へと移り、揺れは一層強くなった。身体が大きく揺さぶられ、トーシュは外套の裾を握りしめる。


「まったく……骨が砕ける」

「砕けても治せますよ」

「冗談になってないな」


 小さく吐き捨てるように言いながらも、トーシュは口元にかすかな笑みを残した。苛立ちを零しながらも、返ってくる言葉の温度が一定であることが、不思議と胸を落ち着かせていた。


 森の稜線が近づき、鳥の群れが飛び立つ。遠くには宿場の屋根らしき影が霞んで見える。


「もう少しで着きますね」

「そうか」


 それ以上、彼は言葉を重ねない。ただ、隻眼の奥に宿る光がわずかに和らいで見えた。



 ===



 馬車は街道を抜けて宿場の街へと入っていった。行き交う人々のざわめきと、露店の呼び声が賑やかに重なり合う。干した薬草や焼き立てのパンの匂いが、風に乗って漂ってきた。


 トーシュは帽子のつばを深く下げ、片眼を隠すように顔を影に沈める。それは彼に残された威厳の象徴でありながら、人々の視線から身を遠ざける仮面でもあった。深紅の羽根飾りが微かに揺れ、かえって目を引くのではないかと、彼自身が皮肉めいて思うほどに。


「随分と賑やかですね」


 リディアはフードを軽く整えながら、淡々とした声で呟く。旅慣れた調子で周囲を見回すその姿は、どこか街に馴染んで見える。

 そんなリディアとは対照的に、トーシュは馬車の窓から視線を逸らした。行き交う人々のちらつく目線が、彼には刃のように感じられる。


「街の喧噪は、どうにも肌に合わん」

「その帽子があれば、少なくとも貴族らしくは見えますよ」

「それはそれで、目立つだろう」

「目立つのと、哀れに見えるのとは違います」


 リディアの返しは静かで淡々としている。それ以上の慰めも否定もなく、ただ事実を告げるだけ。だからこそ、トーシュは口を閉ざすしかなかった。


 馬車が止まると、街の喧騒がさらに大きく押し寄せてくる。石造りの宿屋の看板が見え、通りを行き交う人々の声が重なった。トーシュは帽子のつばをさらに下げ、深く外套を合わせると、リディアに先を促すように顎を僅かに動かした。


「行きましょう、旦那様」


 彼女が軽く微笑んで言う。

 トーシュは短く息を吐き、ぎこちない動作で馬車を降りた。帽子の影に包まれた顔は誰にも見せず、ただ車輪の軋みと街のざわめきの中へと歩を進めていった。




 広場には干し肉やチーズを並べた露店が連なり、炭火の上で串肉がじゅっと音を立てる。香辛料の香りが風に混ざり、鼻をくすぐった。籠を抱えた子供が通りを駆け抜け、すれ違いざまに衣の裾をかすめる。

 リディアは荷籠を片手に、慣れた様子で銀貨を渡し、必要なものを買い揃えていく。


 車椅子に凭れたトーシュは、その横でじっと人々の視線に晒されていた。囁き声が背にまとわりつき、隻眼が鋭く細められる。


「……見世物にでもされた気分だな」

「放っておきましょう。他人の事なんて誰も気にしないですよ」


 抑揚のない声音に、リディアは視線を露店の棚から外さず応じた。


「それにしても……こんなもの、わざわざ金を払う必要があるのか。魔法とやらでどうにかなるだろう」


 リディアはふと手を止め、振り返らずに答えた。


「だからこそ、買うんですよ」

「意味が分からん」

「以前、似たようなことをして酷い目に遭いました。魔法で食材を作って使ったら、盗まれたと騒がれまして。店も人も、全員敵に回った気分でしたよ」


 淡々と語られたその一言に、トーシュは片眉を上げる。


「……なるほど。魔法で手に入れると、正しくても盗人扱いか」

「人は目に見えないものを信じません。まあ、魔女の言葉なんてなおさらですけどね。金貨を渡して物を受け取る――それが一番無難なんです」


 リディアはそう言って干し肉の束を抱え、軽やかに歩き出した。

 トーシュは隻眼で彼女の背を追いながら、小さく鼻を鳴らす。


「魔女も世知辛いものだな」

「旦那様もこれで私の苦労を少しは知れたでしょう?」


 夕刻の広場のざわめきの中、二人の声だけが妙に静かに響いた。



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