5. はじまりの握手
「なるほど……お前は私を殺しにきたのか」
「いいえ、これはただの偶然です。私もつい先日まで忘れていたのですから」
旦那様はすべてを聞き終えても、いつもと変わりなかった。
「旦那様は良いのですか?」
「なにがだ」
「私は貴方の呪いの元凶です。殺したいほど憎いでしょう?」
「自分の妻を殺す夫がどこにいる」
素っ気なく言った一言に、リディアは思わず笑ってしまった。
――この人は、彼と同じことを言う。
愛情はないのかもしれないが、リディアにとってそれは些細なことだった。
今の一言で、彼女の気持ちは固まった。
「旦那様」
呼びかけに応える前に、リディアは身を乗り出すと彼に口づけをする。
いきなりのことに呆然としているところへ、続けて一言。
「子作りしましょう」
「っ、は?」
衝撃の発言に、旦那様は息を止めた。動揺で視線がうろうろと彷徨っている。
「わ、私の話を聞いていなかったのか」
「聞いていましたよ」
「私の代で終わらせると言っただろう」
彼の話に、リディアはそうだったと思い出した。でも旦那様の憂慮はリディアの意図する所とは相違している。
つまり問題はないということだ。
「あっ、そういうことではないのです」
リディアの否定に、旦那様はますます顔色を曇らせる。詰問が飛んでくる前に慌てて弁明をする。
「私は過去に犯した失態を挽回したいのです。ですから、それには旦那様の協力が不可欠なのです」
「……話が見えてこない」
「私が編んだ呪いは解呪出来ません。けれど、唯一抜け道があるのです」
――そう、これには抜け道が存在していた。
最果ての魔女である、彼女でしか辿り着けない回答。
「貴方の呪いを、他の者に押し付ければいい」
邪悪な笑みを浮かべた魔女の計画に、彼は戦慄を覚えた。
普段はニコニコとしているが、目の前のこれはれっきとした魔女なのだ。
「他所の他人ではダメです。一族間で継がれる呪いなので、旦那様の血が入っていなければ」
「だ、だから私に情交しろと? 魔女のお前と?」
「夫婦の関係としては何も問題はないでしょう?」
何も問題はないとリディアは宣う。
しかし、普通の倫理観を持っている旦那様はそれに良い顔はしなかった。
「自分が何を言っているのか。分かっているのか」
「はい」
「子を生贄に捧げろと?」
「私はそれでもいいのですけど……旦那様は嫌そうですね」
「当たり前だ!」
初めて怒鳴られたリディアは、呆然としてしまった。
……何がいけなかったのか。理由がわからないまま、魔女は話を続ける。
「一番手っ取り早いのがこれなのですが……仕方ないですね」
「大人しく諦めてくれ」
「いいえ。代替案を思いつきました」
血統を継いだ子供を作れないなら――
「人造人間なら、旦那様も文句はないでしょう」
「……なんだ、それは」
「人工的に人間を作り出す技術です。造るのは大変ですけど、こちらの方が人体の成熟に時間が掛からないから、旦那様の寿命を考えれば妥当ですね」
「……っ、まて。私は何も了承していな――」
「公平にいきましょう」
リディアは旦那様の言葉を遮って、宣告する。
「私は妻として、貴方の最期を看取ります。ですから、貴方も夫として私の願いを叶えてください」
理不尽ともいえる物言いに旦那様は息を呑んで、それから悟ったように項垂れた。
――娶ったつもりが、娶らされたということに。
===
あの魔女には倫理観というものが大いに欠如しているらしい。
最初に子作りをしようと言われた時は大層驚いたが、その後の方が度肝を抜かれた。
トーシュは自室の寝台に腰かけて、窓の外をぼんやりと見つめていた。
あの魔女は色々と準備があると、屋敷の中を駆け回っている。
なんでも彼女が言う人造人間とやらは、ここに居ては造れないらしい。一度彼女の住処に戻らなければならないのだという。
故にこの場所を離れなければならない。長旅になると魔女は言った。
産まれてから今まで、この場所からはほとんど出たことはない。遠出しても街に行く程度だった。だから不安もあるが、少しだけ楽しみにもしている。
小さな気持ちの変化に気づいて、トーシュは口元を緩めた。
「旦那様!」
突然自室の扉が開かれて、魔女が焦った様子で入ってきた。
なんだと振り返ると、彼女はトーシュの傍に寄ってきてまっすぐに目を見つめてくる。
「あの、私……とても大事なことを思い出したんです」
「な、なんだ?」
「旦那様のお名前、知らなくて」
しょんぼりと肩を落とした魔女の様子を見て、トーシュは思わず笑っていた。
血相を変えて入ってきたものだから、どんな用があるのかと身構えていたのに。こんなどうでもいいことだったとは。
「笑わないでください!」
「ふっ、……そういえば、私もお前の名は知らない」
「じゃあ猶更笑えないじゃないですか!?」
腹を立てた魔女はトーシュに詰め寄ると、じっと睨んできた。
恨みがましい眼差しを見つめ返して、
「トーシュだ」
「リディアです。これからも、よろしくお願いします」
差し出された手を握り締めて、トーシュはその手に口づけを落とした。