3. 血に刻まれた呪縛
――二百年前。
魔女である彼女の隣には、人生を共にと誓い合った伴侶がいた。彼を、魔女は心の底から愛していた。
けれど、そんな関係も長くは続かなかった。
不老不死の魔女の噂を聞きつけた人間たちが、彼女の元へと押しかけてきた。所謂、魔女狩りというやつだ。
久方ぶりに見聞きしたそれに、魔女はうんざりとしていた。
不死の存在を、どうやっても殺すことなどできない。しかし人間たちにはそんな事実など関係ないのだ。
異端者は浄化すべき。
異物は排除しなければならない。
そんなことを宣う相手と、どうして共存など出来ようか。
けれど、彼らのしつこさは魔女もよく知っていた。ここで逃げおおせても奴らは地の果てまで追ってくる。
だから魔女は潔く身を捧げた。しかし、伴侶の男はそれを良しとはしなかった。
彼はあろうことか、魔女の処刑を止めたのだ。公衆の面前で、魔女を助けてしまった。
魔女狩りは異端者を許さない。
彼らの異端者の定義は、魔女とそれを庇う者。
疑惑の段階で、魔女狩りは男へと是非を問う。身の潔白が証明できれば見逃してやると。つまり、魔女を売り渡せと言外に言っていた。
それに男は――
「自分の妻を殺す夫がどこにいる」
そう言って、生きたまま串刺しにされた。
魔女はそれを炎に巻かれながら見ていた。
両腕が十回焼け落ちても。
目玉が百回溶け落ちても。
千回、命が尽きようとも。
この憎悪が、消えることはない。
===
魔女は呪いを編み出した。
一族を末代まで呪う、呪創。それを魔女狩り共へ食らわせて、自身は遥か未開の地へ隠遁した。
彼らを皆殺しにしなかったのは、伴侶との約束があったからだ。
彼は魔女が人を殺すのを嫌がった。
――そんなことをしてしまえば、皆に嫌われてしまうよ。
困った顔をしていた、その人の面影を今ではほとんど思い出せない。
二百年の時は、それだけ記憶を風化させる。
あの時感じた憎悪も、今や欠片もなくなっていた。どうでもいいわけではない。しかし、固執しすぎるのは不毛なことだ。
その事象に、リディアは二百年の時を過ごして悟った。
そうして忘れかけていたところで、彼に出会ったのだ。
===
「旦那様」
静かな声音に、彼はリディアを見つめた。
不意に押し黙った彼女を怪訝そうに見遣って、その目を逸らす。
「なんだ」
「もしその呪い。解呪出来るとすれば、どういたしますか?」
「お前は出来もしないことを言うのか」
「……仮定の話です」
旦那様はそれに少しだけ悩む素振りを見せた。
「いいや、このままで構わない」
「えっ?」
「私の代で終わらせるつもりだ。だから、このままでいい」
珍しく動揺を見せたリディアの様子に、旦那様は小さく笑んだ。
「どうした。この答えでは不満か?」
「ど、どうして……」
「生に執着はしていない。それに、私が生きていてはお前を娶った意味がなくなる」
意外な言葉に、リディアは理解が追い付かなかった。
理由を聞こうと身体を浮かせた瞬間――旦那様の顔色が曇った。
「――――ッ、グゥ」
苦痛の籠った呻き声。
いきなり身体を折ったかと思えば、彼は堪え切れない痛みに歯を食いしばった。
魔女であり、呪いの元凶であるリディアにはこれが何であるかすぐに理解できた。
彼女が彼の一族に編んだ呪いは、生涯をかけて身体を蝕んでいくもの。到底人間では耐えられない苦痛を与えて、身体の自由を奪うものだ。
文字通りの生き地獄に落とす――そんな呪いだった。
「……っ、旦那様!」
リディアはすぐさま、その身体を押し倒した。勢いをつけて馬乗りになると、両手を押さえて拘束する。
「馬鹿なことはやめてください!」
きつく左手を掴むと、握っていたものが手から零れ落ちた。
枕の下に隠していた鈍色のナイフは、きっとこの時の為に用意していたのだろう。
痛みで見開いた瞳からはぼろぼろと大粒の涙が零れてくる。
呼吸もままならないほどに息も荒れている。抑えつけた両腕はさっきから震えてばかりだ。
抵抗して押し返してくる力はそんなに強くない。今ではもう身体の力も入らないのだろう。
「落ち着いて。今からおまじないをかけます」
リディアは旦那様に一言、言い含めてから無理やりに口を塞いだ。
一瞬肩が跳ねたが、それにお構いなしでリディアは口内に舌をねじ込んでいく。
傍目から見ればただのキスに見えるが、もちろんそんなことはなく。これはしっかりと意味のある行いだった。
キスをする前に自分の舌を思い切り噛んで、血を流しておいた。
不老不死である魔女の血には様々な効能がある。リディアの場合、それは沈静だった。
そうして、それが功を奏したのか。旦那様はしばらくすると意識を手放してしまった。
良かったと安堵して、リディアは身体の上から退ける。
寝台から降りたところで、床に落ちていたナイフを回収する。
こんなものを用意していたなんて。自決するつもりだったのだろうか。
それだけ辛い呪いを与えてしまったことに、リディア罪悪感を覚えた。
旦那様の先祖がやったことは、リディアにとって許せるものではない。しかし、その末裔の彼にはまったく関係がないものだ。
それでも、この呪いは解けない。
「もし……」
リディアが呪いの元凶だと知れば、彼はどうするのだろう。
らしくもない考えにリディアは大きく息を吐くと、目を瞑った。