2.一族の呪い
旦那様の朝のお世話を終えて、リディアは屋敷の書斎へと来ていた。
朝、昼、夜。決められた時間帯に世話をしてくれたなら、何をしても良い。最初に旦那様が言いつけた約束事だ。
昼までまだ時間があるので、何か面白いものでもあるかとリディアは書斎内を見て回る。
室内は人間の出入りがなかったのか。埃っぽかった。けれど乱雑に積まれた蔵書や書きかけの書類を見るに、旦那様はよくここに出入りしていたみたいだ。
「さてと、何があるかな~」
散らばった本やらを整理しながらリディアは室内を物色する。
書物の類は彼女の好物の一つだ。不老不死の魔女と言えども、まだまだ知らないことは山ほどある。知識の探求は飽くなきもの。そして暇つぶしには持ってこいである。
そんな折、ふとあるものが視界に入って、リディアは手を止めた。
「これ……」
見つけたものを手に取って、彼女は眉を潜めた。
片手で指を鳴らすと、壁に掛かっている蝋燭に明かりが灯る。それを光にあてて、文字を目で追った。
リディアが見つけたのは、手書きの手記だった。おそらく旦那様のものだ。そこに記されている内容にリディアは、魔女として驚愕する。
「よくここまで調べ上げたものだ」
リディアの口から洩れたものは純粋な賛辞だった。
手記に書かれていたものは呪いについて。こんなものは一般的にはほぼ出回っていない情報である。
それをかなり正確に研究、分析している。
すべてを読み込んで、リディアは確信した。最初は気のせいかとも思ったが、そうではなかった。
旦那様は自身の身体について、病魔ゆえと言ったが……あれはそうではない。
あれは正真正銘、呪いによるものだ。
それもかなり高度な呪創。奇跡かぶれの術士が使うようなお遊びではない。それこそ、リディアのような魔女が編んだもの。そうとしか考えられないと、リディアは決定づけた。
とはいえ、魔女などそうそう見えるものでもない。同胞などここ千年お会いしたことも、噂を聞いたこともないのだ。
だから眼前の事実にリディアは腑に落ちなかった。
呪いというものは、自然発生するようなものではない。
術者がいて、初めて効力を発揮できるもの。だから、誰かが旦那様に憎悪を押し付けたのだ。
そして、魔女であっても呪いは解呪できない。
知識の探求に邁進する最果ての魔女――リディアでも、それは出来なかった。
===
昼下がり。
リディアは旦那様の自室へと向かっていた。
扉を開けて入室すると、彼は朝と同じように寝台に横になっていた。目を閉じて、何をするでもなくじっとしている。
リディアは静かに近づいて、彼に声を掛けた。
「旦那様、お食事は摂られますか?」
「いい。腹は減っていない」
水が欲しい、と旦那様は言った。
それにリディアは魔法で水差しを取り出して、旦那様の手に握らせた。
「……檸檬の風味がする」
「私が好きなもので。お口に合いませんか?」
「いいや、これは好きだ」
呟いて、小さく笑った旦那様は再び寝台に身体を沈めた。
彼は一日の大半をこうして過ごしている。隠遁していたリディアでもたまには外に出て気分転換をしていたというのに、旦那様はそれすらもしない。
水差しを受け取ったリディアは逡巡した後、寝台の傍にあるソファに腰を下ろした。すでに慣れてしまったのか。旦那様はリディアの言動に何も言ってこない。
ただ黙って目を瞑って、深く息を吐いた。
「旦那様」
声を掛けると、声が返る代わりに彼の隻眼がリディアを捉えた。
「先ほど、書斎でこれを見つけたのですが」
彼の眼前に手記を差し出すと、旦那様は眉を寄せた。そこには憤りが滲んでいる。
「他人の恥部を漁るとは。悪趣味なことをする」
「旦那様が好きにして良いと仰ったではないですか」
「……はぁ」
怒られるかもと思ったが旦那様は、溜息を吐いただけだ。
彼はリディアから手記を受け取ると、頁を捲って軽く目を通した。それからリディアを見遣る。
「それで、何が聞きたい」
「旦那様のそれは呪いですか?」
「魔女のお前なら聞かずとも分かるだろう」
「そうですね。今のは確認です」
リディアの聞きたかった事。本題はこれからだ。
「これは、誰に編まれたものですか?」
「さあな。知らん」
「そんなわけは」
「誰かは知らんが、起こりは知っている」
旦那様は目を閉じた。深く息を吸って、吐く。もう一度開いた眼差しで、リディアをまっすぐに見つめると、答えを示す。
「生まれつきだ。一族の呪いだと、私の曾祖父は言っていた」
――知っているのはそれだけだ。
旦那様はそれだけを言って、口を噤んだ。
それを聞いて、リディアは気づいてしまった。
誰がこの呪いを編んだのか。それが出来る魔女を、彼女は一人だけ知っている。