始まりのパノラマ
『グッドバイ』
母親は薬物に溺れていた。
「はい。これ今日の夜ご飯代。」
机の上には100円玉が3枚。そこに大きな赤いランドセルを背負った女の子の小さな手が伸びてくる。
「まま。ありがとう。」
少女は笑顔で受け取った。ランドセルをリビングの片隅に置き100円玉3枚を落とさないように強く握りしめた。
「行ってきます。」
玄関までにいく途中で転がっていたビールの缶につまずいて転んでしまった。ころころと転がっていった100円玉。急いで拾い集めるが1枚足りない。手当たり次第に床を触る。
「何?今、行ってきますって言ったでしょ?まだいるの?」
その言葉と同時に頭にティッシュの箱がぶつかった。少女の目は涙で潤んでいるが決して目からこぼれ落ちることはない。近くにあったゴミ袋を退けると100円玉があった。
「ごめんなさい。行ってきます。」
木造建築さながらの引き戸の玄関を開けガラガラと音を立てながら閉めた。外には雪が積もっているが少女の足は黒ずんだスニーカーだ。そして100円玉をもう一度強く握りしめ坂道を慎重に下っていった。
「はい!カット!!」
「こんな可愛い子の頭にティッシュの箱を投げるなんて心が痛みますよ。ごめんね京花ちゃん。頭痛くなかった?」
こう言って5歳の西園寺京花の頭をさすっているのは母親役の安藤優子だ。
「大丈夫です。全然痛くなかったですよ。」
そう満面の笑みを浮かべる。
「じゃあ、次は公園でのシーンになります。京花ちゃんが演じる河野夏の同級生の男の子、近藤裕樹役の東海林佑くんです。」
東海林佑は西園寺京花より一つ年上だ。京花よりも5センチくらい身長が高い。佑と京花はよく休憩時間に追いかけっこをして遊んでる。無邪気でただただ可愛らしい。見ているこちら側も子供の元気さを見る度に元気をもらう。
「はい、撮影再開します!京花ちゃんはベンチに座ってコンビニのパンを頬張っててね。佑くんは家に帰る途中で公園を通りかかって夏を見かけて話しかけるっていう設定だよ。それじゃあ、始めます。5、4、3、2、、」
夏は頬を膨らまさてコンビニのパンを頬張っている。パンのクリームがほっぺについてる。おいそうに笑顔だ。
「あれ?夏じゃないか。こんな所でパン食べてるの?あ、もしかして、お母さんの作る夜ご飯が少ないから腹ごしらえか?わかるよー。小学生だからってファミレスのお子様メニューが足りないようにもっと食べれるのになー。大人って子供はそんな食べないって決めつけてるとこあるもんね。」
そう、佑がベンチに座ってる夏の横に座った。
「夏、ほっぺにクリームついてる。」
夏はあわてて口の周りを手で拭いてポケットに入ってた学校の前で配られる塾の案内が入ったティッシュで手をふいた。
「ありがとう。佑くん。お母さんのご飯が少ないんじゃないの。今日、お母さん忙しいから夜ご飯のお小遣い渡されてたの。」
「そっか、夏のお母さん、仕事とか忙しいの?」
「うん、まぁ、、、」
夏の表情は暗い。そこでコンビニにお酒を買いに行こうとしていた夏の母が通りかかった。
「あ、お母さん!!」
夏の表情は明るくなったが直ぐに暗くなった。母の眼差しが冷酷だったからだ。母は夏の存在に気づくものの声を掛けなかった。
「お母さんと喧嘩中?ちゃんと仲直りするんだよ。」
夏は俯いてる。
「ううん。喧嘩中って言うわけじゃないの。3年前にお父さんが死んじゃったんだ。その時なつ、3歳だったからお父さんの記憶あまり残ってないんだけど、お母さんとお父さんと3人で楽しかった記憶がある。」
「そっか。」
「だから、お母さんの方が悲しいはずだからなつは絶対に泣いちゃダメなの。」
そう言って夏は左手の腕をさすった。まるで何かを隠しているかのように。
「はい!カット!!京花ちゃん腕さするのいいね!雰囲気出てたよ!」
「ありがとうございます!」
演技中の暗い演技から感じ取れないほどの笑顔で顔がクシャッとなってる。
「やっばり、京花ちゃん演技上手いね!!すごいよ!!」
「佑くんだって!最初の、あんなに長いセリフ噛まずに言えるなんて凄いよ!私だったら噛んじゃったり途中で忘れちゃいそうだもん!」
そう言ってお互いの演技を褒めあっている。
「じゃあ、次は夏が家に帰ってきたら警察の人が来てるシーンだよ。次のシーンは長いから頑張ってね!それでは撮影再開します。5、4、3、2、、」
夏は玄関のドアを開けて家の中に入る。リビングに入ったが 母の姿はない。
「お母さん、まだ帰ってきてないんだね。そうだ、お水あげないと!!」
そう言って夏は小さな踏み台を持ってきてコップを取り水を汲む。テーブルの下にある植物に水をあげる。
「ちゃんと大きくなってね。いっつも大きくなる前にお母さんがむしっちゃうから。」
と言って、植物の鉢には水溜まりのように水が注がれていた。ピンポーン!と呼びべるがなった。
「お母さんだ!帰ってきたんだ!!」
そう言って駆け足で玄関に行った。
「お母さん!おかえりなさ、、、」
開けていた手の動きは途中で止まった。いつもの見慣れた姿ではなく、青い警察の制服を着た大人の男の人が2人いた。夏は怖くて肩をすくめた。
「こんにちは。警察官です。お母さんまだ帰ってきてないの?」
「うん。多分コンビニに、、、」
「夏!?」
母が帰ってきて夏と警察官の顔をそれぞれ見る。
「失礼致します。警察です。」
と母に警察手帳を見せる。
「河野葵さんでしょうか?裁判所から令状が出ています。これから家宅捜索を始めさせていただきます。」
そう言って家の中に入っていった。警察はリビングに入って直ぐにテーブルの下にある植物を見つけた。
「河野さん。これは大麻ですよね?これを乾燥させて、大麻を吸っていますよね?」
そう言って、母はパトカーまで連れてかれた。夏は訳が分からずただ混乱している。もう一台パトカーが到着し若い女の人が降りてきた。
「夏ちゃん、お姉さんと一緒に行こうか。」
夏はどこに行くのかすらわからない。母の乗ったパトカーが動き出した。坂道を下る。夏はただ追いかける。
「お母さん!!お母さん!どこ行くの!?」
パトカーを追いかける為に走っていたが途中で転んだ。
「お母さん!痛いよ。助けてよ。」
目からは涙が滝のように流れていた。