第6話 最初の事故
ラグランジュ伯爵夫人の舞踏会は大々的に催された。
その夜は滞在客に加え、近隣からも馬車が押し寄せ、大賑わいを見せた。着飾った紳士淑女が玄関から続く大階段をのぼってゆく様は壮観だった。二階は人々の姿とざわめきで埋め尽くされた。大広間では楽団が間奏曲を演奏をしてダンスの始まりを待っていた。
アナイスは水色のドレスを着て髪は花で飾り、手には長手袋をして扇を持った。
ジュリーのドレスも水色で、頭には大輪の花を模した宝石の髪飾りを挿した。飾りはきらきらと輝いていた。
「似合うわね」
「あなたもね」
「私たちのドレス、お揃いみたいね」
「うれしいわ」
アナイスとジュリーは顔を見交わして、それから二人で二階へ向かった。
二階は大勢の人でごった返して、かき分けながらでないと前に進めないくらいだった。混雑の中でアナイスはセドリックの姿を探した。
「彼は?」
「いた。あっちに」
セドリックは第二広間にいた。ラグランジュ伯爵夫人の手をとって接吻しているところだった。
身体にぴたりと合った黒の上下に白いシャツとスカーフ。彼の着こなしも、仕草も、洗練されていて美しいと思った。アナイスは見ているだけで幸せな気分になった。
しかし、続いて、いつも彼と一緒にいる友人の青年がラグランジュ伯爵夫人の手に接吻するのを見て、急に興ざめした。何となく嫌な気分になって身構えた。
「どうかしたの?」
不機嫌そうな様子の友人を心配してジュリーが声をかけた。
「なんでもないの」
アナイスは言って微笑んだ。
「せっかくなんだから楽しまなくちゃね。挨拶しに行きましょう」
「そうね」
「おっと、失礼」
人をかき分けて進むうちに、向こう側からやって来た人と、ジュリーの肩とが強くぶつかった。ぶつかった側は一言だけ詫びると、先を急いで行ってしまった。ぶつかったはずみで、ジュリーは手にしていた扇を床に落とした。
「あら、いけない!」
ジュリーはかがんで扇を取ろうとした。が、それよりも早く、立っている誰かの足が扇を蹴とばして扇を遠くへやってしまった。ジュリーも、その様子を見ていたアナイスも、びっくりして飛ばされた扇を追いかけた。
不運にも床の扇は次々と人の足に蹴られ、追いついたかと思うとまた遠くへ行ってしまった。なかなか拾うことができなかった。ジュリーが慌てて扇を追い、アナイスもその後を追った。
追いかけているうちに、今度はジュリーが誰かの背中に思い切りぶつかった。扇を追うあまり、下を見過ぎていたのだ。
「ごめんなさい!」
「大丈夫ですよ」
ぶつかられた方がゆっくりと振り返った。ぶつかって来た相手に対しては気遣いを見せた。
「あなたの方こそ、お怪我はないですか」
それはセドリックだった。
その場にアナイスも追いついた。セドリックと一緒にいたエヴァンも振り返って、四人が顔を合わせた。
ジュリーはセドリックを見、彼もジュリーを見ていた。アナイスは一瞬エヴァンと目が合った気がしたが、すぐに目をそらした。
ジュリーはセドリックに対して平謝りした。
「私の方は大丈夫なんです。本当にごめんなさい」
「そうでしたらよかったです、どうぞお気をつけて。……おや?」
セドリックは自分の靴に何かが当たったことに気づいた。ジュリーの扇だった。ジュリーもはっとしてそれに気づいた。
ジュリーとセドリックは、ほぼ同時にかがんで扇に手を伸ばした。一瞬だけセドリックが早かった。彼は扇を取ると、ジュリーの手をとって彼女が立ち上がるのを助けた。
「あなたの扇ですか?」
「はい」
差し出された扇をジュリーは受け取った。
ジュリーは青ざめた。自分の扇であることは、まぎれもない真実だった。しかし、アナイスが手紙の中で描いていた想定とは異なり、自分の扇を彼が拾うことになってしまった。彼に拾ってほしかったのは、アナイスの扇なのに!
楽団がゆるやかなワルツを演奏し始めた。
「最初のワルツを踊っていただけますか、私と」
セドリックはジュリーの手を引くと自分の腕を取らせ、その上に自分の手を重ねた。彼女が何か言うより先に腕を組んだまま大広間へと歩き出した。
音楽が始まって、それまで第二広間で談笑していた人々も、一斉に大広間へと移動し始めた。
人の流れの中でアナイスは呆然と立ち尽くした。エヴァンは事の成り行きを見守ってていたが、人々の流れとは逆の方向に向かってその場を離れた。