第2話 手紙の発見
二人は、玄関を入ってすぐ正面の大階段から二階に上がった。
二階の部屋からは集まった客人たちのさざめく声が漏れ聞こえた。それを過ぎて進むと、辺りは全く薄暗くて静かだった。廊下の両側に並ぶ扉の一部は開き、一部は閉じていた。開いている扉からは外の光が差し込み廊下を明るくしていた。
さきほど若い女性が手を振ってくれたと思われる場所まで、二人はようやくたどり着いた。
そこは旧い大広間だった。その広間への入り口は、扉が外されていて広く開いていた。広間は手入れされた様子もなく、床も壁も傷みが目立った。
「この広間は修繕しなかったらしいな」
エヴァンはぐるりと部屋の天井を見まわして立ち尽くした。舞踏会が開けるほどの広さがあった。歩くと足元では床板がきしんで音を立てた。
セドリックは大広間を横切った。二階はこの広間で行き止まりだったが、彼女が手を振ってくれた場所とは違うようだった。
「ここの窓じゃないな、もっと端の方からだった……あった、こっちだ」
正面からは分かりにくいが、隣の小部屋へと続く間口があった。セドリックが手招きをし、エヴァンは駆け寄った。
二人は小部屋へと入った。
「昔の準備室かな、……でも今は物置きみたいだ」
小部屋の中は壁に沿って棚があり、書物、絵皿、そのほか雑多な物が詰め込まれていた。棚の上部の壁には数点の肖像画があったが、どれも同じ人物で、髭を生やした男性の立ち姿や顔の正面だった。
「伯爵様だ」
とセドリックが言った。他界して久しい、故ラグランジュ伯爵を描いた肖像画だった。
セドリックは奥の窓に近づき、下をのぞきこんだ。馬車寄せが見下ろせた。
「きっとここから手を振ったんだ」
エヴァンも窓に近づいたが、彼は窓の外ではなくて、窓際に置かれた書き物机をじっと見ていた。
書き物机は背の高い棚と一体になっている物で、腰の高さに奥行きの狭い台があった。蓋を手前に引き下ろして書き物に使うと見えたが、今は蓋は閉まっていた。
エヴァンは机の狭い台の上に折りたたんだ紙が乗っているのに気づいた。表には『親愛なるセドリック様』とあった。手紙のようだった。
「手紙だ、君宛ての」
エヴァンが指し示し、セドリックがそれを手にとった。
女性が手を振ってくれたのはこの手紙を渡すためだったのかもしれないと思った。残念ながら彼女はこの場にはいなかったけれども。
セドリックは一読すると言った。
「恋文だよ、きっと。……だが残念、差出人の名前がない」
「心当たりは?」
「今のところ思いつかない。君になら分かるか」
「さあ。君は人気者だからな。可能性が多すぎて検討もつかない」
エヴァンは肩をすくめた。
セドリックは手紙の一部を読み上げた。
「『初めてお手紙を差し上げます、わたくしはこの館に滞在しております娘です。あなた様に恋し憧れております』」
「それだけじゃあ、分からない」
「『大勢の中で心細くしておりました時、優しくわたくしの手をとってくださいました、あなた様が示して下さったお心遣いに大変感謝をしております』」
「君なら、いつでも、誰にでもそうしてるじゃないか」
特別なことじゃないだろう、とエヴァンは言った。
セドリックは肩をすくめてみせると手紙に目を戻した。
「『あなた様がわたくしの目を開き、世界を広げてくださいました』」
「普通は、あなたのことしか目に入りません、と書くものじゃないかな」
「『……お会いしたことを思うたびに心は踊り、またお会いできることを思うとよりいっそう明日への期待が膨らみます』」
「想うあまり胸が苦しくなったり、夜眠れなくなったり、ではなくて? ……結構なことだ」
「君はいちいち文句が多いな」
「とんでもない。その恋文の主の、健康的な精神を見習いたいくらいだ」
セドリックは吹き出して、手紙のその先を読んだ。
「『親しくお話する機会をと願っております。次の舞踏会でわたくしの扇を拾ってくださいましたなら、それを合図にしたく』。これはどうだい?」
「扇を落とすのは、何も手紙の主に限らないだろう」
エヴァンはつき放すように言った。
扇を落とす、拾う、は、男女が関係をすすめるための常套手段だった。
どこの舞踏会でもセドリックの人気は高かったから、彼を慕う大勢の女性が扇を落とす可能性があった。相手を特定するのは難しそうだった。
「いいさ、手紙の主が誰か、いずれ分かるさ。それまでそっとしておこう」
セドリックは手紙を折りたたんで元の通り書き物机の上に戻した。
「今度の舞踏会の、楽しみが増えたね」
実際に、とても楽しそうな様子だった。
そろそろ当初の予定に戻ろうかというところで、
「僕は少し遅れてから行く」
とエヴァンは言った。
エヴァンはいつも約束の時間に遅れてから行きたがるのだった。それを知っているセドリックは友人の言葉にうなづいた。
「わかった。適当に言い訳をしておくよ。でも、後でいいから来てくれよ」
そう言うと、友人を残して自分は廊下へと出て行った。
一人になるとエヴァンは書き物机に向き直った。
机に手をかけたが、垂直になっている蓋の部分を手前に引き下ろすのではなかった。水平の台の部分に両手をかけると、それを奥の方へ持ち上げた。箱の上蓋が開き、ピアノの鍵盤が現れた。
彼が見立てた通りだった。書き物机のように見えたが、それは、家具のように装飾を施されたピアノだった。
続いて彼は鍵盤を囲う前面の板を手前に引いて押し下げた。これで鍵盤が自由になった。エヴァンの指がゆっくりとピアノの鍵を押した。