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夏の日の歌  作者: 井中エルカ
散策

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第16話 毬と帽子

 エヴァンは道を少し戻り、馬車が一台、脇道に入って寄せてある所まで出た。馭者は馭者台で座ったまま居眠りをしていた。

 柵のすぐ向こうでは牧草地に遊ぶ女たちの声がした。前方で毬がころころと柵を超えて転がり出て、道端の茂みに入っていった。エヴァンが拾おうかと思ったところで後ろから呼ぶ声がかかった。

「何かご用でしょうか」

 振り返ると若い女が一人立っていた。アナイスと同じくらいの年齢と見えた。

 彼女に手招きされてエヴァンは脇道に入った。二人の姿は馬車の陰で周囲からは見えなくなった。



「遅いわ」

 彼女たちは言った。

 ルイーズが戻って来ない。ルイーズは毬を拾いに行ったはずが、なかなか戻って来なかった。


 草原で彼女たちは毬投げをしていた。最初は四人だったが途中からアナイスが加わった。

 毬投げは「水と木と土」という遊びで、中央の一人を囲んで残りが輪になって広がる。円の中央にいる人が、題目を言ってから輪になっている人に向かって毬を投げる。毬を受け取った人は、十を数えるうちに答えを言って、毬を中央に投げ返す。もし言えなければ中央の人と交代する。題目が「水」なら水に住む魚の名前、「木」は植物を、「土」は陸の動物が答えになる。


 ルイーズは毬を受け取りそこなって道の方へと駆けて行ったのだったが、そのまま戻って来なかった。

 中央から毬を投げたのはアナイスだった。他の女たちの視線を感じてアナイスは言った。

「ちょっと探しに行ってくるわね」


 毬は道の向こう側、低木の茂みの下に見つかった。

 アナイスはしゃがむと、低木の下に手を伸ばして毬を手元に寄せた。立ち上がったその時、帽子の飾りが枝にからまった。帽子に引っ張られて地面に倒れ込み、アナイスは声をあげた。拾った毬を手放し、首元押さえた。顎に結んだリボンの結び目が固くなって首に食い込んだ。毬はころころと脇道の方へ転がって行った。


 

 小さな悲鳴が聞こえた。エヴァンは声の方を振り返った。すぐ向こうの低木の茂みで、アナイスが両手で首を押さえ、もがいているのが見えた。

 ルイーズもアナイスに気づいた。足元に探していた毬が転がって来たのを見て、彼女は素早く毬を拾い上げると、

「ごきげんよう」

呼び止めた人に対して別れを告げ走り去った。エヴァンはルイーズとは反対方向に、急いでアナイスの方に駆け寄った。



「大丈夫ですか」

「帽子が首に……」

 地面に座り込んだまま、アナイスは顎元のリボンの結び目を解こうとしていた。しかし慌てて手が震え、それができないのだった。

 エヴァンは状況を理解した。帽子は枝葉と複雑に絡まっていた。リボンを解くのが早そうだった。彼はアナイスのすぐ隣にしゃがむと声をかけた。

「落ち着いて。結び目を見せてください」

 アナイスはリボンから手を離した。代わってエヴァンの手が顎のリボンに触わり、アナイスは思わず身を固くした。目を白黒させているアナイスの横で、彼は器用に結び目を解いた。

「解けましたよ」

「あ、ありがとう……」

 アナイスは帽子から頭を抜いて立ち上がった。スカートについた土を手で払った。きっちりと結い上げた頭髪が少し乱れていた。

 

 アナイスはあらためてエヴァンに向き合うと、お礼を言った。

「ありがとうございます、助かりました。本当に、危ないところだった……」

「どういたしまして」

 エヴァンは微笑んだ。それが思いのほか優しい表情だったのでアナイスには意外に感じた。彼はいつも人と距離をとっていて、もっと冷たい人かと思っていた。


「帽子……」

 アナイスは茂みに取り残された帽子に駆け寄った。帽子飾りに絡まった枝葉を一つ一つ外して、ようやく帽子を手にすることができた。

 再び帽子を被る気になれなかった。帽子を折りたたみながらアナイスは訊いた。

「あなたは湖には行かなかったのですか」

「僕も途中で馬車を降りたんです」

 エヴァンは答えた。

「あなたに言うことがあって……」

 雄牛が出るので一人歩きには気を付けるようにと、言おうと思っていた。

 しかし、彼女には別件で聞くことがあるのを思い出した。


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