第10話 可能性
声をかけたのがエヴァンと分かるとセドリックはすぐに渋い顔をした。ジュリーは戸惑い、しかしこの青年の登場に助けられたと思った。
「まあ、まあ、ご親切に。ええと、あなたは……」
ジュリーは言ってから、この青年の名前を知らないことに気づいた。それを察してエヴァンはにっこりと笑いかけた。
「僕はエヴァンです」
エヴァンが手を差し出し、さりげなくジュリーの手をとった。手をとられて彼女は立ち上がった。ジュリーとセドリックとの間の位置に、エヴァンが立つことになった。
「私はジュリー」
これはエヴァンに言った。
「そして私の友人の名前はアナイスと言います」
これはエヴァンとセドリックに言った。
ジュリーは心配そうにエヴァンに訊いた。
「アナイスに何かあったのですか?」
エヴァンは軽く首を振った。
「大事ないと思いますが、少し気分がすぐれない様子でした。でもあなたが行ってあげれば、きっと彼女も安心すると思いますよ」
「ありがとう。ではこれで失礼しますね、ごきげんよう」
何か言われるより先に、ジュリーは素早く立ち去った。
セドリックはあからさまに不満そうな顔をエヴァンに向けた。
エヴァンは素知らぬ体で話しかけた。
「ずいぶん問い詰めていたようだけど、彼女と何があった?」
「まだ何も」
「まだ何も?」
エヴァンはおうむ返しに聞いた。セドリックは憮然としていた。
「例の手紙の相手を探していて、状況からして、彼女に違いないと思ったのに……。でも、ジュリーは、恋文を書いたのは自分でないと言ってみたり、彼女の友人のことを引き合いに出したり、頑なに答えをくれなかったんだ」
それはもっともなことだと、エヴァンは思った。恋文はジュリーではなくて、その友人からだったと、そう言いたい衝動にエヴァンは駆られた。しかし言ったのは別のことだった。
「へえ……君に口説かれてその気にならなかったとは、大したものだ」
「口説いたわけじゃない、話をしただけだ」
「そんな風には見えなかったけど」
エヴァンと目を合わせて、それから目をそらして、セドリックは少し考え込んだ。
「……確かにちょっと困らせてしまったかもしれない。嫌われないといいんだが」
「めずらしく弱気だな」
「そうかもしれない」
セドリックはため息をついた。
「彼女も、はっきり言ってくれればいいのに……」
相手に態度を保留されて、セドリックはすっかり調子が狂っていた。今までに経験したことのないことだった。
相手が逃げれば追いかけたくなる。追われた方はますます逃げる。それだけのことだと、エヴァンは思った。
「君が本格的に恋しているのなら、まあよいとして、そうでなければ、相手に、強引に答えをせまるのも、どうかと思うけどね」
「……それもそうだ。俺も少し頭を冷やすとしよう」
セドリックは友人の言を受け入れてうなずいた。
「ところでエヴァン」
セドリックはエヴァンに向き直った。
「何かな?」
「ジュリーのご友人のことだ。先に帰ったと言っていただろう」
「ちょっとした事故があった。給仕とぶつかって、パンチ酒を浴びた」
エヴァンは器がひっくり返るさまを大げさに身振りで示した。
「なるほど……それはお気の毒に。お見舞いには?」
「僕たちが出ていくと、かえって話がややこしくなる」
「わかった。君が言うなら、そうしよう」
セドリックはうなずいた。
事態は静観するしかない。エヴァンはそう思った。




