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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

さようならと僕は言った

作者: 荊汀森栖

「ただいま」

 残業続きの月末。コンビニ袋を手にやっとの思いで家に帰れば、おじさんはリビングでゲームに興じていた。

 ローテーブルの上には弁当の空き容器がそのままで、缶ビールは三本目に突入したところかそれとももう空なのか。耳を覆うヘッドフォンに阻まれ、僕の零した溜め息どころか帰宅にも気づいてはいない様子だった。

 カーテンの閉められていないベランダに洗濯物がはためいているのが目に入り、怒りがこみ上げてきた。洗濯したのは僕だ。干したのも僕。ならば取り込むのも僕の役目だとでもいうのだろうか。

 リビングテーブルの上に乱暴に荷物を置くと、僕はテレビの前を横切って掃き出し窓を開けた。

「うわっ、なんだよ! 帰ったなら声掛けろよな」

 おじさんは不機嫌にそう言った。

 夜半から嵐になると、お天気キャスターがひっきりなしに警告を発していたのに彼は知らぬげだ。風は強く、肌にまとわりつくような湿気が不快だった。

「……や、甥っ子だよ。甥っ子」

 ボイチャ相手に言い訳するのを白けた目で見てしまっても仕方ないだろう。音声チャットをする際は自室でというルールを破っているのは彼のほうなのだから。

 一緒に暮らし始めて二年と半年。こんなものかと思う。

 僕は手洗いうがいを済ませると冷蔵庫から発泡酒を取り出し自室へと向かった。

 ふたりきりの部屋で疎外感にまみれながら彼の背中を見つめて食べる弁当なんて美味い訳がない。それならひとりのほうがマシだった。

 プルトップを引き上げ、呟く。

「ひとりのほうが、まだマシだな――」

 

 ()()()()は会社員だ。

 会社員をしながら、サイドビジネスと称しゲーム配信をしていた売れない配信者だった。そこで旧友と再会したのがそもそもの始まりだった。

 相手は人気のナマ主で、彼らが子供の頃に流行っていたゲームがリマスター版として発売され、彼らの配信者人生が交差した。

 彼はコラボ相手として旧友のチャンネルに呼ばれるようになり、一躍知名度が上がったのだ。それからは、それは楽しそうに配信にのめり込んでいった。

 時折、予期せず入ってしまう生活音から、僕は彼の〝甥っ子〟になった。

 友人にパートナーだと紹介して欲しい訳じゃなかったけど、ガッカリしたのも確かだった。

 オレンジピールとコリアンダーシードの味がする発泡酒を呷り、弁当に手をつける。

 胃がすっかり縮こまってしまっているため、ざる蕎麦に塩にぎりという質素な食事だ。カップに入ったチョコレートケーキが本日のお楽しみ。

 食べられる気はしないが年に一度の誕生日くらいスイーツってやつを買ってみたかった。

 蕎麦を啜りながら、がらんとした部屋を眺める。

 荷物はとうにまとめてあった。

 パートナーシップ解消届も用意している。

 家族との縁を切って逃げるように引っ越してきたというのに、こんな幕切れになるとはあの頃は想像もしなかった。

 浮かれてた。

 若かった。

 今もまだ十分に若い。

 やり直すなら早いほうがいい。

 打算的な自分がそう言って背中を押す。だが本心は、これ以上惨めな思いをしたくなかった。

 たとえ法的に関係を認められているといっても、経験の浅い僕は彼をベッドに誘うのにも勇気が必要だった。それなのに、「疲れてる」と言って僕に快楽を教え込んだ手が僕を拒絶するのは酷く屈辱的だった。

 旧友と親しくしている様子を目に入れたくなくて、彼のSNSはフォローを解除した。

 動画サイトのサブスクも解約した。

 今は彼以外の配信も見る気がしなくなってアプリすら消した。

 彼は気づいていないだろう。

 熱が冷めるとはこういうことかと思う。

 とうに涙も涸れた。

 口説き文句を本気にした僕が愚かで間違っていたんだろう。

 女じゃなくてよかったと心底思う。子供でもいたら、こんな思いを抱えたまま結婚生活を続けてしまう気がするからだ。時折実家に帰って来ては、母に愚痴を零しながら離婚しない姉を今の僕は笑えない。

 今日は金曜日だ。

 彼は夜通し旧友と対戦だか共闘だかして過ごすのだろう。

 この長い夜が明けたら僕は――。

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