その者と会う
「エリオット、あの雲、豚に見えないか?」
イングリッドは先ほどから、空に浮かぶ雲を見てはこんなことを問いかけてくる……。
「見えなくもないけど、牛にも見える」
「牛! 牛なぁ……いいなぁ、食べたい」
「危ないからやめろよ……」
「お腹、減ったんだ」
「俺もだ……」
「ああ……あの雲は蟹だ! 蟹ぃ……食べたい」
俺も食べたい!
三日……まともなものを食べていないんだ!
昆虫……木の枝……最悪だ。
理由……難破したから!
西方大陸経由で五か国半島へと船旅をしていた俺たちだったが、出港から十日後、西方大陸沿岸で魔翼と獅子鷲の襲撃を受けた。撃退したものの、俺たちはともかく船が受けた被害は甚大で、次第に傾き、浸水し……船員たちと一緒に海に飛び込み、近くの海岸まで懸命に助け合い命を繋いだ……現在にいたる!
お疲れ! 俺!
「エリオット、船長です!」
智神に仕える戦乙女のレイミアが、砂浜に座り込む俺の肩を叩いて言った。
示された方向を見ると、内陸部へと偵察に出ていた船長のオーモンド・ミクーが野太い声をあげる。
「赤いの! 集落があるが、魔族のものだ。俺たちでは言葉が通じん。エルフどのはどうか?」
「わたしは話せるのだ! 任せろ! お肉をわけてもらおう!」
先程まで憔悴した表情をしていたイングリッドが、勢いよく立ち上がると俺を見る。
「エリオット、行こう。ちゃんとしたお水ももらおうな」
「……小便を飲んだり、木の枝を啜るのはもう嫌だ」
愚痴りながら立ち上がり、尻についた砂を手で払いながら船員たちへと歩く。
生き残ったのは、俺たち三人と、船長と船員の合計十名。
幸運なのか、不幸なのか……。
「あの、質問しても?」
レイミアの問いに、俺は船員たちの先頭を歩きながら頷きを返した。やや後ろに続く彼女は、「無知ですみません」と言い、続ける。
「魔族の集落というのは? 西方大陸には魔族が? 西方大陸にはギュレンシュタイン皇国の飛び地の他、都市国家が乱立しているというくらいしか知らないのですが……」
「西方大陸の中央から南は未開拓地域で、人は住んでいない。北部にはお前が言うように、人が暮らす都市国家や、皇国の領地があるけど、大陸全体の三分の一程度だな」
「そうなんですか……」
「東方大陸のローデシアと、西方大陸の未開拓地域は、魔族の自治区だ。俺たちはどうやら、南側に辿り着いたみたいだな」
後ろに続くオーモンドが、会話に加わる。
「赤いのが言う通り、南側の東海岸に上陸したようだ。とにかく今は生きること、あと、北側までどうやって行くかを調べないといけないが、魔族との交渉、任せてもいいか?」
「ああ、うちのお姫様が言葉を話せるようだから引き受ける。いいよな? イングリッド」
「任せろ! 大きなお肉を分けてもらうぞ!」
お腹ペコペコだから、食べ物のことばかりだ……イングリッドらしいけど。
砂浜から内陸方向、西側へと歩く俺たちは、砂浜から草むら、そして林へと入り、森となった地域を進む。ここまでは水を求めて来ていたが、船長たちはさらに西へと偵察をしてくれて集落を発見したようだ。
しばらく歩くと、その集落は見えてきた。
木々を伐採した平地に造られた村は、俺たちからみても立派な家のような建物が十軒ほど見える。そして村の中には小川が流れていて、子供と思われる魔族たちが川遊びをする横で、女性の魔族たちが洗濯をしていた……人の暮らしと同じかよ……。
種族は……オーガだ。
珍しい。
滅多に姿を見せない魔族の代名詞とも言える鬼たちが、集落を形成して暮らしているなんて、そういう学会に発表できそうな発見かもしれない。
赤、青、黒、様々な色の体色をしたオーガたちは、半裸なので男か女かの区別が乳房ですぐにつく。子供たちはわからないが、大人のオーガは女だけのようだ。いや、一人……一匹? 一頭? 人に似てるから一人でいいか……一人、オーガじゃない女がいる。
……淫魔? それにしては自然体に感じるが……彼女だけが小柄で、他の女たちは、人の男よりも身長が高いだろうと離れたここから見ても理解できた。
俺は不安を口にする。
「イングリッド、襲われないか?」
「オーガだから、逆に好都合だ。知能が高い」
「なるほど……」
イングリッド、お肉欲しさに積極的になっているわけではないと期待するよ!
彼女が先頭に出て、俺、レイミア、船長、船員たちと続いて歩いた。
集落で、洗濯ものをしていた女たちの中で、淫魔が俺たちに気づく。彼女は、子供たちに鋭い声を発すると同時に、手の動きで他の女たちに指示を出すと、自分は俺たちを迎えるように仁王立ちした。
俺は、その女はこの集落の中でも地位が高いと見た。
近づくと、その容姿がよくわかり、美しさと肢体の見事さに目のやり場に困った……おっぱいと腰を隠しただけの格好は目に毒すぎる……!
「痛い!」
イングリッドに腕をつねられた……。
俺がスケベな目で、彼女を見ていたことがバレた……それにしても、ただの淫魔じゃない。こちらを警戒するだけでなく、やるならやるぞという気迫をわざと俺たちに向けていて、意思表示をしている。それに……油断ない立ち姿と、余裕を残した雰囲気……そうとうに腕が立つとわかった……。
! 背から蝙蝠の羽根に似た翼が生えている! それが透明化して見えていなかった……淫魔よりも上……淫魔主級か!
緊張した俺に気付いたのか、イングリッドが穏やかな声をかけてくれる。
「エリオット、わたしが話すから」
彼女の言葉に反応したのは、俺だけではなかった。
仁王立ちの女が、先頭のイングリッドと俺のやり取りを見て目をパチパチとさせている。
あちらも、こちらを珍しがっている……複雑。
イングリッドが、何語かわからない言葉で話しかけると、淫魔っぽい女は流暢なラーグ語で応える。
「ラーグ語なら話せる。エルフ、脅迫されて言いなりになっているのではないな? 襲うために来たのであれば殺すぞ」
女はどうやら、俺たちがイングリッドを脅して利用していると思っているようだ。
……脅したりしたら、とんでもない目に遭わせられるんだよ!
「ちがう。わたしはイシュクロン王国の七氏族のひとつ、フォーディ族のイングリーンウッディザハフォーディだ。イングリッドと呼んでほしい。三日前、船が沈んだ……食べ物と水を分けてもらえないか?」
「フォーディ族のイングリッド? ハイエルフがどうして人と?」
「仲間なんだ。それに、このエリオットはわたしの大事な人だ」
照れます……。
恐ろしく強いであろう淫魔が、警戒心を解いて俺たちを眺め、頷いてから口を開く。
「わかった。わたしはミューレゲイトだ。西方大陸の魔族を統べている」
……。
俺は、イングリッドを見た。
彼女も、俺を見ていた。
後ろへと振り返る。
レイミアが、固まっていた。
船長と、船員たちは腰を抜かしている……。
「どうした? ご飯、用意をさせる」
ミューレゲイトと名乗った女は、そう言うと他の女たちにどこの言葉かわからに言語で話しかけた。
「イングリッド……本当かな?」
「……ミューレゲイト……生きてたなんて」
レイミアが、おろおろとしながら俺とイングリッドを交互に見て口を開く。
「あの……あの……わたしは戦乙女として、彼女が本当に魔王ミューレゲイトなら倒さねばならないと思うのですが?」
「やめとけ」
「やめておけ」
俺とイングリッドの答えは、同時で、同一だった。
-Elliott-
俺が酒に強いとわかったミューレゲイトは、酒の相手を要求してきた……。
皆が食事を振る舞われ……豚肉のタレ焼き、春野菜と豚の内臓を炒めた炒め物、ナン、冷たいスープは豚の骨から旨味が出ている……。
この村では、これがご馳走なのだ。豚という貴重な家畜を、俺たちのために出してくれたオーガ達に感謝すべく、船長も船員たちも俺たちも、感謝と「うまい」を交互に発しながら食べ、酒を飲ませてもらっている!
俺は、死んだと言われていたミューレゲイトに、どうしてここにいるのか、何をしているのかを問うことにした。
というのも、彼女はそれはもう有名な魔族なのだ。
魔王ミューレゲイト。
東方大陸で大国であるリーフ王国相手に大侵攻をおこなった魔族の長で、世界四大魔王の一人だった。しかし大魔導士アラギウスに倒されたのだ。今から五〇〇年も前の出来事……それから百年後、彼女は復活の呪いで再び東方大陸に現れたが、人間との争いはしないと決めて、東方大陸のローデシアに魔族の自治区を作った。これに協力したのが、彼女を倒した張本人であるアラギウスである。彼はミューレゲイトを倒した時、死ぬ間際の彼女によって不老不死の呪いをかけられたので、二人は再会できたというのは運命の悪戯というべきか……皮肉な展開というべきか……それから二人は夫婦になり、ガルガンティアという子供を授かり、彼の成長を見守った後は姿を消した。
死んだという噂が広まったのは随分と前のことで、アラギウスの呪いを解除したミューレゲイトは、彼を追って自害したと言われていたのであるが……そうじゃなかった!
今!
目の前で!
ツイカを美味しそうに飲んでらっしゃる!
ツイカ……プラムがこの辺りでは収穫できるから、ここに集落を作ることにしたとミューレゲイトは語った……。
「お酒造りは奥が深くてなぁ……まだまだ研究したい。それに西方大陸にある大地のヘソは、内部に多くの貴重な古美術や魔法具が眠っているから、アラギウスがどうしても探索したいと言うし……それに竜たちの動きがおかしいから、何かあっても西方大陸なら被害が少ないと思ってね」
「アラギウス殿も? ここに?」
「ああ。今は男たちを率いて大地のヘソに遠征中。しばらく戻って来ないぞ。内部の邪悪な竜族や僕どもを掃討してから、改めて探索すると言っていたから……今はドンパチやっていると思う」
……。
手伝ってもらえんでしょうか……。
俺と、イングリッド、レイミアは同じことを考えたらしく、三人は同時に、それぞれをチラチラと見ていた。
イングリッドが口を開く。
「わたしは、テンペストの封印の巫女として、彼女が暴れている今、対処すべく五か国半島に行きたいのだ。ミューレゲイトとアラギウスも、一緒に戦ってもらえないか?」
「それは無理。西方大陸の魔族はまだ組織もできあがっていないし、内部対立も残っているし……オーガだけでなく、あちこちにある集落がそれぞれに主張をして、縄張りを広げたいと思っているのを、わたしと彼で押さえている。時間をかけて融和と共生、ふさわしい統治機構の構築と法による支配への移行を図っているのだ。今、抜けたらまた争い始める」
「しかし、竜の暴走が世界全体に広がると、ここも危ないじゃないか」
俺の意見に、ミューレゲイトは首を左右にふった。
「その時は戦おう……わたしがお前たちにできることは、ご飯を食べさせてあげることと、北への道を教えてあげることだけだ。それだけで、諦めてくれ」
ガックリ……したものの、無理強いするものでもない。
ミューレゲイトは、俺のグラスにツイカを注ぎながら言う。
「お前、匂うな」
「すまん……お風呂に入ってない」
彼女は大笑いする。
「違う! そうじゃない! 風呂か! あとで入れ! 温泉があるぞ!」
温泉!
温泉だと!?
喜色を浮かべた俺に、なみなみとツイカを注いでくれたミューレゲイトは、そこで真面目な顔となる。
「お前は、アロセル教団の現教皇と親しいな?」
「……ああ」
「その正体を知っているな?」
「ああ、俺は実は……前世の記憶を持つ人間で……赤い悪魔と呼ばれて――」
「その名は知っている! 大和の大蛇退治! あれはすばらしい! あれだけ育った大蛇はわたしでも苦労するのに!」
「運が良かった……で、教皇猊下とのことは、前世からの因縁で……竜殺しにまつわる関係なんだ」
「では、お前は竜に竜の命の欠片を授かったのだな?」
「ああ。俺と、イングリッドはそうだ。ひとつ、盗まれたが……」
「気をつけろ。小竜や神使にはならないように」
ミューレゲイトの言葉に、俺はツイカを飲もうとしていた動きを止める。
イングリッドも、怪訝な表情となった。
ガリアンヌに仕えるレイミアは、信仰を否定されたような面持ちでブスっとしている。
「ミューレゲイト、それ、どういう意味だ?」
俺の問いに、彼女は苦笑する。その表情は、ゾっとするほど美しく、艶めかしかった。
「教皇……大事なことを話さず、か……エリオット、竜の命の欠片を使えば、資格ないものは強力な呪いを受けることになる。では、お前たち資格ある者が使うとどうなるか? は知っているか?」
「竜化が進むと聞いている」
「そうだが、竜化が進んだ結果、才能がないものは、森や洞穴の奥深くで知能ないまま生きる竜になる……才能があるものの竜に愛されていない者は、お前たちが神使と呼ぶ霊体となる」
……。
黙る俺に、彼女は続ける。
「エリオット、才能があり、竜に愛された者だけが、竜と同一になることを許される。お前に竜の命の欠片を授けた竜は?」
「テンペスト……」
俺はツイカのグラスを、落としていた。
ミューレゲイトは、俺の肩に顎を乗せて、耳もとで囁く。
「テンペストを、竜の命の欠片の力を使って倒す……それがお前の運命なのだろうね? そして、テンペストと同一化し……正気に戻ったテンペストと共に、永遠となるのだろうさ」




